第9話

この男が憎い。許せない。殺してやりたい。



それなのに。



『あっちに行って!』


『嫌だ。』



男の返答に喜んでいる自分がいる。睨みつけた先で悲しそうな表情をしているのに、罪悪感を覚えてしまう。



『お前だけが、俺を否定できる。』



ふわりと香った花の香り。嗅いだことのない、どこか爽やかな香りだ。この男と知り合ってから知ったこの香りは、もはや嗅ぎ慣れたものになってしまった。


『お前だけが、俺を愛すことができる。』



随分と傲慢なことを言うこの男のぬくもりに身を委ねてしまうのは、この男が温かいから。



『っっ、お父さん!お母さん!』


『…すまなかった。』


『弘樹!』


『すべて、俺が悪い。』


『…私。』


『ああ。』


『一人ぼっちにっ、なっちゃった!』


『お前には俺がいる。』



見上げた男は笑っていた。先程の悲しみも同情も全て忘れ去ったかのような笑みを浮かべていた。



なんて薄情な男だろう。なんて、美しいの。



真っ暗な室内。壁や家具に刻まれた傷。バラバラになった家族。強烈な鉄さびのような匂い。



地獄のような光景なのに、この男だけは輝いて見えた。



誉人。神に選ばれた者。なんて邪悪で、愛おしいのだろう。

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