第30話 もしかしてプロポーズをされていますか?

「月凪も知っての通り、俺の顔って怖いだろ?」

「何が知っての通りなのか私にはわかりません」

「……話が進まないから頷いてもらってもいいか?」

「本当に私は珀琥の顔が怖いなんて思っていないので」


 つんと否定しながらも、柔らかな声音の慰めに少しだけ緊張が解れてしまう。


 月凪がそう思っていてくれることは、本当にありがたい。


「…………まあいいか。とにかく、俺はずっと顔が原因で人から避けられてたんだよ。それこそ幼稚園の頃からな。顔を合わせると『怖い』『こないで』なんて言葉で遠ざけられて、何もしていなくても泣かせることすらあってさ」

「幼い子どもは純真無垢で無邪気。けれど、時には残酷さにも直結します。良くも悪くも本心からの言葉ばかりでしょうから」

「月凪の言う通りだな。でも、そういうときに疑われたり怒られるのは決まって俺の方で、家族を除いて誰も俺のことを信じてくれなかった。話すら聞かずに謝れって言われて、それが嫌になって途中から幼稚園すら休みがちになったんだ」


 もう何年も前の話なのに、こうも鮮明に思い出せてしまうのはなぜだろう。


 こんな苦くて苦しいだけの記憶、忘れた方が楽になれるのに。


「成長するにつれて同年代と比べたら大人びた顔つきになって、他から見たら怖いのは変わらなかった。小学校でも、中学校でも、俺は避けられ続けたよ。直接文句を言われることは少なくなったけどさ。それも多分、体格が良くなったのも相まって怖がられてたんだろうな」

「……私には珀琥を避ける気持ちが理解できませんね。仮に顔が怖かったとしても、それは顔が怖いだけじゃないですか。内面と行動には何一つ影響を及ぼしません」

「そんなに冷静に考えられる人間ってのは少ないんだよ。その頃には、俺はもう諦めてたんだ。俺は一生こんな風に人から避けられて生きていくんだろうなって」


 未だに覚えている、クラスメイトからの冷ややかな視線。

 腫れ物を見るような距離感の眼差しは、俺が変なことをしでかさないように監視していたと言われても納得する。


 動物園で猛獣を眺めるのとは少し違う。

 山で捕らえた人食い熊を処分する寸前みたいな……俺も経験ないけどさ。


 つまりはそういう『関わりたくないけど目を離したくもない』っていう嫌な注目のされ方がずっと続いていたのだ。


 俺自身は普通に学校に通って、授業を受けて、給食を食べて、登下校をしているだけでも、周りはいつ自分に牙が向けられるのかと警戒していた。

 品行方正で良識ある生徒として学校生活を送りたくても、大多数の認識が優先されて俺への評価は歪め続けられた。


「でもさ、一人だけいたんだよ。俺とも普通に話してくれるクラスメイトが」


 呟いた喉が、不自然な渇きを訴える。


「二年に進級して初めて一緒になった女の子でさ。元気で、明るくて、誰にでも分け隔てなく接する太陽みたいな感じで――」


 そこまで話した途端に、月凪が腕の中で身体ごと振り向いた。

 向かい合いように俺の膝の上に座る月凪。

 不満げなジト目が間近で突き刺さる。


「あの、月凪さん? これは一体どういうことで」

「気にしないでください」

「気にしないのは色々と無理があると思うんだが」


 顔めっちゃ近いし、当たり前だけど柔らかいそれが押し付けられてるし、下半身の方もあれがそれで非常に悩ましいと言いますか。


 ……月凪がこうした理由は、わかっているつもりだけども。


「……話に戻るぞ。その子は俺とも普通に話してくれたんだ。周りは止めるんだけど気にせずさ。あくまでクラスメイトとしての扱いだったと思うけど、それが当時の俺は凄い嬉しかったんだ」

「…………」

「でも、ある日、その子が近所の不良に絡まれてるのを見かけたんだ。人気の少ない路地で数人の男が怯えるその子を囲んでて……隙間から目が合ったんだよ。助けてって言われてる気がしてさ。俺は一も二もなく飛び込んで、助けに入ったんだ」


 振り返ると無謀で浅慮な行いだったと思う。

 不良は何人もいたし、凶器とか持っててもおかしくないし、助けに入る前に警察を呼ぶべきだった。


 でも、その瞬間の俺にはそこまで考えるだけの余裕はなくて、身一つで助けに入ってしまったんだよな。


「俺って正義感溢れるヒーローでも、助けたがりのお人好しでもないだろ?」

「前者はともかく後者はその通りだと思いますけど。でなければ私の身の回りの世話を嬉々として焼いたりしないでしょう?」

「嬉々として焼いてはいないだろ。放っておいたら拙いと思っただけで」

「お人好しの証拠としてはじゅうぶんですね」


 そうなんだろうか。

 お人好しの自覚は全然なかった。

 世話焼きは百歩譲って認めるけども。


 ……いや、そうではなくて。


「俺なんて所詮、顔が怖くて体格がいいだけの男子中学生。そんなのが一人割って入ったところで、数の優位は覆らないだろ?」

「そうかもしれませんね。それに、群れると気が大きくなります」

「月凪の言う通り、そいつらが俺の顔程度で退いてくれるわけもなくてな。俺もがんつけられて、邪魔すんなら容赦しねーぞって脅されてさ。でも、そん時の俺はどっかがおかしかったんだろうな。その子を守るために反抗して――そしたら全員で襲い掛かってきたんだよ」


 不幸中の幸いだったのは、あいつらが凶器を持っていなかったことだろう。

 それでも、人間ってのは誰でも持ってる武器……拳やら脚やら、色々ある。


「喧嘩慣れしてたそいつらにボコボコに殴られて、蹴られて……でも、反撃するのも後のことを考えるとよくないなと思って手は出さなかったんだよ」

「賢明な判断だと思いますけど……見逃してくれるとは思えません」

「そいつらは一旦俺を甚振ることにしたみたいでさ。笑われながら痛めつけられて……なのに一向に歯向かってこない俺に飽きて、また女の子に手を出そうとしたんだよ。男たちが寄ってたかって女の子を襲ったら、結末は目に見えてるだろ?」

「……碌なことにはならないでしょうね」

「俺に普通に接してくれるその子を、そんな目に遭わせたくなかった。だから、その子を守るためにそいつらと取っ組み合いになって――どうなったと思う?」


 察しのいい月凪ならもうわかるだろうと思って聞いてみる。


 けれど、月凪は黙ったまま唇を噛み締め、俺を見上げていた。


 空色の眼差しに込められた『答えたくない』という意思。

 その優しさに、胸が温かくなる。


「結果だけ言えば、俺は不良たちを撃退した。最終的には不良が根負けしたんだよな。俺は傷だらけのあざだらけ。女の子は無傷で守り切った。その後で騒ぎを聞きつけた警察が来てさ。事情聴取を受けたら俺も悪いって言われたんだよ」

「警察の存在意義を疑ってしまいますね」

「それだけならまだよかった。でも、学校に行ったら不良とひと悶着あったことが学校にも広まっててな。しかもそれを広めたのが助けたはずの女の子で、その子も俺を怖がるようになって、周りも俺を嫌うのを隠さなくなったんだ」


 あれは本当にきつかった。


 普通にしてくれていた子が、ついに俺を避けるようになった。

 しかも、助けるための行いが原因で。


「裏切られた気分だったよ。元から俺を避けていたクラスメイトも、教師も、避けるようになったその子も――全部が敵に見えて仕方なかった。学校に居場所がないのを察して、俺は学校に行けなくなった。そうやって引きこもってるうちに段々生きてる意味が分からなくなって、部屋で首吊ろうとして、家族にすごい剣幕で止められたんだ」

「……なんですか、それは。なんで珀琥が苦しまなきゃならないんですか。何も悪いことをしていない……いいえ、むしろ正しいことをしていたのに、どうして」

「人間なんてわが身が一番可愛いんだよ。俺を犠牲に自分たちを守った。言ってしまえばそれだけのことで、トロッコ問題みたいなものだ」

「全然違います。全員が救われる道があったのに珀琥を犠牲にすることを選んだのなら、それは彼らが珀琥を殺したのと同じです」

「かもな。けど、当時の俺には、それがわからなかった。全部俺が悪いんだって諦めて、塞ぎこんで、身動きできなくなって……少しずつ腐っていくのが自分でもわかってた。その結果が自殺未遂だったけど、家族がいてくれなかったら俺は今でも引きこもってたと思う」


 絶望の底に叩き落とされた俺を諦めなかったのは、家族だけだった。

 父さんも母さんも、妹も、ずっと俺のことを気にかけて、名前を呼んで、立ち直るための手助けをしてくれた。


「……珀琥はその人たちのことを恨む権利があると思います。身勝手に人生をめちゃくちゃにされて、挙句命を絶つ寸前まで追い込まれたのですから」

「かもしれないけど、もういいかなって思ってる。所詮は過去のことだし、二度と関わることもないはずだから。会わなきゃ恨むもなにもないだろ?」

「そうですけど――」

「それに、今が幸せだからいいんだよ。学校はそれなりに楽しいし、家族も、友達も、月凪もいる。これ以上を望んだらばちが当たりそうだ」


 抱えられるものには限界がある。

 俺には現状でも多すぎるくらいなんだ。


「そこから先は遅れた中学の勉強を取り戻すために勉強して、地元を離れて一人暮らしで高校に通うことを許可してもらって、清明台に合格した。どこまで意味があるかわからなかったけど、高校進学を機にリセットしたかったんだよ」

「とてもいい決断だと思いますよ。それを許してくれたご家族も、きっと珀琥のことを想っています」

「本当に感謝してもしきれないよ。変わらないかもしれない未来に踏み出せたのは、家族の後押しがあったからだ。けど、知っての通り、俺は高校でも避けられ続けて――あの日、屋上に呼び出されて月凪と出会った」

「懐かしいですね。あの日のことは私も覚えていますよ。珀琥が来てくれて、あんな頼みごとを引き受けてくれるかどうかは五分でしたけど」


 あの秋の日。

 月凪の頼み事……偽装交際の申し出を引き受けてから、変わらないと諦めかけていた世界が色付き始めた。


 俺が楽しく高校生活を送れているのは、間違いなく月凪の存在があってのこと。

 感謝こそすれど、遠ざける理由はどこにもない。


「俺が偽装交際を引き受けた一番の理由は、月凪が裏切らないって言ってくれたことなんだよ。環境を変えようと遠い高校に来たのに、俺は何一つ進歩してなかった。だからいい機会だと……本当に、心の底から思ったから、前に踏み出すためにも信じてみようって思ったんだ」


 これっきり。

 月凪に裏切られたなら仕方ないと諦めるつもりで、偽装交際を引き受けた。


 どんな人も裏切ると学んでいたから、期待は初めからしていなかった。

 裏切られないといいなと思っていたのは否定しないけれど。


 その結果……こんなことになっているのだから、英断だった。


「月凪、本当にありがとう。こんな俺の傍にいてくれて」

「それはこっちのセリフです。私こそ、珀琥の存在にどれだけ助けられていることか。少なくともまともな食生活になったのは珀琥のお陰ですよ」

「それは俺のついでだし、好きでやってることだから気にするな」

「だったら、その分は私が沢山甘やかしてあげないと……ですよね」

「じゅうぶん甘やかされてるっての」

「まだまだ足りません。珀後はこれまで不幸だった分、幸せになる義務があります」

「義務なんて大袈裟な」

「というか、私が幸せにしたいんです」

「……それを言うなら俺もだけどな」

「そうですね。珀琥となら、目指せそうです」


 ふふ、と微笑む月凪。


 俺も月凪となら――なんて考えていると、


「ところで……私、もしかしてプロポーズをされていますか?」

「……いや、全然そんなつもりはなかったんだが」

「あ、でも、順序的には私が珀琥にプロポーズをした形になるんですかね」

「…………偽装交際なのに?」

「将来のための予行練習になったと思っておきましょう。ちなみに、私はプロポーズをするよりされたい派です。シチュエーションは問いません。相手次第ですので。珀琥もどうぞ覚えておいてくださいね」


 覚えておいてどうすんだ、なんて言えないよな……いやほんとにどうすんだよ。


 ―――

 プロポーズすんだよあくしろよ(?)

 実は先に刺してるのは月凪だったりする

 珀琥にとっては誠実さが一番大事なので……

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