第11話 嗅覚

 夕方からのシフトに間に合うように家を出ると、かすかに花の匂いがした。

 大通りに出る道沿いをそれて、入り組んだ住宅街の間を抜けるルートを選ぶと、途中に大きな白い家がある。三階建てに玄関がふたつ、このあたりでは一番と言っていいほど立派な建屋だが、もっとも目を引くのが庭一面に植えられたラベンダーだった。白く霞んだ葉が所狭しと重なり、家の数十メートル手前から嗅覚を刺激する。玄関アプローチもほとんどがラベンダーで覆われ、庭につながる通用口はもはやひとを通さない飾りのようだった。

 実家にいたころも、近所に毎年ラベンダーを咲かせる家があった。それが反射的に嗅覚から、記憶へと結びつく。

 大通りに出てすぐの交差点で、同じアルバイト講師の羽田さんと行き合った。

「潮見君のところ、もうそんなに授業進んでるんだ」

 丸くした目を覆うまつげがくるりと上を向いているのがわかるほど、彼女の目元ははっきりしている。髪の動きと表情の変化に合わせて動くところも、今どきのアイドルみたいな印象をもたせる。

 暗くなってゆくまちを歩きながら、吐く息の白さを確認する。冬が近づいていた。

 受け持ちの生徒の授業の進捗を確認したり、互いの学校のことを他愛なく話す。駅の最寄りにはいくつかの短大や専門学校、さらに足を伸ばせば私立大学もあるが、彼女と話すようになるまでは同じ大学のやつとばかり話していた。その気さくさは貴重だな、と思う。

「羽田さんってだれとでも仲良くなれるタイプだよな」

「ええ、そうでもないよ。結構食わず嫌いするし」

「そんなふうには見えないけど」

「そんなふうに見せたらひとが寄り付かないでしょ」

 手を振りながら気前よく笑う。その明朗な姿からはだれかを嫌うところなんて想像できなかった。俺が彼女とこうして話せているのは、間違いなく彼女の性格のおかげなのだ。

 そう言うと羽田さんは少し考えてから

「こんな言い方したらいじわるかもしれないけど、潮見君って、なんていうか、あんまり他人に興味ないでしょ。や、興味ないっていうのとは違うのかな。ほかのことで手一杯って感じ?」

 首を傾げてたずねられて、自分ではよくわからなかった。心当たりはないと言えばないし、あると言えばあるけれど、だれだってそんなものなんじゃないだろうか。

 駅前は飲食店が多く、あたりが明るいせいで星は少ないけれど、月がオレンジ色を帯びて空にかかっていた。羽田さんとわかれて指定のブースで授業の準備をはじめる。

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