第80話

一刻も早くタバコを吸いたいイライラを抑えながらアパートに戻って、階段を上がる手前で足を止めた。




そこから3階を見上げれば、ひよりの部屋の窓が見える。




日当たりのいい窓際には小さな観葉植物がふたつ。




その先に見えるのは、色白のひよりに良く似合うと思った、薄いピンクの小花柄のカーテンが。




今、この部屋にひよりはいない。




えらいオシャレしてる様子からして、恐らく男とデートだろう。




ふと、俺の前を通り過ぎようとした時にフワリと靡いた長い髪と、鼻をくすぐるフローラルな香りと、ひよりの動きに合わせてハラリと揺れた真っ白なバルーンワンピが、脳裏を過ぎった。




何もかも俺の意に反して起きる現象や行動に、苛立ちと戸惑いが増すばっかりで。




それに比例して、俺の肺は余計にヤニを欲する。




だから俺は一気に階段を駆け上がって、部屋に入るなりじれったい包装を毟りとって、タバコをくわえた。




火を付けて思いっ切り煙を吸い込めば、セブンスターのきついニコチンが肺を重くする。




ドスンと鉛を詰め込まれたみたいに。




その感覚が今の俺の胸中と似てて、苛立ちが治まるどころか、逆に虚しくなった。




こんな訳の分からない気持ちで家にいたらおかしくなる。




だから俺は、フィルターぎりぎりまで吸ったタバコを揉み消して、着ていたパーカーを脱いで、Tシャツとジャケットを着て、部屋を出た。




行き先も目的も決めてない。




でもとにかく部屋にいたくなかった。




ここにいたら、俺はきっと神経を集中させて、隣の部屋のドアが開くのを待ち続けてしまいそうだから。

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