友田と西岡の場合 中編
西岡は深い溜め息をついた。それは友田のせいではない。ルルが悪いかといえば、そうとも言えない。ただ、西岡は顔も知らないルルを少しだけ嫌いになった。
「この景色、隣の県で見たことあるんだって。思い出したの」
「だから何? 昨日、私は友田になんて言った?」
日頃より雰囲気のある西岡だが、今は全身から他者を威圧するオーラを漂わせていた。友田はそれを感知しながらも、引きたくないという己の心に従う。
「分かってるよ。西岡を巻き込みたくない」
「分かってない」
知った風な口を利くな。西岡の目はそう言っていた。最近、仲良くなれたと思っていた友田はその視線に傷付いたが、西岡はさらに言葉を続ける。
「私は、巻き込まれたくないんじゃない。友田が巻き込まれるのが嫌なんだ」
「西岡……」
「こんなこと言わせんなって」
口にしてから、西岡は損な役回りだと思う。友田のような鈍感な人間と一緒にいれば、言葉にする機会を迫られるのは、どう足掻いたって友人であるポジションの人間である。
そこで会話が終わったなら、もしかすると西岡は友田を大勢いるクラスメートの一人と割り切ることができたかもしれないが、そうはいかない。友田は心から嬉しそうな顔で、座って頬杖を突いていた西岡に抱きつく。顔に当たる胸をウザったく思いながらも、西岡は絆されていることを自覚した。
「んーーー! 好きっ!」
「うっさ」
「じゃあ、一緒に探してくれるよね?」
「流れ変わったな」
やめろと言って、友田が理解して、それで終わりだと思っていたのに。いや、そうなるはずだった。友田以外が相手だったならば。しかし、友田は友田なので、理解を示すよりもどうやって一蓮托生と西岡を諦めさせるかを思案する。
「西岡に何かあったときは、あたしが付き合うし」
「別に付き合っていらない。マジで軽卒なことしない方がいいよ。それだけ」
「でもさぁ」
「ほら、授業始まるよ」
西岡の味方をするように予鈴が鳴る。真夏日にべたべたとくっついてくる甘えたを引き剥がすと、西岡は机から現国の教科書を取り出した。机にノートと筆箱を並べて右斜めを見上げると、不服そうな表情の友田が立っている。秘密を打ち明けられたのは自分だけ、つまり自分が断れば友田は共犯者を失う。友田は基本的に自分のことしか考えていないが、西岡は友田のことも考えている。そして性格も理解している。昨日は窘められて席に座った友田が、新たな発見に再び立ち上がったことについても、彼女の性格を考えれば当然だろうと諦めることができた。しかし、友田はそれほど西岡を理解していない。抗議するような表情で西岡の傍らに立ってみても無意味であるということを、知らないのだ。
「好きにすればいいけど、そこにずっと立ってて怒られるのは友田だよ」
「なんだよー! もー!」
目も合わせず冷たく言い放たれて、友田はやっと自分の席へと戻った。歩いた距離で言えば二、三歩かもしれないが、この歩みは友田の敗北を意味している。どうにかして西岡を説得できると楽観的に考えていた彼女が次に考えることは一つ。一人で隣県へと向かうことである。
帰りのホームルームが終わると、友田はすぐに荷物をまとめた。机にぎっちりと入った教科書類はそのままに、鞄にはスマホの充電機や化粧ポーチ、財布を収納している。立ち上がってちらりと横を見ると、西岡はじっと友田を見つめていた。しおらしく帰り支度を整えて、盗み見るように西岡に視線を向けた一部始終を、本人に見られていたのである。恥ずかしさを誤摩化すように、なんだよーと言ってみせると、西岡は机の横に掛かっていた通学用のリュックを持って立ち上がった。
「友田って、本当に分かりやすいっていうか」
「え、何が?」
「もう帰るの?」
「う、うん」
西岡のやけに冷たい言い方に肝を冷やした友田だが、嘘はついていない。学校を出ようとしていることは本当だった。ただ、真っ直ぐ帰らないつもりでいるだけである。
友田はたまにすれ違う学友に挨拶をしながら昇降口へと向かった。目を瞑っていても辿れるほどに慣れた道だが、ずっと違和感が付き纏っていた。それを振り切るように、少し早足で自身の下駄箱を目指す。しかし、違和感は遠くなるどころか、強くなる一方である。
靴を履き替えて、上履きを下駄箱に戻す途中、耐えきれなくなった友田はついに周囲を見渡した。
「……西岡。何?」
「何って?」
「いや、あたしについてきてない?」
「さぁ」
すぐ隣に立っていた西岡だが、友田の問いには実につまらなさそうに返答する。下駄箱から靴を取り出すと、履き替えてつま先を鳴らす。友田はその様子を監察していたが、目が合うことは一度も無かった。西岡はポケットからスマホを取り出し、なにやら指先をすいすいと遊ばせている。
「……じゃ」
「うん。また明日」
挨拶は簡素だが、声色はいつもの西岡と変わらない。それを確認すると、友田は再び歩き出した。校舎から出ると、校門を目指す。当然、向かうは家ではなく駅。道中、友田はSNSアプリを開いた。もう一度あの投稿を見ようとしたが、予想外の出来事に足を止める。
「え……」
自身の正確なフォロワー数を把握していない友田は、気付くのが遅れてしまったのだ。自分のフォロー一覧をいくら遡っても、ルルという名のアカウントが存在しない。道の端に寄って、指先を動かし、フォロー一覧を遡って三度目。友田はようやく諦めたように声を発した。
「消えてる……」
消えた理由については、いくらでも推測できた。証拠を消す為に自分で消したか、通報された可能性もある。友田は投稿を削除したいと思うことがあまり無いのでその辺に明るくないが、一度投稿してしまうと自由に取り消すことができない場合もあるという噂については知っていた。
しかし、目当てのアカウントが削除されてしまっていることよりも、気に掛かることがあった。立ち止まったおかげで気付けた気配のことである。
「……素直じゃないよねぇ」
「何が?」
「ついてきてくれるんじゃん」
「……消えてるって、まさかあのアカウント?」
隠れるつもりがあるのか無いのか、判別しがたい距離を取って、西岡は友田の後ろを歩いていた。立ち止まったお陰で追いついてしまい、今は友田と肩を並べている。西岡の方が肩の位置が高く、友田は少し見上げる。いつにも増してぶっきらぼうな西岡だが、横顔は普段通りである。しかし、決して目が合うことはなかった。気になってついてきてくれたことについては、これ以上言及すべきではないらしい。ようやくそう悟った友田は、西岡の問いに答えることにした。
「うん……いつ消えたんだろう」
「最後に見たのは?」
「昨日の朝だよ」
昨日の朝といえば、友田がまだこの秘密を誰にも共有していないタイミングである。その矛盾を、西岡は即座に指摘した。
「でも、カラオケ行ったときに見せてくれたじゃん」
「あれは、投稿を消されちゃうかもと思ってスクショ撮っといたのを見せたんだよ。わざわざあのページ遡るのもめんどくさかったし」
「あぁー……」
友田にしては賢明である。西岡は心の中でそう思った。自分達を惑わす元凶が消えてしまった、西岡はこの状況をそのように捉えていたが、友田は違う。だからこそ、西岡のような迷子の瞳をしていない。
「ま、関係無いよ。だって、消えたのはアカウント。死体じゃない」
「……あくまで確認をしにいくってワケね」
臆することを知らぬ目は、西岡の中にいる友田と完全に重なる。西岡は、やはり今日の帰宅は遅くなりそうだと、友田に見えないように笑った。しかし、完全に想定外だった質問が西岡に降り掛かる。
「うん。どうする? 来る?」
「は? 今更? ついてきてって言ったのは友田のくせに」
友田は誤解している。何度もしつこく誘われたから、西岡は仕方なしに折れてくれたものだと思っているのだ。しかし実際は違う。西岡は友田と連れ立ってどこかに行くことを、全く苦に思っていない。友田が何かに巻き込まれて欲しくない、西岡の心はそれ以上でも以下でもなく、簡単に揺らぐものでもなかった。自分がブレーキの役割を果たせないのであれば、友田の誘いを断った意味が無いのだ。
人の気も知らないでと、喉まで出かかった言葉を西岡が飲み込むと、友田はあっけらかんとした様子で言った。
「そうだけど、電車賃結構かかるって忘れてたんだよね」
「なんだ、そんなことか。心配して損した」
「そんなことじゃないじゃん!」
全然往復で千円以上するよ!? という、よく分からない脅しを聞き流しながら、西岡は友田を追い抜いていく。「そりゃそうでしょ。隣の県なんでしょ?」と言い、颯爽と歩き去ろうとしている西岡の背中を、友田が追い掛ける。互いの金銭感覚の違いを晒し合った二人は、今度こそ駅へと向かった。
最寄り駅に到着した二人は人の往来を眺めながら不思議な気分で居た。二人の暮らす場所から隣県はそれほど離れてはいないが、放課後に県を跨ぐなど、家庭の事情でもない限り起こり得ないことである。
改札へと向かう前に、西岡はICカードに入った金額を確認して、少し多めにチャージすることにした。その様子を、友田はばつが悪そうに見守っていた。
「あの、出してあげられなくてごめん。誘ったのあたしなのに」
「ついていくって決めたのは私だし。むしろ友田が出すって言うなら全力で断ったよ」
「うぅ……でも、ごめん」
「どこかの誰かさんと違って、私あんまり無駄遣いしないし」
「あー! あたしの悪口言った!」
「はは。ほら、行こ」
気にするな、西岡が言いたいのはただそれだけだったが、そのまま伝えても友田の気は収まらなかっただろう。その場では納得した素振りを見せても、自分ならきっと気にする。西岡なりに友田を思いやった言動だった訳だが、友田は西岡の腕を取って強く引いた。次の電車、確かもうすぐ来るよ。そう言って先導する友田の表情には、既に電車賃のことなど頭に無かった。西岡はその程度のことで気を悪くするような女ではない。むしろ、様々なものに興味を引かれ、目まぐるしく頭の中にあるものが置き換わっていく横顔を楽しんでいた。西岡にとって、友田の隣はそれを観察できる特等席だった。
「あと十分あるけどね」
「そうだけど!」
「大丈夫、時間さえ守れば電車は私達を置いていかないよ」
二人が改札を通ろうとしている牧田駅は、主要な駅ではない。特急は止まらず、時間調整の為に停車する駅でもなかった。ただ逸る気持ちが抑えられない友田とは別に、西岡には早めにホームへ向かう理由があった。
無事に改札を通った二人は、ホームに向かう。ちなみに、上りか下り、二種類しか無いので、相当な方向音痴でもない限り、この駅で乗り場を間違えることはない。
階段を上がりきると、友田はスマホを取り出して、念入りに現在時刻を確認する。その間、西岡は記憶の中に存在するあるものを探していた。
「あったあった」
「え? なに?」
普段、二人は電車に乗らない。車での移動がメインの土地柄、電車を利用するのは友人と連れ立って何処かへ行く時くらいである。しかし、駅を利用するとなると大体が少し遠出になるので、頻繁にここを訪れることはなかった。牧田駅のメインの客層は通学に利用する学生と、車を既に手放した年配層である。
「前に来たときはあったんだけど、まだあってよかった」
今度は西岡が友田の腕を引く番である。最初は訳も分からずされるがままだった友田だが、西岡の目当てのものにはすぐに気付いた。いや、これほど存在感を発揮しておきながら気付かれない方が難しいと言えるだろう。
「キヨスクじゃん!」
「そうそう。一時間くらい電車に乗ることになりそうだし、なんか買ってこ」
「あ、あたしはいい」
「ふぅん。友田、チョコレート好きだったよね」
唐突な質問に動揺する友田だが、西岡は淡々とカウンターに置かれた菓子を眺めた。友田が好きだというチョコレート菓子もいくつか置かれていたが、なんとなく好きそうだという理由で板チョコではなく、アーモンドが入ったものを手に取った。その後、自身が好んで食べる海苔の菓子を手にして、ようやく隣を見る。
「飲み物は? いつもの? それともお茶とかにする?」
「え? いや」
「私一人だけ飲み食いしてるの嫌だし、付き合いなよ」
「……えと、じゃあこれ」
友田はカウンター横の冷蔵庫からペットボトルの紅茶を取り出すと、おずおずと西岡に見せた。そんな二人の微笑ましいやり取りに、レジ前に立つ中年女性は声を掛ける。
「袋はいる?」
「あ、鞄に入れるんで大丈夫です」
「そう。はい、じゃあ六八〇円ね」
「ICで」
友田が遠慮する隙を見つける前に、西岡は会計を済ませる。それから二人は店員に会釈をすると、近くのベンチに座って電車を待つことにした。あと数分で電車が来る。
「ねぇ、お菓子とか、マジでいいの?」
「いいって。っていうか私もチョコ食べるからね」
「分かってるって! ありがと」
「どういたしまして」
西岡は電車が来るであろう方をじっと見つめていた。線路の先を辿るように視線を向けている。その一方で、手元は器用に菓子の包装を解いていた。上の方を千切って切り取ると、ゴミをポケットにしまってパッケージを開ける。
「それ、前も食べてなかった?」
「よく覚えてんね。美味しいんだよ、これ」
「一個ちょーだい!」
「別に一個だけじゃなくていいけど」
ようやく視線を手元に戻すと、西岡は友田に取り口を向ける。中から取り出されたのは、海苔だった。海苔に梅が挟まっているお菓子で、西岡は学校でもたまにこれを口にしている。
「え、うま」
「でしょ」
「もちょっとちょーだい」
「だから一個だけじゃなくていいって言ってんじゃん」
友田が再び西岡の持つ菓子の袋に手を伸ばそうとしたとき、遠くから電車の音が聞こえてきた。電車に滑り込む時に鳴らす警笛の意味を知らない二人は、久々に間近で聞く音に顔を顰めた。
「行こうか」
「キヨスクに囚われたおばちゃんを置いて、ね」
「何言ってんだお前」
確かに囚われているのだとしたら、寝ることもできないかなりキツめの拷問にはなる。改めて友田の感性に苦笑すると、西岡は開かれたドアの向こうを目指した。
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