第10話

 次の日、夏期講習から帰ってきた灯は家の中を見渡してから言った。

「あれ、お母さんは?」

晩ご飯を作っていた君と俺は同時に振り向く。コンロの火だけ切って、2人で灯の元に行く。

「灯、お母さんのこと見えないの?ここにいるよ」

君が必死に呼びかけているが、灯には聞こえていないらしく「2階にいるのかな?」と言っている。

「お父さん?どうしたの、そんな泣きそうな顔して」

灯はいたっていつも通りに見える。でも、確実に変化が起こっていた。

「灯も…お母さんのことが見えなくなったのか?」

「え、そんなわけないじゃん」

「そんなわけあるんだよ。今、灯の目の前にはちゃんとお母さんがいるんだ。泣きながら、ずっと、灯って呼んでる」

灯の顔が一気に青ざめていく。

「じゃあ、私もお母さんが見えなくなったってこと。…違う!違う!絶対見えるもん!!」

灯の肩は小刻みに震えている。隣の君を見ると、絶望したまま立ち尽くしていて目は光を失っているように見える。

「ちょっと…勉強終わりで、疲れてるだけだよ」

自分に言い聞かせるように何回も小さく頷く。

「―ごめん、部屋で寝てくる」

鞄をもう1度持ち直して、静かに階段を登っていく。俺たちはその背中を何も言わずに見送った。

「…ご飯、俺が作るから。休んでていいよ」

俺が言うと、君は首を横に振った。

「ううん、何かしてないと落ち着かないの。だから、やらせて」

涙を手の甲で拭うと、君は立ち上がった。

「でも…」

「いいの、多分、湊くんもいつかは私が見えなくなると思うから。その前に、一緒にもっとご飯とか作りたいの」

君の目にはまた涙が溜まっていく。

「見えなくなんてならないよ。俺は、ずっと頼ちゃんを見てるから」

こんなの無責任に言っていいことじゃない。絶対に見えなくならないなんて保証はない。そんなことわかっている。

「でもっ!いつかは、見えなくなっちゃうんだよ。ほら、見て?これがその証拠」

君は細く白い腕を、俺に見えるように前に出す。

「昨日より薄くなってるでしょ?消えかけてるの。これからもっと薄くなって言って、何もなくなって見えなくなるんだ」

そんなこと、あるわけない。絶対見えなくなったりしない。そんなの嫌だ。俺たちは何も話さず、晩ご飯を作るのを再開した。

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