第59話

その顔を見た瞬間、俺は小さく息を飲んだ。




伏せられたデカイ目から大粒の涙が零れ落ちて、小さな体は小刻みに震えている。




最初はただムキになってただけなのに、ひよりの唇を奪った事で俺の本能が顔を出していた。




そして、ひよりの全てを奪っちまいたいと、本能が訴えた。




けど、ひよりの涙を見た瞬間、本能よりも罪悪感の方が先に立って、ひよりを捕まえていた腕を力無く下ろした。




ひよりは未だ涙を流しながら、言葉を発する事なく、俺の前からいなくなった。




1人立ち尽くす俺に残されたのは、ひよりの柔らかい唇の感触と、少しの残り香と、デカイ虚無感だった。




俺はひよりの温もりが残る壁に背中を預けて、小さく溜息を吐き出した。




『何やってんだ俺は…………』




小さく吐き出された溜息と言葉が虚しく宙をさ迷って、それが余計に虚しさを生んだ。




あんな風に傷つけるつもりじゃなかったのに、とか。




泣かせるつもりはなかったのに、とか。




ただ悔しかっただけなんだ、とか。




アイツの事をもっと知りたい、とか。




もっと笑顔が見たい、とか。




自分の意思とは裏腹に心の中で蔓延るのは、普段の俺からは想像もつかない様な台詞ばっかりで。




そんな俺らしくない台詞達に、『ははっ』と乾いた笑いを吐き出した。




これでアイツとは会う事もなくなった。




偶然鉢合わせる事はあっても、向こうは目すら合わせないだろう。




それでいい。




互いの存在を知らなかった頃に戻るだけだ。




俺は、そう自分に言い聞かせていた。

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