友田と西岡の場合

友田と西岡の場合 前編


 指先がスマホの上を滑る。指の動きに合わせてディスプレイに表示されているものが動く。それからしばらく繰り返された動きが、ある場所でぴたりと止まった。

「ねぇ。ヤバい」

「今度は何を見つけたの? 友田のことだから、どうせろくでもないことだろうけど」

 友田と呼ばれた女はがばりと顔を上げる。視線の先には、何の変哲もない教室が広がっていた。時計の針は昼を指している。どこか眠たそうに見える瞳が友田の真剣な表情を捉え、大して期待していない様子で言葉を待つ。

「言ってみ?」

「あのさ。先週、橋本先輩が昼にカップ麺食べたって投稿してたの覚えてる?」

「あー。友田がその投稿見て、食べたくなってきたとか言ってカップ麺買ってたっけ」

「消えてる」

「なんでだよ。なんの為の嘘だよ」

 全世界のSNSから嘘が消えて一週間。人々はまだ新しい世界に順応できずにいた。有志によって検証がなされ、新たな嘘を投稿することができなくなっていることも判明していた。また、過去の投稿を無闇に消せない制限を受けている者もおり、多くの人間が針のむしろとなっている。

 裏表の無い性格が幸いした友田と、元々SNSに関心が無かった西岡は、この世界の数少ない勝者と言えるだろう。完全に他人事だからこそ、二人は世界を滑稽な見せ物として扱えるのだ。ちなみに、友田はこの騒動があってから三名の友人を失っている。

「みんな嘘つきすぎじゃね?」

「色々事情があるんじゃない? カップ麺の件はマジで意味不明だけど」

 西岡は自らの長い髪を撫でて笑った。橋本先輩というのは友田が過去に所属していた軟式テニス部の先輩であり、部長である。ちなみに友田は入部から三ヶ月で退部しているので、赤の他人に限りなく近い相手である。直接話したことは無いが、西岡の中で、橋本の印象が虚言癖のある女としてインプットされつつあった。こればかりは仕方がない。

「にしてもあれ面白かったな。友田の友達の話」

「あたしの? あぁ、中学の?」

「そうそう」

 相づちを打ちながらも、西岡の口元は緩んでいた。西岡は滅多に笑わないが、ろくなことで笑わない女である。

 友田は裏表がないという長所と引き換えに、空気が読めないという短所を持ち合わせていた。三日前、友田は唐突に友人を三名失った。それも完全に。いや、元々友人と呼べるような間柄ではなかったのかもしれない。しかし、高校が散り散りになってしまってからも、定期的に顔を合わせる仲ではあったのだ。友田はしばらく前から、その三人による所謂マウントと呼ばれる行為が目に余ると感じていた。学校のテストの点数も恋人の有無も家庭の裕福さも、友田にとっては然程重要なことではない。しかし、彼女らはそれを競っては相手を見下し続けた。そして運命の日、自らの幸福を見せつけるような投稿が、彼女達のアカウントから消えたのである。顔を合わせた際に、友田は何の心構えもなく話題に出し、自らを気まずさの最前線へと送り込むという暴挙に出た。いや、他者から見れば間違いなく居合わせたくない場面であるが、友田は何も感じていなかった。「みんなの投稿、嘘ばっかだったね!」と笑顔で言い放った瞬間の友田は、最強を凌駕する最狂だった。

「思っても言うなって、本当に」

「あたしは嬉しかったんだけどな。みんな嘘で良かったじゃんって思ったし」

「どゆこと? みんなで嘘ついてるって終わりじゃん」

「あのマウントの取り合いで一人だけ事実だったらそれこそ終わりじゃん」

「確かに」

 西岡は、友田の少し変わったものの見方を好いていた。自らが用意した物差しで起こったことを見つめており、さらにその自覚が無いところも。肩くらいまで伸びた毛先が、少し外に跳ねている。西岡から見た友田は、どこを取っても友田だった。きっとその毛先が内巻きになっている日があったなら、西岡はそれなりに彼女を心配するだろう。

「わ」

「どうした」

 痛い目を見てからも、友田がSNSで人々の過去を漁り続けた。本人曰く面白いからである。その行為を屈託のない笑顔で面白いと称するところに西岡は少し歪みを感じたが、興味の赴くままに生きるのは非常に友田らしいので特に指摘するようなことはなかった。

 友田は、わざわざ西岡に見せるようにスマホを構える。口頭で言ってくれればいいのにと、画面を覗くことを面倒に思った西岡は小さくため息をつく。

 ——お父さんマジで嫌いだ。死んでくれ

「わ」

 奇しくも友田と同じ声を上げてしまった西岡だったが、友田はそれを指摘することなく苦笑いをした。投稿した主は隣のクラスにいる男子である。二人とも、名前くらいは知っていた。

「これは嘘であって欲しかったよね」

「それ」

 嘘が封じられてからというもの、世界の人間は否応無しに現実と向き合い、また過去についた嘘と向き合うことを強要された。それは自分の抱える嘘はもちろん、誰かの嘘を目の当たりにし、要するに真実を見つめることとも言える。暴かれることを想定していなかった嘘のエグみを、強制的に体験させられた世代とも言えよう。コロナの時分も暗いニュースが多かったが、一九九〇年代を知る者は言う。まるで世紀末のようだ、と。二〇〇〇年問題やノストラダムスの予言など、混沌とした話題によって漠然とした不安を煽られた、あの頃に似ている。後世に残るのは、コロナではなく嘘が消えた時のことではないか、と評する者も少なくない。

 友田と西岡は、その両方を体験しており、どちらにも苦労させられている。学生時代という多感な時期に巻き込まれた側としては、どちらがより大変かなど軽々しく論じて欲しくないとしか言いようがないのだが、二人は若者である。そして意外と大人でもあった。まず、コロナの苦労など過去と割り切っている。大人達が憐れむほどの楽しいことが流行り病によって奪われたという認識があまり無いので、意外とけろりとしていた。さらに、この度の騒動については、楽しんでいる。

 それからまもなく午後の授業が始まったが、友田は板書とスマホで忙しくしていた。教師の言葉はほとんど聞いていないが、いい成績を修めるのが彼女の目的ではないので、授業態度が改められることはない。隣の席の西岡はそれを視界の端で捉えながら、授業後に何か面白いニュースでも聞ければいいと微笑んだ。


 友田が西岡を呼び止めたのは、放課後になってからだった。その前の休みは移動教室だったこともあり、少し時間が無かったのだ。

 深刻な表情を浮かべた友田は、着席したままの西岡の横に立つ。顔を見上げられるよりも早く、その肩を抱くように腕を回した。元より友田は気安く触れてくる方であったが、その接触には悲しいほど意味がないのだ。しかし此度のこの触れ方には、何かしらの意味があるように感じる。

 西岡の分析によると、友田はスキンシップが好きという訳ではない。単純にパーソナルスペースが皆無であり、その辺のデリカシーに欠けているのである。つまり本当に何も考えていないだけと言える。本人が聞いたら流石に傷付きそうな分析だ。

「どした」

「えと、あたしにはもう。西岡しかいない」

 何か重要なことを告げられる。西岡はそう感じていた。要するにらしくないスキンシップを試みた友田だが、心の内を明かす前からメラメラと燃えていることだけは分かる。西岡は彼女の胸に燃える熱意を不審に思いながら、とりあえずは訳を訊くことにした。

「……何が投稿できて、何がダメなのか」

「あぁ、うん」

「西岡は気にならない!?」

「別に」

「だよね、気になるよね。良かったよ、同じ気持ちで」

「うわ怖」

 全く話の通じない友田に恐怖を覚える西岡だったが、友田が強引に巻き込もうとしている人物として抜擢されることは光栄であった。派手めなうるさい女子と、あまり人と話をしようとしない高嶺の花のような女子の二人は、お互いがお互いにとって特異点のような存在だった。

 タイプが違うと感じている友人から相棒のように扱われて、西岡は柄にもなく浮ついた心でいた。一方、友田は必死である。しかしそれと同時にもう割り切ってもいた。西岡が断ろうとも計画は実行する。好奇心に忠実な彼女は、もう止まれないだろうと近い未来を占う。

「どこまでが嘘ということになるのか、検証したいんだよね」

「なんかすごい下らないこと言いだしたな……」

 明らかに呆れた表情を浮かべる相棒には目もくれずに、友田は投稿準備を開始する。間もなく「とうこ〜う!」という声がして、西岡は投稿の内容を問う。

「投稿する前に言ったら却下されるかもって思って、ナイショだったんだよ」

「そう。で? なんて?」

「西岡愛してるぞー! って」

「ふぅん」

「興味なさそうじゃん」

 実際、西岡は興味がなかった。自分の名前を出されようと、所詮苗字であることと、それほど珍しい名ではないことも関係しているが、何よりその発言が影響を及ぼすところに自分が居ないのだ。今時SNSの一つもやっていないのかと変人扱いされることはあるものの、インターネット上のいざこざに巻き込まれる面倒を考えると前者の方がよっぽど気楽である。それに、一介の女子高生の発言など、関係者くらいしか見ない、可愛いものである。少なくとも西岡はそう考えていた。だから、悪ふざけが好きな友田が何を言ったところで、ダメージを受けることはない。当然、勝手に自分の写真を投稿するようなことがあれば嫌な顔くらいはするだろうが。

 しかし、結論から言えば、西岡は少しだけ傷付くことになる。

「え!? 投稿できないんだけど!?」

「うわ……友田、お前……」

 私のこと愛してないんだと呟く西岡と、慌てる友田。一頻りそのやり取りを楽しみ、話を戻したのは西岡の方だった。ホームルームが終わったばかりの教室はまだ賑やかさを保っており、二人の会話が誰かに注目されることはない。

「で。今ので何が証明されたの? 友田が私を愛してないってこと?」

「ぐっ……まぁそうだけど。じゃあこれをちょっと変えて。見てて」

「はいはい」

 友田は自分の椅子を西岡の椅子にぴったりとくっつくように移動し、西岡にも見えるようにスマホを構える。愛してるぞー!、という文字を消し、好き♥ と入力する。滑らかに動く指先を見つめて、西岡は誰にでも言ってそうだと苦笑する。

「投稿ー……できた!」

「好かれてなかったらさすがの私も本格的に凹んでたと思うわ」

 はしゃいだのは間違いなく友田であったが、安堵の表情を浮かべているのは西岡の方であった。見えない何かに心を試されているような気分の悪さはあるものの、証明された好意に口が緩む。なんともちぐはぐな状況だった。



 翌日のことである。友田は西岡を拘束しておきながら理由を話さないという、意味不明な行動に出た。きっと人に聞かれたくない話だろうと、西岡は友田が口を開く気になるのを待った。しかし、人がまばらになった教室ではまだ足りないらしい。痺れを切らした友田は立ち上がると西岡の手を引く。

「え、何?」

「こっち来て」

 誰もいない教室を探すというのは存外難しいものである。授業が終わっても、各部活動の生徒達に割り振られている教室がほとんどで、二人に居場所など無かった。それを察した西岡は、自分でも柄じゃないと痛感しながらある提案をする。

「……そんなにあれなら、カラオケでも行く?」

「え!? 西岡って何歌うの!?」

「歌いに行くんじゃねーわ!」

 ぺっと友田の頭を叩き、西岡は「で。どーする?」と聞き直す。社交的な友田はこれを断る術を知らない。メンツによっては、小遣いを前借りしてでも、褒められたことではないが人に借りてでも顔を出す女である。余りに嬉しそうに頷く友田を見た西岡は、慌てて歌いに行く訳ではないと釘を刺すことしか出来なかった。


 話をするだけだから一時間でいいよね、と、西岡は何度も言い聞かせることを覚悟していた。しかし、友田は順番待ちのカウンター前で、一発で了承してみせたのである。財布が相当寂しいことになっているか、別に事情や用事があるか、その聞き分けの良さの背景をつい考えてしまう西岡であったが、余計なことを言って時間を延長させてしまうのは惜しい。カウンターで渡されたマイクの入ったカゴを当然のように友田に持たせると、記憶した号室へと向かった。

 少し重たい扉を押して、先に部屋に入ったのは友田である。中に入るなり、振り返って「いらっしゃーい!」と言ってみせるが、西岡は特に反応することなく、鞄を席の上に下ろす。友田は特に気にしていない様子で、西岡が座るであろう場所のすぐ隣に腰を下ろした。

「なに飲む? 誘ったの私だし、一杯奢るよ」

「マジ!? やった! オレンジジュース!」

「私はウーロン茶にしようかな」

「歌う時にウーロン茶って、喉キュってならない?」

「歌わないっつってんだろ」

 よく分からないタッチパネルの操作は友田に任せて、西岡は足を組む。手際よく飲み物のオーダーを通す様子を見て、西岡はこの店の会員証すら入っていない自分の財布のことを思い出した。つくづく別の生き物である。しかし、その生き物が自分だけに聞いて欲しい話があると言うのだ。西岡は家庭の事情や、他人には共有しにくい友人の悩みなどを想定して、友田の準備ができるのを待った。

「注文したー。じゃ、本題入っていい?」

「早いな。まぁいいけど」

 何故徹底的な人払いを望んだのか。その理由について知りたいと思った西岡だが、きっと話を聞けばおのずと分かるだろうと口を噤んだ。友田はスマホを手に取って何かを見せようとしたが、すぐにディスプレイを暗くして、顔を上げる。

「あたしさ、面白い投稿、探してるじゃん」

「あぁうん」

 それは言われるまでもない。西岡は心の中でそう相づちを打った。面白い奴で、面白いことを常に探している、それが友田なのだ。西岡は、家庭や友人とは関係の無い話である気配を察知して少しだけほっとしていた。

 人生経験の浅い自分なんかに手に負える話ならいい、そんな気持ちで友田の言葉に耳を傾けようとしたが、友人に何かしてやりたいという優しさや、少しばかりの緊張が、たった一つの発言によってかき消された。

「死体を埋めたって投稿、見つけちゃったんだ」

「は」

 どうせ嘘だ。そう言おうにも、社会は、いや世界はそれを許さない形になった。嘘であるはずがない。西岡はそれを痛いほど理解している。当然、友田は西岡以上に痛感しているはずだ。何せ社会がそうなってから、世界でも指折りと言っていいほど、この状況を楽しんでいるのだから。興味深い投稿を探し、それを他人に共有することが何年も前からの生きがいであるかのように振る舞う彼女が、人に聞かれることを気にするほどの出来事。友田がこの投稿を軽視していないのは明白だった。大きな秘密の共有相手として友田は西岡を選んだ訳だが、今の彼女にそれを光栄に感じる余裕はない。

「あの、あたしをフォローしてくれてる人でさ。ルルっていうの。基本的に見る用のアカウントらしくて、あんまり投稿は無いんだけど」

「う、うん」

「でも、プロフィールには同い年って書いてあるから、フォロー返してて」

「……あのさ」

 西岡はそこで初めて基本的なSNSの仕組みについて尋ねた。さすがに大体はイメージできるが、彼女が気になっていることについて確認する為には、細かい仕様を訊く必要があったのだ。

「つまり、そのルルって子は、見ようと思えば誰でも見れるような形で、そんな投稿をしたってこと?」

「そうなんだよね。まだ、あたししか気付いてないと思うけど」

「なんで?」

「さっきも言ったじゃん、基本見る用のアカウントだって。だからフォロー返してるのあたしだけなんだよね。フォロワーは他にもいるけど、みんな業者っぽいっていうか」

「聖人か?」

 誰からもフォローされていないようなアカウントにフォローを返すという、普段自分が触れられない形の優しさを発揮する友田に、西岡は少しだけ戸惑った。自分なら絶対に返さないだろうな、と己の冷たさに向き合いながら、友田の言葉を待つ。

「埋めたって投稿と一緒に、景色の写真があったんだよ。ほら、これ」

 友田はスマホを西岡に見せる。友田による文字の見間違いだったりしないかと期待した西岡だったが、そんな淡い希望は打ち砕かれた。友田の話す言葉は事実で、さらに過不足無いものであった。友田の手中にある夕陽の写真は、死体という言葉と共に見せられているのにどこか儚げで、西岡は得体の知れない何かに胸を打たれそうになる。

「……これ、通報した方がいいかな」

「関わらない方がいいよ」

 西岡は極めて現実的な返答をしてみせた。心の何処かでそう言われるのを理解していたのか、友田の表情は変わらない。これ以上、厄介事に首を突っ込んで欲しくない、それは西岡の友人を想う素直な気持ちだった。詳細が気にならないと言えば嘘になるが、リスクが大きすぎる。

「それに、人間の、なんて言ってないじゃん。毎日吠えてくる犬とかかも」

「それはそれで怖いな」

「まぁね」

 西岡は、今は友田の興味を逸らすことが最優先であると考えた。役目を果たすことは無いだろうと思いながら受け取ったカゴからマイクを手に取り、抗菌済みと書かれたカバーを引っ剥がすと、友田に渡した。

「え?」

「私は歌わないけど、聴くくらいならしてもいい」

「……素直じゃないなー!」

 ニコニコとタッチパネルを操作する友田だが、分かっていた。これが西岡の作戦で、友人を想う優しさだということを。ならば、自分にできることは話を続けようと食らいつくことではない。友田はデリカシーが地の底だが、人の優しさを受け取れない女ではないのだ。

 手際よく入力してモニターの下にある機器に信号を飛ばすと、友田はマイクのスイッチを入れて声を通す。

「じゃあ西岡に捧げる曲、歌っちゃうよー!」

「はいはい……って、ラブソングじゃねーか!」

 こうして、友田の短いリサイタルが始まった。ルルの投稿を見直して友田がはっとするのは、この日の深夜のことである。



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