跳梁跋扈する悪鬼たち 無辜の民が血を流した時 かつての死神が舞い戻る 怪物どもよ聞け 我が黒き天使の歌声を

「そうか。なら、心おきなくやれそうだ」


 ケンは一寸の迷いもなく。前方へと跳躍した。

 敵を前にして油断しきった笑みを浮かべる愚者へのタックル。

 前方の怪物は予想だにしなかったケンの行動に反応出来ず、タックルの直撃を食らってしまう。

 二人の身体は宙へと投げ出され、あとは重力に任せて落下していくだけ。その極僅かな、一秒にも満たない瞬間に、ケンは鬼鼠成の首と腕を完全に掌握し動作を封じていた。

 梁下の骨組みとパネルは、二人の身体が接触すると砂糖細工のように砕け、ケンは鬼鼠成を下敷きにしてキッチンへと落下していく。

 ケンの背後に迫っていたもう一匹の鬼鼠成の奇声が頭上から聞こえる。人間と怪物、砕けた天井、雄叫び、悲鳴、全てが落下していた。

 二人はダイニングテーブル上に叩きつけられる。テーブルの天板は二人の落下衝撃を受け止めるにはあまりに脆く、木の繊維は容易に破断してバラバラに粉砕された。固い床が彼らを受け止め、ようやく二人の落下が止まる。

 下敷きされて床に激突した鬼鼠成が吐血した。見ればケンの片膝が鬼鼠成の胴体を抉っている。それによって破壊されたのは内臓か骨格か、どちらにせよ致命的であるのは疑いようもない。

 ケンは間を置かず、バラバラになったダイニングテーブルの支柱を一本を拾い上げる。支柱の先には砕けた天板が残っており、さながらハンマーのような形となったそれを、渾身の力でもって鬼鼠成の頭部に叩きつけた。

 何度も何度も。怒りを込めて、しかし冷静に最も効果的な部分を狙って殴打する。

 砕けた天板の断面は、木の繊維が剣山の様に屹立しており、それが鬼鼠成の頭部をかの如く変形させていく。

 幾度目か。殴打の雨に曝された鬼鼠成が痙攣すらしなくなった時だった。天井に空いた穴からもう一匹の鬼鼠成が雄叫びと共に、ケンの背中に飛びかかった。鬼鼠成の声には切実な響きがあった。彼らに眼はなくとも、仲間の惨状をありありと感じとる事ができるのだ。

 背中から抑え込むように掴みかかった鬼鼠成に対して、ケンは横方向に転がって、その拘束を毟り取るように脱出する。

 二人は即座に立ち上がり、一度距離を取る。

 ケンは上体を低く保ち、鬼鼠成は獣の如く手足を床に着いて地を這うような姿勢となる。

 互いに相手の出方の読み合いとなり、両者の間に緊張と静寂が走った時、天井から落下した一欠片の残骸が奇妙な音を奏でた。

 金属音。薄い金属板が叩かれたような高く短い音が下方から響いたのだ。

 ケンが視線を床に向けると、そこにはテーブルに置いていた包丁が転がっている。

 鬼鼠成も視覚以外の感覚にて、それを察知したようだ。

 『相手が眼前の得物を認識した』という事実を直感的に悟った両者は同時に地面を蹴っていた。

 始動は同時。しかし、地を這うよう姿勢が幸いしてか、包丁を掴み取ったのは鬼鼠成だった。

 わずかに鬼鼠成の口角が上がる。それは勝利への確信が漏れ出た笑み。

 仇敵を刺し貫き、その命を絶つべく、包丁はケンの胸へと突き出される。


 その切っ先の向こうにケンの姿はなかった。


 鬼鼠成は不可思議な感覚を味わっていた。包丁は虚しく空を切った。自分の眼前には獲物はいない。眼が無くとも、強化された他の感覚によってそれは把握できた。


 では、獲物は何処へ消えたのか?


 困惑と緊張が鬼鼠成の時間感覚を引き延ばす。

 スローモーションになった世界で鬼鼠成は感じ取る。頭上からの殺意、振り下ろされるプレッシャー。結びついたイメージは『雷』。天より来たる雷撃を避ける術はない。

 鬼鼠成の頭上に、その頭蓋を粉砕すべく打ち下ろされたケンの肘が迫る。

 ケンは初めから包丁を取り合うつもりなどなかった。かわりに高く跳躍し、最高到達点三メートル五十センチからのエルボードロップを放つ。

 包丁という『餌』にかかった鬼鼠成に行動する猶予はなく、頭部にてケンの肘を受け止めることしか出来なかった。

 それは北欧神話の神が振るう鉄槌の如く、憐れな怪物の頭蓋骨を打ち砕く。

 鬼鼠成の脳に訪れる明滅と混濁。怪物の意識は、蜘蛛の糸のように細い線で、かろうじて現実に繋ぎ止められていた。朦朧としたようにフラフラと足元が覚束ない。その耳が、再び地面を蹴る音を聞いた。

 鬼鼠成の顔面に、綺麗に揃えられた両足がめり込んだ。僅かな助走、そして渾身の跳躍から放たれたケンのドロップキックが炸裂する。

 鬼鼠成は、自らの体のあらゆる部分が砕け、断裂する音を聞いた。意識を置き去りに、後方へと吹き飛ばされる。壁が鬼鼠成の身体を受け止めたが、すでに怪物は事切れていた。


 ケンは死骸となった二匹の怪物を一瞥し、一息つく間もなく玄関から外へ出る。隣接する納屋に向かい、扉のナンバーロックを解除して中へ。

 内部は暗く、鉄と木材の匂いに満ちている。ライトを点ける前に、扉横に置いてあった斧を手に取った。この納屋の何処に、何があるのかを、ケンは正確に把握している。

 ライトを点灯させる。納屋は物置き兼作業スペースとなっていて、奥の壁には作業台が取り付けられ、壁に設置されたパンチングボードには各種工具類が収められていた。

 納屋の中央にて斧を頭上から振り下ろす。その一撃が床板に爪痕のような穴を穿つ。その穴から覗く暗闇を見て、ケンは眉間に皺を寄せた。かつて自らの手で封印した過去と目が合ったのだ。

 振り下ろすこと十数回。床に縦一列の大きな亀裂を作ると、ケンは斧を放り投げ、手袋を装着して亀裂に手を突っ込む。亀裂を起点として床板を剥がし始めた。木材の軋む音、割れる音が納屋に木霊する。抉じ開け、核心へと迫る。

 床板という覆いが取り除かれ、暗闇に隠れていたものが光の下に晒される。

 無機質で埃にまみれたコンクリートの床に、金属性の両開きの扉がはめ込まれている。取手に付けられた南京錠を見て、ケンはボルトカッターを手に取った。

 もう開けることもないだろうと、鍵は捨ててしまっていた。

 錠前に刃を噛ませる。ハンドルに力を加えると、弾けるような音と共に南京錠は落ちた。

 扉の取手を掴む。固く封印したはずの扉が、ものの十分程度で再び開こうとしている事実にケンは苦笑する。

 扉が開く。門が再び開いたのだ。

 中には2つの大きなアタッシュケースが収められている。ケンはそれを取り出して作業台の上で開封する。

 この2つケースは、言わばタイムカプセル。開ける事は、封印していた過去を解き放つ事に等しい。

 ケンの顔に冷徹さが宿る。鋼の意志を感じさせるそれは、まるで欠けたギアが元の位置で噛み合うように彼に馴染む。

 第一のケースを開ける。スポンジフォーム上に白銀の鳩を従えた、黒き天使が横たわっている。

 これは復活の儀式。天使をその手に抱き、解体する。天使を構成する一つ一つを細密に見定め、一点の瑕疵もない事を確認する。ケンの手によって解体された天使は、彼の手によって再びその形を取り戻す。死の種を蒔く黒い天使。MP-5サブマシンガンが顕現した。

 天使には輩が必要だ。ケースに依然として横たわっている白銀の鳩に手を伸ばす。この白き使いも天使同様に、解体を経て再びその形を取り戻した。

 黒き天使が引き連れる白銀の鳩。ベレッタM92Fが舞い降りる。

 第二のケースに収められているのは、彼の道行きを支える装衣たち。ケンはチェストリグとモジュラーベルトを素早く取り付ける。各種ポケットに弾倉、ナイフ、工具類、ライトなどを格納していく。MP-5にはストラップを付けて袈裟にかけ、ベレッタM92Fは脚のホルスターに納める。

 第一の優先目標は、宮田夫婦がいる病院の安全確保。ケンが納屋を出ると、電柱に取り付けられた町内放送スピーカーから大音量のアラートが鳴り響く。緊急避難勧告が発令された。

『現在、■■町内において多数の不審者が確認されております。当地域の住民の皆様に危険が及ぶおそれがありますので、屋外におられる方は速やかに屋内へ退避して下さい。屋内におられる方は窓や扉の施錠を行い、決して外出されないようお願い致します。繰り返します……』

 市街地の方へ目をやると、そこには動乱の気配がした。風に乗って悲鳴が、天に昇る炎と煙が、闇に蠢く邪悪な笑い声がそこにあった。

 ケンはこの喧噪を知っている。かつて彼が派遣された幾多の紛争や内戦、その戦場はいつもだった。そう、それはまるで――


「神に見放された町……」

 

 平穏を望んだ『死神』と呼ばれた男。

 

 愛する者を傷つけられ、死神は再び舞い戻った。


 彼の逆鱗に触れて生き延びた者はいない。


「俺は笛吹き男ほど甘くはないぞ」


 神が去った町で、鬼と死神の頂上決戦が始まる。



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

見放された町 葦名 伊織 @ashinaaa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ