第58話 痛いことをするとは思えませんね
「キーホルダーをそんなに楽しそうに眺めるくらい水族館が楽しかったのか?」
水族館に行った日の夜。
部屋で小さなペンギンのキーホルダーを手元に置いて微笑む月凪に聞いてみると、案の定「ええ」とご機嫌な返事があった。
既にお風呂には入り終え、今日も淡翠と夜話をしていたがそろそろ寝ようとお開きになったが、月凪はまだ寝付けそうにないらしい。
見るからに興奮冷めやらぬといった雰囲気だ。
なので、月凪が眠くなるまでベッドに並んで座りながら駄弁っているわけだ。
「自分から行きたいとは言いださない場所だったので、体験として新鮮でした。二人とお揃いのキーホルダーも買いましたし」
「……でも、言われてみればお揃いの物ってあんまり買ったことないよな」
「この前買ったパジャマくらいじゃないですか?」
「かもな。一周年祝いで何か買ってみるか? パッと思いつくものだとマグカップ、シャツ、スリッパ……」
「指輪とかのアクセサリーもいいと思います」
……なんで指輪を真っ先に挙げたのかは聞かないことにしよう。
お揃いの候補は話せば意外と出てくるな。
「アクセサリーだとちょっと高くなりそうだけど」
「言いだしておきながらアレですけど、高校生って立場だとあんまりよくないのかもしれません。学校にはつけていけませんし」
「……まあ、ちゃんと考えるのはもうちょい先でいいだろ」
「楽しみですね。その時が来たら二人で選びにいきましょう。その頃なら秋も深まって暑さも和らいでいるはずですし」
「出かけるにもちょうどいいか」
「その前に秋服を買いに行きたいですけどね。秋冬は可愛い服が多いので」
着々と未来の外出予定が埋まっていく。
けれど、それが悪くないと思えるのは、この一年で俺も前向きになった証拠か。
月凪も一年前の冷たい雰囲気が段々と氷解して、今ではこんなに表情豊かになったし……互いに成長を感じる。
「なんつーか、ありがたい話だな。ほんとに」
「お礼を言うべきは私ですよ。身勝手な事情に付き合わせているんですから」
「きっかけはそうかもしれないけど、今の生活が楽しいって思えるのは間違いなく月凪のお陰だよ。偽装でも月凪と付き合うことがなければ友達が出来ていたかすら怪しい」
「私もですけど……あんまり私たちの事情は口にしない方がいいかと。誰かに知られたら話がややこしくなってしまいます」
「……その通りだな。淡翠が聞き耳立てててもおかしくないし」
可能性の話としてなら十二分にあり得る。
淡翠なら耳にした瞬間に「どういうことっ!?」って部屋の中に突撃してきそうだ。
寝るって言って別れたのに結局まだ起きてるから、そこでも文句を言われかねない。
「けれど、今考えると穴だらけの作戦だったなと思います。付き合いたては多少なりとも演技が混じっていたじゃないですか。不審に思われないように世の中の恋人がするようなことをしてみたり」
「あー……あの頃はちょっと露骨だったよな。疑われることもあったけど、その度に否定してさ。中には俺が月凪を脅してるんじゃないか、みたいに言いがかりをつけてくる人は今でもいるけど」
「私としてはご迷惑をおかけして本当に心苦しくはあるのですが、言わせておけばいいという思いもあります。色眼鏡でしか見ない人の顔色を気にするほど無駄なこともありません」
「慣れっこだからそこまで気にしちゃいないけどさ」
「私や珀琥を何だと思っているのですかね。人並みに恋愛をすることも許されないのでしょうか」
「他人が幸せそうにしてるのが許せないって人も一定数いそうだ。俺みたいな嫌われ者が一見すると完璧美人に見える月凪と付き合ってる様なんて、ちょうどいい獲物にしか見えないんだろ」
よそはよそ、うちはうち……そんな風に割り切れる人は意外と少ない。
ある意味、俺や月凪は諦めを知っているというべきか。
他人に期待しすぎるのは無駄だと、過去の体験から確信している。
そうわかっていても、完全には期待をやめられない。
だから適度なところで折り合いを付けられる月凪とは関係が続いているのだろう。
共依存気味で少々歪な信頼関係ではあるものの、慣れてしまえば快適で。
慣れてしまったからこそ、抜け出せなくなっている側面も認めよう。
ただし、それはそれとして、月凪と過ごす時間にどうしようもなく居心地の良さを覚えているのは嘘じゃない。
「まあ、当分は離れるつもりはありませんけどね。外野がなんと言おうと知りません。私、珀琥がいないと生きていけないので」
「そんなに甘やかしてる覚えはないんだがなぁ。最近は生活力も……ギリギリ一人暮らしに耐えうるくらいはついてきたし」
「珀琥がいるからギリギリ耐えうるレベルなんですよ? 一人に戻ったらまた大惨事になるのが目に見えてます」
「だからってほぼ同居生活してるのもどうなんだって話はあるんだが」
「お隣の利点は活かすべきです」
助け合いって意味ならそうかもしれないけどさ。
なんて話していたところで、月凪が可愛らしく欠伸を一つ。
やっと眠気が来たらしい。
朝から墓参りでその後は水族館だ。
楽しさで感覚が誤魔化されていても、疲労がたまっていたのだろう。
「そろそろ寝るか。電気消すぞ」
「そうしましょうか」
電気を消しに立つ俺だが、月凪はあろうことか俺のベッドにそのまま寝転がった。
そして、少しだけぽやぽやした表情で俺を手招く。
「珀琥、早く寝ましょう?」
「……いや、そこ俺のベッドなんですけど」
「たまには二人で寝てもいいじゃないですか。前にもしたことですし」
「だからってここでそれをされるのは……万が一にも朝見られたらどうなることか」
「ちゃんと見たらただ寝ていただけにしか見えませんよ。それとも……何かをしてしまう可能性がある、とか?」
揶揄うような声音と眼差し。
眠気と帰省でテンションがおかしくなっているのか?
「……そうだから自分の布団で寝てくれ。あんまり揶揄うと、いつか痛い目を見るぞ」
「珀琥が私に痛いことをするとは思えませんね」
「信頼されてるみたいでなによりだ」
部屋の電気を消して寝転がる先は、本来月凪が寝るはずだった布団。
昨日はこっちで寝ていたことを思い出して変な妄想が浮かんでしまうが、努めて気にしないことにする。
「んじゃ、おやすみ」
「……つれないですね。でも、これはこれで良いかもしれません。珀琥に包まれながら眠っている気がします」
……なんというか、幸せそうで複雑だよ。
―――
抱きしめられると逆に寝れない
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