INERTIA
日向崎萱
慣性
行列の先頭から間隙を縫う
左奥の扉の傍に埋められる
言うまでもなく満員の空間
七分遅れた普通列車が発つ
一駅手繰って列車が停まる
対面の視線が瞳孔を貫いた
暗に消え去ることへの期待
涙のように汗が身体を伝う
無為が対岸を狡く淘汰する
居場所を求めたままでいる
どうか此方を見ないでいて
締め出してまた列車が征く
蠢く雨雲さえおいて征けど
陽は淡々と真西に向かえど
乗せ動くヒトのいとなみは
過ぎ去るときのうんどうは
どれほど遅いことだろうか
あやふやな空に誘われれば
開いた詩集も褪せてしまう
一駅手繰って列車が停まる
幸いひどくからっぽな対岸
動かないまま纏う湿潤の風
前触れもなく閉まる扉の声
動けばまた動く身体を以て
ぬらり滑り征く大きな駅へ
間も無く流れるアナウンス
無情にもひどく揺れる車内
右奥の扉が大袈裟に開いた
異様に速い到着に四分停車
尻目に進む改修真横の階段
大勢が呑まれる大きな駅へ
私もその大勢の只中をゆく
案内の通りに道を進みゆく
地下へ運ぶエスカレーター
乗り換えの列車に滑り込む
大勢の居た痕跡を塗り潰す
また次に塗り潰されるまで
終点までの路線を運ばれる
地の下を走る鉄道に乗って
地の下より与り知らぬ斜陽
扉の開閉も関与しない座席
気づけば周囲の消えた車両
長いアナウンスが漏れ出す
滑り出しが摩擦で消え去る
緩やかにまた左の扉が開く
終わりの列車にはじかれる
階段を上がって外に出逢う
固まった首上茜空見上げる
意図せず動かないに慣れる
変わる信号が我をかえした
赤信号に遮られた道を征く
言葉にならない美しさから
不意に言葉を産んでしまう
点字を削ってしまうように
野暮たい言葉をそっと隠す
用事が済んだ用済みの動き
真夜中街頭に照られて歩く
季節の流れゆくよりも早く
夜更け前に帰れますように
端正な石のステップを下り
改札をカードで素通りする
ひとつひとつ階段を下れば
一人もない線路に辿り着く
ヒト一人だけの車両の空気
揺られるままにかき混ぜて
私だけが居るということを
深く感じる八時の列車の隅
次第に侵食されてゆく孤独
乗り降りゆく疲れを眺める
終始疲労がゆらゆら揺れる
朝から晩まで動き続ければ
止まるのにも時間がかかる
大きな駅に小さなヒト一人
間違うはずもない降車の駅
他のくたびれた人々の数は
わざわざ見送る程でもない
昼には私を呑み込んでいた
あの人の波はもう跡形なく
忙しない世界もくらく沈み
孤独な身軽さだけが映える
丁度階段を上り終えたころ
眼前を動かないままでいる
何かをただ待つ夜半の列車
ありがたがって乗る六号車
しびれを切らして発つ列車
とどまる体が引かれて動く
一駅手繰って列車が停まる
開く扉の音だけが木霊する
静かに佇む沈黙の向こう岸
左の扉が虚しさの中閉まる
落ちたとばりを誤魔化す光
ポエジーに満ちる昏い月光
過重労働を無何有に任せて
脳裏に過った音楽を和える
一駅手繰って列車が停まる
光を与えに大きく扉が開く
光の束に騙される夜勤の蛾
人工の太陽に背を見せ回る
目をそむけて列車を降りる
扉を閉め光りに走った列車
またなぜだか動けなくなる
太陽の遠ざかった蛾を想う
力を込めて昼来た道を辿る
摩擦より強く重力を越えて
虫も眠る妙に静かな雑草畑
煌々と照る街灯と伸びる影
暗がりに不意に詩をつむぐ
幽けき速度のついた言葉は
他の何より深く呼吸をした
INERTIA 日向崎萱 @kaya_hinatazaki
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