第48話 一緒に楽しむんです
月凪と腕を組んだまま流れるプールを一周した頃には、頭がいっぱいいっぱいになるくらい精神的な疲労が蓄積されていた。
……これを疲労と呼ぶのは失礼か?
煩悩の方が正しいかもしれない。
時間にして数十分ほどの間、ずっと月凪に密着されていたのだから。
肌は容赦なく触れ合うし、胸は意図的なのか押し付けられ、少しでも下を向けば白い谷間が飛び込んできて、いつにない近さから聞こえ続ける声で落ち着く暇もない。
プールで、人目が絶えずあって、傍に花葉と燐がいても月凪はお構いなし。
むしろ見せつけるかのような仕草の応酬に、俺が完全に置いてけぼりになっていた。
とはいえ月凪から離れるなんて選択肢は最初から存在せず、安全的な側面でも傍にいた方が望ましい。
そうでなくとも、楽しそうな月凪を悲しませる真似はしたくなかった。
「ねえねえ! あっちにウォータースライダーあるんだけど乗ってみないっ!?」
「俺はいいぞ」
「私も乗ります」
「じゃあ僕もかな」
花葉の提案で次の行先はウォータースライダーに決まる。
四人で固まって入口へ向かえば、ウォータースライダーは人気なのか結構な列ができていた。
ここの名物的なものらしいからな。
全長100メートルにも及ぶ長さに加え、高低差も結構あり、スリル満点の体験を出来ると近くにある看板に書かれていた。
コースのうねりやアップダウンを見るに、ほぼ絶叫系と思っていた方がいい。
ボート的な二人乗りの浮き輪に乗って滑るみたいだから、滑っている間に水着が脱げるなんて心配もしなくて良さそうだ。
流石にあの長さとスピードを体一つで乗りこなすのは難しいだろうからな。
それにしてもウォータースライダーか。
怖くて乗れない気はしないけど、遊園地に行ったのも相当昔だから、自分が得意かどうかすらわからない。
月凪は……どうだろうな。
ホラー系の怖さは苦手と知っているものの、ウォータースライダーのそれはホラーと毛色が違う。
びっくりとかパニックではなく、予期できるスリルだ。
まあでも、二人乗りってことだから月凪の心配はしなくていいのかもしれない。
花葉と燐は気をつかって俺と月凪を一緒に乗せようとするだろうし。
「くわっちはるなっちと乗るよね?」
「いいんですか?」
「一度しか乗れないわけじゃないからとりあえずはその組み合わせでいいだろ」
「てことは僕は花葉さんとになるのかな」
「そうだね。しのっちよろしく~」
「よろしくね……って思ったけど、本当に大丈夫? 滑ってる人を見ている限り、二人乗りの距離感が相当近いみたいだけど」
「しのっちならだいじょぶだよ? どさくさに紛れて変なところをちょっと触るくらいは許しちゃう」
「そこは許さない方がいいと思うんだけど……うん、僕も気を付けるから」
軽い調子の花葉に燐はどこか困った風に答える。
恋人と公言している俺と月凪がくっつくのと、友達であろう花葉と燐があの距離感にいるのは違う、という話だろう。
ここは嫌いだとか、そういう話じゃない。
友達でも男女って考えが燐にもあったのだと察せられる。
その境界線を越えるのは男女の仲になる気がなくとも、気持ち的に難しいはず。
誠実で正直な燐に限って不埒な真似をするとは思えないけど。
花葉も燐だからいいよと言っているんだろうし。
言動は軽くても考えなしではない。
自分たちの番が回ってきたのは、およそ十分後のこと。
係員さんに誘導され、俺と月凪が丸いボートへ乗り込む。
「眺めていたときよりも小さく感じますね」
「ほんとだな。どうやって乗ったものか」
「家と同じでいいのでは? 二人分の掴まる部分もあることですし」
あまり触れ合わない体勢がないかなと考えたものの、ボートのサイズ的にそれしかなさそうだった。
多分、これは友達の男女で乗るように設計されていない。
俺も並んでいるときから察していたが、男女で乗るのは恋人らしき人だけだった。
俺と月凪がそういう扱いを受けるのは……百歩譲っていいとしよう。
それが偽装交際の目的だからだ。
けれど、それだと花葉と燐には悪いことをしたな。
恋人だからと区別せず、男女で分けるべきだったか。
そんなことを考えつつ、俺が先にボートへ乗り込む。
浮き輪よりもさらにゴムっぽい触り心地のそれに胡坐で座り、その上に月凪が座って身体を俺へと預けてくる。
胡坐の隙間にすっぽりと月凪のお尻が嵌った。
互いの水着を隔てているだけの状況に煩悩がいくつも湧き出るが、堪える。
ここでそうなってしまえば誤魔化しようがなく月凪にバレてしまう。
俺の胸に触れ合う月凪の背中は温かい。
直に伝わる体温と、僅かに触れる水着のすべすべとした感触を意識してしまい、心臓が鼓動を早めていく。
月凪の身体は肩も背中も腰も脚も、白い肌が晒されている。
隠れているのは胸周りと股の部分だけで、その防御も頼りない。
そんな格好の異性がこの距離感を許容する意味は――
「――珀琥、楽しみですね」
「……そうだな。手すりから手を離すなよ? 勢い余って吹っ飛ぶかもしれない」
「そうならないように珀琥が私を捕まえていて欲しかったのですが……それだと二人で吹き飛びそうですね。自力で頑張ります」
「悪いけどそうしてくれ。もしもの時は頑張るけどさ。それより、月凪はこういうのって得意なのか?」
「絶叫系という意味なら得意ですよ。最後に乗ったのは修学旅行で行ったテーマパークのジェットコースターでしたけどね。もちろん、一人で乗りました」
顔だけで振り返りつつ慰めにくい過去を語る月凪が、くすりと笑って。
「……今日は俺もいるから一緒に楽しもうな。何度でも付き合うからさ」
「珀琥も、ですよ。一緒に楽しむんです」
そうだなと頷いたところで係員から確認をされ、押し出されたボートが傾き、水が流れるコースへ滑り出した。
水飛沫を上げながらコースを滑走するボート。
速度は結構出ていて、水に濡れた顔に当たる空気が冷たく感じる。
俺も月凪も振り落とされないようボートの手すりに掴まったまま、声にならない声が何度も上がる。
つい身を硬くしてしまうけど、これは慣れの問題。
顔はちゃんと笑っているし、楽しめている。
コースが左右へうねるたびに身体が傾き、月凪の柔らかな肢体が押し付けられる。
けれど振り落とされないよう掴まるのが第一で、過剰に意識せずに済んだのは幸いだった。
そうこうしている間に最終コーナーが迫ってくる。
大きく円を描くかのようなそれをスピードに乗ったボートが駆け抜け――ふと、振り向いた月凪と目が合った。
心底からの楽しさを宿した青い瞳。
微笑みを彩るそれは、とても月凪に似合っていて。
ばっしゃーんっ! と。
コーナーを曲がり終えたボートが終点のプールに着水する。
ボート越しに衝撃が伝わり、ひときわ大きな飛沫が上がった。
その飛沫でずぶ濡れになりながら、係員がプールの縁までボートを運んでくれたところで、俺は月凪の手を取りボートを降りる。
「楽しかったか、なんて聞くまでもないな」
「珀琥もそうみたいですね。まだちょっと、ふわふわしている気がしますけど」
くすり。
微笑む月凪がコースの出口へ目を向けると、俺たちに続いて花葉と燐が乗ったボートが着水した。
花葉も燐も楽しそうに笑っていて何よりだ。
「次は樹黄さんを誘ってみましょうかね」
「良いと思うぞ。花葉も月凪と遊びたがっていたし」
「けど、樹黄さんと乗った後は、また珀琥と乗ります」
「……そんなに気に入ったのか?」
「絶叫系として楽しくて、珀琥とも楽しめるので一石二鳥です」
さいですか。
―――
ホラーはダメでも絶叫系はいける
ひっついていても仕方ないからね
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