第32話 初夜ですか?

 珀琥と祥子さんと別れてから少し後。

 昇降口に残った私は父の到着を待ちながら、際限なく湧いてくる緊張感を深呼吸で無理矢理に押さえつけていた。


「……大丈夫、父は私に興味なんてありません。面談も何事もなく、私に一任する形で終わるはず。だから、過度に怖がる必要は――」


 心の中ではわかっているつもりでも、父と会うことへの不安が勝る。

 最後に会ったのはそれこそ一年以上前……私が清明台に入学し、一人暮らしをするにあたっての挨拶をしたときでしょう。

 あのときも父は淡白に「ああ」としか答えず、目も合わせてはくれませんでした。


 本当に、心の底から興味がないのでしょう。

 それでも生活費は絶対に不足しないくらい毎月振り込まれていて、扶養の義務を果たそうとしてくれていることだけは感謝していますが。


「何事もなく終わればいいのですが……」


 初めての三者面談に不安を覚えながらも待っていれば、やがて仕立てのいいスーツを着込んだ男性が昇降口に入ってくる。

 その人――父である恭一は、記憶と違わない無機質な表情を貼りつけながら、靴を履き替えてこちらへ歩み寄ってきた。


「……お父様、お久し振りです」

「…………ああ」


 頭を下げての言葉に、父は短く答えるのみ。

 再会を喜ぶでもなく、私に嫌悪を向けるでもなく、ただただ淡泊な反応だけを示す。


 良くも悪くも普段通りの雰囲気でした。


「教室まで案内します」

「ああ」


 珀琥のように雑談を楽しむ間もなく、私は父を連れて教室へ向かう。

 この短い距離でも父と歩いている状況に慣れなくて、疲れてもいないのに呼吸が詰まる感覚があった。


 そうして教室前につき、待機用の椅子に腰を下ろす。

 中では珀琥が面談をしている最中で、扉越しに微かに話し声が聞こえてくる。


 あと数分もすれば私の番が来るでしょう。

 その数分が、私に取っては途轍もなく重くて長い時間になりそうですが。


「――月凪。先に私の意思を伝えておこう」


 唐突に、父がそんな風に口を開いたのです。


「私は変わらず月凪が望むようにさせるつもりだ。進学だろうと、就職だろうと、それ以外だろうと好きにするといい。金は私が払うから心配無用だ」

「それは……いえ、わかりました。ありがとうございます」


 私に興味がないのですか? とは尋ねられなかった。

 それで本当に興味がないと斬り捨てられたらと考えたら、言えるはずがありませんでした。


 確かに私は両親に対しての期待を失っています。

 けれど、自分から捨てられるほどの勇気も持ち合わせていません。


 私は臆病で、世間知らずで、両親にとって不要な存在。

 ならば、初めから存在しないように扱ってもらった方がお互いに気が楽でしょう。


 そうして待つこと数分。

 教室の扉が開いて、珀琥と祥子さんが出てきました。

 二人は私をちらりと見てから、声はかけずに歩いていく。


 珀琥とは私の面談が終わった後に図書室で合流する約束になっています。

 だから大丈夫――と自分に暗示をかけるように言い聞かせながら立ち上がる。


「白藤さん、中へどうぞ」


 担任の先生から呼ばれ、私は父と共に教室へ。

 父と並んで座るなんて幼い頃ですらあったかどうかわかりません。

 否応なしに高まってしまう緊張を浅い呼吸で誤魔化す私の向かいでは、担任の先生が通知表などを手元に用意していました。


「さて……それでは、三者面談を始めさせていただきます。まずは白藤さんのお父さん、お忙しいところ来ていただきありがとうございます」

「前置きは必要ありません。私も忙しい身ですので手短に済ませるため、先に私の意向を伝えさせていただきます」

「え、あ、はい」

「娘……月凪の進路については、本人に一任しています。金銭は私が負担しますが、それ以外に関わるつもりはありません。ですので成績も、志望校の話も、私が聴く必要はありません。そのほかに私がいるべき理由があるのなら残りますが、どうでしょうか」


 顔色一つ変えないまま言ってのける父に、担任の先生は言葉を失っていた。


 まさか三者面談でこんなことを言われるとは思っていなかったのでしょう。

 信じられない物を見るような目を父に向けてから、気の毒そうな視線が私へ。


「先生。父の方針に私は納得していますので、話すべきことがないのであれば父だけでも先に帰していただけないでしょうか」

「それは……でも、これは三者面談で」

「これまでの三者面談も娘は担任の先生と二人だったはずなので問題はないと思われますが」

「…………わかりました。お忙しいところご足労頂きありがとうございました」


 父の圧に屈してしまったようです。

 担任の先生は頷き、父だけを先に送り帰すことに。


 一切振り返ることなく教室を出て行った父の背が見えなくなって、担任の先生が戻ってくる。


「……ごめんなさいね、白藤さん。担任として、一人の大人として失格だわ」

「先生が気にすることではありません。それより、面談をしましょう。成績と志望校の話、私はしたいと思っているので」

「…………そうしましょうか。少しでもあなたの未来が明るいものになるように」


 私の家庭環境を察してしまった先生がいつもより優しく、壊れ物を扱うみたいに面談を進めていて、ちょっとだけ申し訳なかった。


 そうして数十分ほどかかった面談を終えて図書室に戻ると、私に気づいた珀琥が私の分の荷物も持って寄ってくる。


 珀琥の顔を見た瞬間に、凍えかけていた胸が温かくなっていく。

 春の太陽みたいな安心感を与えてくれる珀琥の存在が、本当にありがたい。


 緊張が少しずつ抜けて、気持ちに余裕が生まれてきます。


 同時に……どうしようもなく自分が弱いのだと察してしまう。

 父と会って、少し話しただけでこんなに消耗してしまうのですから。


 だからなのか、無性に珀琥が恋しい。


「おかえり、月凪。無事に終わった……ってことでいいのか?」

「あれを無事と呼べるのかはわからないけれど、私は傷ついていないつもりです。それより先生の方が心配ですね」

「一体何があったんだよ、それ」

「成績と志望校の他に話がないならって帰ってしまったんですよ」

「……先生も大変だな」


 心労を察し、心の中で頭を下げておく。


「とにかく、今日は帰りましょう。帰りに買い物もしますよね」

「そのつもりだった。付き合ってもらっていいか?」

「当然です」

「助かる。うんと美味いビーフシチュー作らないとな」

「それと……今日も泊まっていいですよね。一人でいたくないんです」

「約束したし、言われなくても今日は俺が家に帰さないつもりだった」

「……初夜ですか?」

「違う」


 そうですか……残念だなんて思っていませんけどね?


 ―――

 その気は本当にないこともない

 ちゃんと問題に踏み込むのは話が進んでからになるよスマンネ

 一応明日はエピローグです。内容的には本編だけどエピローグ表記。でも、エピローグは二話あるので……

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