第4話

 会議室の皆が驚愕する。

「あ、あいつら何やってるんだ!」

「どうしてあんな所に?」

「未だベッドから出られないんじゃなかったのか?」

 救命ボートに乗って島へ移動したらしい。彼らは触手の上を意外にも確かな足取りで進んで行く。何処から手に入れたのか、両手には包丁とバケツを持っている。触手群の中央に向かっている様だった。

「馬鹿な!ろくに点滴も与えていないのに動ける訳がない!」

 そう叫んだ船医が、しまったと言う顔をして口を閉ざす。やはりそうか。少なくとも食糧が尽きてからは、こいつらが点滴類を独占していたのだ。

 あちこちの船で、どうにか動ける者達が何事かと彼らを見ている。島の中央に立った男達はしゃがみこむと、包丁を使って足元の触手からその一部を切り取り始めた。そして灰色の肉片を次々にバケツへ入れていく。やがてバケツが一杯になると、連中はそれらをぶら下げてボートに引き揚げ冷凍運搬船に戻って行った。

 訳がわからないまま、俺達は会議を中断して甲板に向かった。遭難者達は既にタラップを上がっている。

 船員達は遠巻きになって彼らを迎えた。

「お、お前ら、それをどうするつもりだ?」

 冷凍運搬船の口髭船長が掠れた声で問いかける。

 相手は刃物を持っているから迂闊な事は出来ない。遭難者達は何も答えずに船内に入ると食堂に向かった。後を追った俺達が見守る中、厨房に入った彼らは取って来た肉片をまな板と包丁を使ってサイコロ状に小さく切り刻む。そして、油も引かないフライパンにそれらを乗せてコンロに置くと強火で焼き始めた。

 頭の働きが鈍っている俺達は、この時漸く彼等の意図に気付いた。

「や、やめるんだ!冷静になれ!そんな物食ったら、どうなるかわからないぞ!」

 船医が懸命に忠告するが、彼等は聞く様子もない。肉片はこんがりと焼き上がり、男達はそれをフライパンから手掴みで口に放り込んだ。

 俺達はどよめきの声を上げるが、当人達はもぐもぐと顎を数回動かして肉片を飲み込んだ。彼等は互いに頷き合うと、触手の調理を続けながら熱の通った肉片を当たり前の様に食っていった。

 気が付けば俺達の背後には多くの船員が並び集まり、ちょっとした群衆になっていた。

 皆が食い入るように事の成り行きを見つめている中で、肉片を一通り腹の中に収めた男達の一人が満足げにゲップを吐いた。

 恐る恐るといった感じで船員の一人が彼等に声をかける。

「お、おい。大丈夫なのか?何ともないのか?」

 ゲップを吐いた男が口を開いた。

「オイシイ。トテモオイシイヨ」

 その台詞を聞いた俺は寒気を覚えた。

 答えた男は知り合いで、港に帰る度に豊漁祝いで一緒に飲みに行く仲だった。勿論普通の日本人だ。

 だが、今のそいつは日本語を覚えたての外国人みたいな話し方をしていた。発音もイントネーションも、全ておかしい。同じ人間とは思えなかった。

 しかし、俺以外にその違和感に気付いた者はいなかった。それ程までに皆の思考は飢えと疲労で鈍りきっていたのだ。

 触手の細切れは次々と焼き上がり、男達はそれらを何枚かの皿に盛っていく。知り合いは調理台に置かれた、その内の一つを手に取ると俺達に見せながら告げた。

「マダアルヨ。オイシイヨ」

 皿の上でキツネ色に焼き上がる肉片に皆の目が釘付けになる。その場の全員が生唾を飲み込んだだろう。厨房には香ばしい匂いが漂い、否応なく空っぽの胃を刺激する。あからさまに腹を鳴らす者が何人もいた。

 数人の船員達が背後から俺達を押し退けて前に進み出た。震える手で目の前の皿を受け取る。

 それを見た冷凍運搬船の口髭船長が、厳しい口調で怒鳴り付けた。

「食うな!危険過ぎる!これは命令だぞ!」

 船員の一人が振り向いて忌々しげに答えた。

「あんたは黙っていろよ」

 相手の反抗的な振る舞いに船長は激昂する。

「その態度は何だ!お前それでも俺の部下か!後でどうなるかわかっているのか!」

 皿に触れる別の男が、顔を歪めて吐き捨てる様に言う。

「もう俺達には後なんてないんだよ。こうなるまでに何も出来なかった癖に、偉そうな事をほざくな」

「な、何だと!」

 部下達の反撃など予想もしなかったのだろう。口髭船長は怯んだ。最初に皿を受け取った船員は、遭難者達を指し示す。

「あんた、この連中だって見棄てようとしただろう。点滴を船医と分け合っていたのを俺達は知っているんだぞ。そっちの方が余程問題だろうが。あんたにはもう、船長の資格なんてないんだよ」

「う……」

 口髭船長は言い淀む。もはやリーダーとしての威厳は欠片もない。それは船団の指揮系統が崩壊した瞬間だった。

 皿を持つ船員達は白い湯気を立てる肉片を少しの間凝視していたが、意を決して摘まみ上げると口の中に入れて噛みしめた。数秒後に大声で叫ぶ。

「旨い!旨いぞ!」

「焼いただけなのに、驚く程旨い!」

 彼等はそれから無我夢中で、片っ端から肉片を食べ始めた。

 それが引き金になった。

 群衆は厨房に雪崩れ込むと、調理台に置かれた何枚もの料理皿に乗る肉片を奪い合う様に貪り食った。

「旨い!本当に旨いぞ!」

「イカやタコとは違う独特の風味だが、癖になる旨さだ!」

「助かる!これで俺達は助かるぞ」

 驚きと喜びの声が渦巻く。船団の代表達も泣きながら食っていた。

 もう我慢出来なかった。

 俺と茶髪頭も厨房に入ろうと足を上げる。

「食べてはいけない!」

 何者かがそう言って俺達の肩を背後から掴み、押し留めた。インドネシア人の古参船員だった。

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