第19話

 わたしに気付いた千晶さんと目が合う。どうしようか考える暇もなく、千晶さんがツカツカとこちらに歩いてきた。

「ねえ、麗名ちゃん!うちの旦那見てないっ!?さっき旦那の会社から取引先との問題が起きたって電話がかかってきたんだけど、まだ帰ってきてないの!もう3時間も前に退勤したらしいのに…!」

逃げることのできない状況に頬がひきつる。

さっき見たことを言うべきか否か。千晶さんはこの前旦那さんの浮気現場に遭遇していて、もう不倫されていることは知っているが、だからといって告げ口するようなこと、あまりいい気はしない。

「…隠さないで、お願い。何か知ってるなら教えてほしいの」

「でも…っ」

「いいのよ。どうせ不倫されてることくらいわかってるし」

大学生くらいの、笑顔が眩しい男の子だった。あの子が自分は千晶さんの旦那さんの不倫相手であるということを知っているのかはわからない。

「麗名ちゃん、お願い」

目の前で深々と頭を下げられては、これ以上渋るなんてことはできない。一旦私の部屋に入ってもらい、さっき駅前で見た光景をなに1つ隠さず千晶さんに話した。


 千晶さんは話を聞いてすぐに旦那さんに電話を掛けたが、電源を切っているのか、はたまた何とは言わないが夢中で気付かなかったのか。電話は繋がらなかった。

「なんか…ごめんね!うちの旦那の変なとこ見せた挙句、あたしまで廊下で騒いで部屋入れてもらっちゃって」

隣に置いてあったハンドバッグを持って、笑いながら立ち上がる。

「あ、あと離婚は子供達がどっちも成人したらってことになってるから」

千晶さんは白いスニーカーに踵を押し込むようにして履くと、ドアノブに手をかけて振り返った。

「だから…麗名ちゃんは何も気にしなくていいからね。悪いのはうちの旦那だし」

手を軽く挙げて「じゃあ」と言って部屋を出ていく背中を、私は何も言うことなく見続けた。

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