第38話 恥ずかしいじゃないですか

 お粥を食べた月凪には常備薬を飲ませ、氷枕に変えた布団で安静にして貰うことになった。

 ひき始めだから、これから悪化する可能性もある。

 その兆候を見逃さないためにも俺も朝飯と片づけを済ませてから傍で過ごし、話し相手になっていると、月凪はいつの間にか眠っていた。


「……まあ、いまさらか」


 月凪が俺の部屋で眠るのは今に始まったことじゃない。

 何度も泊まって同じ部屋で寝ているし、なんなら一緒のベッドで寝た。


 相応に信頼されていなければ許されない行いだと理解している。

 月凪が抱く気持ちも、ある程度は予想が立てられた。


 けれど、その感情は曖昧なものだとも思う。


 人としての好きと、異性としての好きは微妙に違う。

 月凪が俺に向けるのは……多分、どちらも。

 比率まではわからないけど、月凪もそれを隠そうとしていない。


「どうするべきなんだろうな、俺は」


 俺と月凪は偽物の恋人。

 どちらかに好きな人が出来たら関係も終わりと決められている。


 もっとも、お互いに人の心が読めるわけではないから、内心でどう思っていようとも外面だけを繕っていれば関係は続けられる。


 ……本当にややこしい関係になってしまったな。


 正直に気持ちを伝えれば、月凪との関係は終わってしまうかもしれない。

 もちろん偽物から本物へと昇格する可能性もあるけど――


「……俺が弱いだけだよな。多分、恐らく、月凪に伝えれば拒まない。でも、まだダメだ。こんな風に思ってるうちは、本物になんてなれない」


 その気持ちに正直な行いを出来る者こそが幸せを掴める。

 だから気持ちを偽り続ける俺には、不相応な立ち位置だ。


 今の俺に出来るのは、寝込んだお姫様を傍で見守ることだけ。


「悪いな、月凪。もうしばらく待ってくれ。長いこと待たせないように努力はするからさ」



 ■



「――――――ッ!!」


 お昼を過ぎても眠り続ける月凪を心配に思いながらも買い出しに出て、午後も傍で過ごしていた夕方のこと。

 隣で眠っていた月凪がどうにもうなされていることに気づき、せめて手だけでもと握っていたところ、いきなり飛び起き声にならない悲鳴が上がった。


「月凪っ!?」


 俺は慌てて月凪の背を摩り、目と目を合わせて落ち着かせようと試みる。

 すると月凪も俺を見るが……微妙に焦点が合っていない。


 錯乱状態なのだろうか。

 呼吸も乱れていて、身体は震え、極度の不安が感じ取れる。


 悪夢を見たのかもしれない。

 体調が悪いと、そういうのを見やすいと聞く。


「大丈夫だ。俺はここにいる。落ち着いて息を整えよう」


 ゆっくりと諭すように呼びかければ、ぎこちなくも一度頷いた。

 俺が「吸って……吐いて。また吸って、吐いて」とリズムを取りながら呼吸を整えさせると、正気を取り戻したのか「……もう、大丈夫です」と月凪が囁く。

 とても大丈夫とは思えないほど頼りない声音だったが、気にしない。


 これで終わりとか言って離れるつもりはないからな。


「悪夢でも見たのか?」

「……家族の夢を、少しだけ」


 それを聞いて、胸の奥がチクリと痛む。

 月凪が家族の夢が悪夢としてカテゴライズされるほどに、居場所がないことを理解してしまうから。


「…………というか、あの、もう大丈夫なので、離れてもらえると」

「……もしかして余計なお世話だったか?」

「そうではなくて……寝汗が凄くて、あんまり触っていて欲しくないといいますか」

「別に俺は気にしないんだけど」

「私は気にするんです。……恥ずかしいじゃないですか」


 目を逸らし、恥ずかしそうにしながら理由を告げられ、それなら仕方ないかと内心安心しながら月凪から手を離す。

 確かに背中は濡れていた気がするし、額や首筋にも汗をかいていたけど、風邪を引いていたら普通なんだから汚いとか思わないのにな。


 というか、汗をかいているところを見られるのは恥ずかしくて、添い寝やらパンチラやらお風呂に誘うのは恥ずかしくないって羞恥心の勘所がわからん。

 裸を見られるのは流石に恥ずかしいらしいけど……こんな時に思い出すなよ。


「……珀琥。手だけ、貸してください」

「はいよ」


 二つ返事で引き受け、差し出した手が月凪に握られる。

 弱々しい力加減のそれは、精神的な衰弱度合を示しているようだった。


 傍にいないと消えてしまいそうだ。

 絶対に目を離さないよう今一度心に留めておく。


「…………夢の話、少しだけしてみてもいいですか?」

「いいのか?」

「珀琥は全部知っているので。それに、これはただの夢です。……その夢にここまで精神面を揺さぶられているのに、ただの・・・なんて呼ぶのは強がり以外の何物でもないのですけどね」


 自嘲気味に笑って、こほんと軽く咳払いを一つ。


「やっぱりと言うべきか、現実の出来事が反映されているようでした。お母様が亡くなって、父は私から興味を失い、新しい母は私を責め立てるんです。家に居場所はなくて、暗い所に一人でいました。でも、そんな私を連れ出そうとしてくれる手が、一つだけあったんです。それを掴んで暗い所から出ようとしたら……なぜかホラーチックな怪物に変貌した母に追い回されて、それで」

「……笑えない話だ」

「ホラー系が苦手なのに、そっちに寄せるだなんて夢も趣味が悪いです。家族が出てきたのは、まあいいでしょう。悪夢と呼ぶには相応しいモチーフですから。けど、私を連れ出そうとしてくれた手は……珀琥だったんじゃないかと思って。起きた時も私の手を握っていてくれたみたいですし」

「あー……うなされていたみたいだったから、手だけでもと思ってさ」

「あの手がなければ夢の中で逃げようとも思えなかったでしょう。温かくて、硬くて、大きな手。……本当に、安心するんですよ?」


 くすり。

 目元を細めながら微笑み、今度は俺の手を両手で包んでしまう。

 いつもの冷たさはなく、じんとした熱が伝わってくる。


「……というか、体調はどうだ?」

「そちらはあまり良くなさそうですね。朝よりは悪化していそうです。あ、今何時くらいなのでしょうか」

「夕方だな。もうちょっとしたら夕飯の支度をしようかと考えてたところだ。熱を測るなら体温計を持ってこよう」

「お願いします。それと、タオルも頂けると助かります。汗が少々、気持ち悪くて」

「了解だ。着替えは?」

「……では、そちらもお願いします。鞄ごとで構いませんので」


―――

乙女なのでね

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