若草ドレスの物語

野々宮ののの

若草ドレスの物語・上


「お父様は横暴が過ぎるわ!!」

ティアナは自室のベッドに両の拳を振り下ろして突っ伏す。当家にたった1人のメイド、ノエルは脇のテーブルで淡々とお茶を淹れていた。

「舞踏会で結婚相手を探せですって!?私の家のどこに、一体どこに舞踏会に行く余裕があるのよ!」

部屋をぐるりと見渡す。古びた家具、汚れたカーペットやカーテン。ノエルのお陰で掃除は行き届いているものの、いかんせん内装が古すぎるのだ。

そう、令嬢ティアナは貧乏だった。


栄華を誇ったのは2代前までの話。魔法を使えたというご先祖は王宮で重用されたと聞くが、今では当家を含めほとんどの貴族が魔法の力を失ってしまった。

魔力を持たず、ただ浪費だけを繰り返した祖父母、そして世渡りの下手な父母のお陰ですっかり没落した当家には、とにかくお金がない。

「馬車や御者どころか、ドレスの一枚も持っていないのに……舞踏会なんてどの口が言うのよ……」

お金持ちの令嬢ならこんなことで悩んだりしないのに、と思うと悔しくて仕方がない。とはいえ、悔しがっていたところでお金が降ってくるわけもない。

「とにかく、お茶でも飲んで落ち着いてくださいな」

ノエルが淹れるお茶はまるで魔法がかかっているかのように絶品だ。

「……あなたにも申し訳ないわね。うちにはお金がないのに勤め続けてもらって」

感謝の言葉を伝えると、普段は無表情なメイドがかすかに微笑んだ。


「ティアナお嬢様は、着ていくドレスがあったなら舞踏会に行きたいですか?」

ノエルにそんな風に聞かれて、少し悩む。

「私なんかが……気後れしちゃうわ。でも」

きらびやかな舞踏会を思い浮かべてみる。華々しく着飾った貴族たちが集まる舞踏会は圧巻だろう。美しいご令嬢と会話をすれば心も弾むだろう。かっこいい殿方と踊るダンスはきっと楽しいだろう。

そんなキラキラしたイメージの中に自分の姿を置いてみたら、急に気持ちが萎えてしまった。

「……やっぱりダメね。私には似つかわしくない場所だわ」

そう答えると、メイドは少し寂しそうな顔をした。


ああ言ったものの、未練をすっぱり断ち切るのは難しい。

(着ていくドレスがあったなら)

眠ろうとしてもなかなか眠れない。ノエルの言葉が脳内で反響していた。

「ああもう!」

ベッドから飛び起き、明かりをつけて机に向かう。

「ステキなドレスなんか欲しいに決まってるのよ!」

スケッチブックを取り出して、あとは思いのままに鉛筆を走らせた。

「最近は花のような淡いピンクやオレンジ、イエローのドレスが流行してるけど、あえて若草のようなグリーンのドレスを選んだらきっと目立つわ」

絵を描くのは昔から好きだった。どんな無茶な理想も夢も、スケッチブックの中でなら実現できる。特に好きなのは、王都のお城や庭園をイメージしながら描くこと、そしてお姫様のようなドレスをデザインすることだった。

「柔らかい生地をたっぷり使ったプリンセスラインのドレスはやっぱりステキよね。でもスッキリ着こなすなら、ストンと落ちるようなラインのドレスがいいわ。その代わり、バックラインにボリュームをもたせるの。それで、フロント部分は存在感のあるレースで飾って」

こうなるともう手は止まらない。スケッチブックの上に走らせた無数の線から、見たこともないような華やかなドレスが生み出されていく。

「ウエストは太いリボンで結んでもいいけど、細いリボンをたくさん重ねるのはどうかしら。肩の部分にも同じリボンを使ったらもっと可愛くなるわ、それから、それから」

ティアナは時間も忘れて、絵を描き続けた。


+++


「ティアナお嬢様、お届け物があったのですが」

翌日、ノエルが部屋に持ってきたのはひと抱えもある大きな箱だった。

「届け物?なにかしら」

「それが……」

荷物を開けてみてティアナは驚いた。まるで若草のような緑色の布地。手に持って広げてみる。まさかと思ったが、それは一着のドレスだったのだ。

「どうして……?」

ティアナは言葉を失ってしまう。

「あら、おしゃれでステキなドレスですね」

ノエルが言う通り、ドレスは文句のつけようがないほどおしゃれだった。ナチュラルなラインのドレスはバックラインにボリュームがあり、フロントラインにはレースがふんだんに飾られている。そして肩口やウエストは細いリボンでキュートにデザインされていて……。

「このデザイン……」

昨夜自分が描いたドレスのデザインそのままだったから息が止まるほど驚いた。慌てて机を見る。そしてまた心臓が跳ね上がった。

あのスケッチブックがなくなっていた。


+++


ステキなドレスに浮かれてつい行動を起こしてしまったが、自分には似つかわしくない場所だということを忘れていた。

王宮の舞踏会はあまりにもきらびやかだ。広々としたダンスホールには目を見張るほど豪華なシャンデリア。華やかな衣裳を身につけた紳士淑女が行き交うさまは、まるで帝都の劇場のよう。

(私、場違いだ……!)

来てしまったことを猛烈に後悔しても、後の祭り。自分には貴族の知り合いもそれほどいない。身のこなしや挨拶の素養すらない。

自分ひとりが居心地の悪い思いをしていても、そんなことお構いなしに夜会は進む。

ティアナは豪奢なホールでどんな風に振る舞ったらいいか分からず、すっかり壁の花となってしまった。

(視線を感じるし……)

壁の花なら壁の花で、できるだけ目立ちたくない。しかし、通り過ぎる人が時たま、こちらをチラリチラリと一瞥するのだ。どうにも落ち着かない。

それでも、通りすがりのウエイターがくれたカクテルを少し飲んだら、気持ちがフッと和らいだ。さすが王宮だけあって、出されるものは一流品ばかりだ。

(軽くお酒だけいただいたら、帰ろう)

そう開き直って、グイッとお酒をあおったそのときだった。

「あの……」

「えっ!」

突然声をかけられて驚いた。飲んでいたお酒でむせそうになるが、かろうじて息を吐いてことなきをえた。慌てて返事をする。

「わっ、わたくしに、なにか」

年若い男性だった。背丈はヒールを履いた自分と同じくらい。栗色の髪に、やや幼さの残る顔立ち。

「あっ!いえ、あの、とてもステキなドレスだなと思って、つい声をかけてしまって」

急に褒められたからとても驚いた。自分の頬が紅潮するのが分かる。

「あっ、ありがとうございます……」

片手で頬を抑えながら、平静を装ってお礼を言った。

「あのっ、よかったらぼく……いえ、わたしと」

彼の頬も紅潮している。お互いにドギマギしながらの会話はとてもくすぐったい。

「は、はい」

少しの沈黙。

「ええと、庭園で、お話しませんか」


ダンスに誘われたらどうしようと思っていたので、ホッとした。舞踏を習ったことはあるけれど、決して上手ではないから。

彼のエスコートで庭園に出る。屋外には爽やかな夜風が吹いていて、とても気持ちがいい。ライトアップされた庭園は幻想的で、心が踊った。

「ぼく、ジャン・ヴィクスといいます」

ジャンと名乗った男性のエスコートはお世辞にも上手とは言えなかった。仕草や喋り方も、どこかつたない。けれど、一緒にいるとなぜか居心地がいいように思えた。

庭園の東屋で2人はあれこれと話をした。お互いの名前や居住区のこと。家族に促されて舞踏会に来たものの、気後れしてしまっていたこと。ダンスがあまりうまくないから困っていたこと。

「わたくしたちって、似た者同士なのね」

ティアナはクスクスと笑った。


「あなたのドレス……」

ジャンは先程もドレスを褒めてくれた。

「デザインが斬新で目に留まったんです。それに色合いも、見たことがないようなグリーンでとても美しいなと思って……」

手放しで褒められると本当に照れてしまう。

「ほかの男性の方々も、美しいドレスのご令嬢に目を奪われていたんですよ」

「まさか、そんなこと……」

指摘されて思い返してみると、たしかに絶えず視線を感じていた。

「それで、ほかの人達に先を越されたくないなと思って、声をかけたんです!」

驚いて彼の顔を見る。彼は真っ赤な顔をしていた。

「あのっ!よかったら、ぼくと……」


+++

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