2日目

 目が覚めたら日が登りきっていた。母は仕事で朝が早く、普段私が起きる時間には既に家にいないことが多い。それ故に、寝坊してしまったら起きることは難しい。

 渋々学校へ行くためにベットから降りる。制服のまま寝てしまっていたが、アイロンをかけるのが面倒臭いのでこのまま登校することに。


 リビングのダイニングテーブルにある菓子パンとスクールバックを持って家を出る。

「行ってきます」


 誰もいない家に別れを済ましてゆっくりと足を進める。今食べているパンを昼ごはんにして、昼休憩が終わる頃に学校につければベストだろう。



「おっ、元担任のお友達じゃーん!」

「おっそ、来ないかもって心配したのにね〜」


 いつものように訳が分からないことをほざくクラスメイトを無視して自分の席へと直行する。

 スクールバックから本を取り出して、机の横にかける。まだ私以外の手が加えられていない数少ない私物である。

「おいおい、何読んでるの〜?」


 髪を派手に染めたチャラい男子がこちらへ向かってくる。私のスマホを壊した人間だ。

「ラノベってオタクかよ。きも」


 本の上部を掴み、ブックカバーを教室の後ろへ投げる。さらに、本をパラパラとめくって、すぐにその場に捨てた。

 大事な本だったけど、もうよかった。先生に昨日のことを少し聞くために本を持ってきてわざといじめられたのだ。

 机に手を当てて立ち上がる。

「おっ、虐められました〜って担任に言いに行くのか?」


 戯言を無視して教室を出る。今日はやけに担任の話が多い。いなくなったとか、私が教室を出た後には『もう遅いのに』とか。いったい彼らは何を言っているのだろうか。


「失礼します。」

冷静に、いつも通りに落ち着いて職員室の扉を開けた。しかし、いつも雑談などで賑わっていた職員室は今日はやけに静かだ。


「君か、少し話がある。」


 最後に見たのは入学式の時だったか。この学校の校長が、私に声をかける。職員室から繋がっている校長室の扉から小さく手招きされた。


 校長の前のソファーに座ったまま私は黙り込んでいた。なにか話があるのだろうか。セミのうるさい鳴き声が響く中、校長の口がようやく開いた。

「昨日、山風先生がいなくなってね。」


 山風義弘やまかぜよしひろ。私の味方であり、家族より信用できる唯一の存在だ。

「どういうことです?」


 彼の日本語は成り立っていたが、私には理解ができなかった。すぐに問い返す。


「昨日の午後5時くらいに彼から連絡があったのだよ。『少し空けます』とね。」


「それで?」


「午後8時くらいかな。近くの神社でね、その日彼が着ていた服と…彼の血痕が発見された」


「冗談…ですよね?それってつまり先生が死んだかもしれないってことで。私の唯一の…」


 分からない。何も分からなかった。校長が真剣な顔で伝える言葉に嘘というものは一切感じられなかった。いや、分からないと言うより、分かりたく無かったのかもしれない。


「山風先生と君はよく話していたと、君のクラスメイトから聞いたのだが、なにか知っているかもしれないと思ってね」


「それは…」

「なにか知っているのだったら、教えてもらわないと。君にはこのことを後に警察にも聞かれるだろうけれど、私にも伝えて欲しい。」



 私は、容疑者として疑われていた。

「し、知りません。」

「そうか。」


 それ以降、校長室はしんみりとした。校長の言葉に返す言葉が思いつかない。いや、そんなことよりも大事なことを考えていたから、それどころでもなかった。

 失礼します、と校長室を出てから私は教室へ戻る。まるで何も無かったかのように、その時の私は無心であった。



「おかえり〜あ、山風には会えたかな〜?」


笑いながら私にそう言ってきた女子を睨みつける。もしかすると、先生を殺したのはこいつなのかもしれないと。気づけば自然と、先生が誰かに殺されたと思ってしまう。

 私は、教室の端で勉強していた女子のシャーペンを取り上げてそいつに投げつけた。


 血が出たのは些細な問題だった。そんなもの、私は何度も体験していることだ。しかし、血が出る場所が問題だった。

 今まで野球の経験もない。射的をしたことも子供の時に行った祭りが最後だ。運動音痴の私が、ものを投げて狙って当たるなんてことが起こるはずがないのだ。


 耳に響く。私を笑い、軽蔑する彼女が私の目の前で叫ぶその声が。地面に倒れ込み、自分の目を必死に抑えていた。しかし、血が止まることは無くそれは流れ続けた。


 その言葉を発したのは誰だったのか。私を、そう蔑んだ。

「人殺し」と。死んでもない人間を、死んだという設定にして私を犯人にする。それは、そいつにとっては普通のことであったのだ。


 教室から逃げ出す生徒がほとんどであったが、中には彼女を心配して残る者と、私を殺そうとした人間だけが残った。

 好意を抱いている人が目の前で大量出血させられたらどうするか。そいつを、私を殺したいと思うのは当然であるだろう。


 ポケットから折りたたみ式のバタフライナイフらしきものを出して私に突きつける。それが首筋に触れて私の皮膚からは一滴の血が、犯行現場へと落ちた。


「私がそいつを殺すからって、あなたは私を殺すの?殺人鬼であるあなた達が、まだ殺人鬼になってもいない私を、殺すの?」


 突きつけられたナイフは少しずつ皮膚を切り裂いていく。それを勢い良く弾き飛ばし、鞄を持って教室から走り去る。やはりだ。彼女を心配する人間もいれば、私を殺そうとする人間もいる。


 走って、走って、走り続ける。気づいた時には鞄は川を流れていて、靴は脱げていた。ボロボロになった裸足で、私はその駅へと走る。


 どうでも良くなり、逃げ出そうと決める。死んでやろうと。

 しかし、いい気分だ。先生は殺されてしまったが、私も1人の人間の人生をぐちゃぐちゃにしてやった。あの出血なら救急車を呼んだとしてもすぐに死ぬだろう。


 

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