第29話 優しさも、温かさも、愛も、何もかも

「ご迷惑をおかけしてしまった以上、私の事情をお話しないわけにはいきませんね」


 帰宅してからのこと。

 珍しく月凪に向かい合って話そうと求められたが、俺が断っていつもの通り抱える形で座っていた。


 いや、言い訳をさせてくれ。

 俺は決して月凪を抱きかかえていたいとか思ってるわけじゃ……ない、とは言えないけど、明らかに様子がおかしいのに対面に座って話聞くとか無理だろ。


 この方が月凪も安心するだろうと思ってのことだ。

 顔を合わせて身の上話なんて変に緊張するだけ。

 俺だってやりたくないことを月凪にさせるわけにはいかない。


 当の本人は不服そうな声音と表情だったけど、定位置に収まったら収まったで完全に身を俺に預けることにしたらしい。

 それだけの信頼を抱いてくれていることが、どうにもくすぐったい。


「珀琥も予想しているとは思いますが、私は家族との折が悪いです。父親には疎まれ、今の母親には嫌悪されています」

「……なんで、なんてありきたりな質問をしてもいいか?」

「もちろんです。先に結論だけ答えましょう。――私の生みの親である母親と、今の母親が違うからです」


 端的な回答ながら、納得するにはじゅうぶんな理屈を伴っていた。


 母が違う……離婚して、別の女性と再婚したのだろうか。

 それ自体は別段珍しいことではないと思う。

 自分の血が流れていない子どもだから冷遇する……これもまた、ありがちな話だ。


「私は一人目の母親と父親の間に生まれたハーフの子です。父親が日本人なので、消去法的に母親が海外出身だったのでしょう」

「……月凪は母親のことを覚えていないのか?」

「ええ。声は記憶にありません。名前と顔だけは後から知りました。……というのも、母親は私を生んだ際に失血性ショックで亡くなっているんです」


 あまりにさらっと明かされた真実に、俺は二の句が継げなかった。


 想像よりもヘビーな過去だ。


 だってそれは、見方次第では月凪が母親を殺した――などと、どうしようもない誹りを受けかねない出来事だと思う。


 ……いや、実際にそうだったから、今の家族関係になっているのか?


「もうお分かりかと思いますが、父親が私を疎む原因はそこにあります。事故とはいえ、最愛の人を亡くした原因へ間接的に関わっているのですから、仕方ないことだと割り切って――」

「……んなわけあるかよ。ふざけんな」


 諦念を伴った月凪の言葉を、気付けば否定していた。


 同時に、月凪を包むように抱きしめる。

 びくりと肩を震わせた月凪だったが、抵抗することはない。

 小さなため息だけをついて、前に回した手の甲を月凪の手が覆う。


 その手はいつもより冷たく、氷のようだった。


「俺には最愛の人が亡くなる気持ちってのはよくわからない。けど、家族や月凪、友達が亡くなったら悲しいってことくらいはわかるつもりだ。だから母親が亡くなったことには同情するさ。不運な事故だったとも思う。でも……だからって月凪を疎んでいい理由にはならないだろ。父親なんだぞ? 月凪にとって残された唯一の、血の繋がりがある家族で……」

「いいんです。慣れましたから。麻痺した、の方が適切なのかもしれませんけどね。そういう事情なので、私は幼い頃から父親が雇った家政婦さんに育てられてきました。家事が壊滅的なのはそのせいもあるでしょう」

「……そこは若干、月凪に原因がある気がするんだけども」

「そういう可能性もあるかもしれません。……話を戻しますが、父親が私を疎んでいても、扶養の義務を果たしてくれるのなら文句はないんですよ。一人暮らしも快く応じていただけましたし。あの二人にとっては、目障りな私が自分からいなくなってくれるのだから好都合だったのかもしれませんけど」


 月凪は『慣れました』と自分で言うように、両親からの扱いを受け入れてしまっているのだろう。

 自分がいなくなれば解決すると思い、家事も出来ないのに一人暮らしを進言してしまうほどに、月凪は両親の気持ちが変わることへの期待を抱いていない。

 幼い頃から家政婦さんに育てられたとも言っていたし、家族の団欒は程遠く、夢物語みたいな存在なのではないだろうか。


 それはあまりにも酷すぎると思ってしまう。

 反面、月凪がこの程度にしか歪んでいないことが、奇跡のようにも感じる。


 もっと両親を恨み、反発し、毛嫌いしていても不思議ではなかった。


「父親はそんな感じです。私を疎んでいるけれど扶養の義務は果たし、なるべく関わらないようにする積極的無関心。対する母親は、露骨に私を嫌悪していますね」

「……そっちの理由はなんとなく想像がつくぞ。母親が自分じゃないからとか、月凪を生んだ母親が亡くなった話で嫌われているって感じじゃないか?」

「大正解です。『母殺し』『悪魔の子』あとは……なんでしたかね。その手の蔑称は日常的に浴びせられていました。ただ、物理的な暴力だけは振るわれませんでしたね。精神的に痛めつけるのが余程愉しかったのか、手を出すほどの度胸がなかったのかは知りませんけど」


 ……なんつーか、言葉も出ないとはこのことか。


 実害がある分、父親よりも質が悪い。

 肉体的な被害は確かになかったかもしれないけど、言葉がどれだけ精神を傷つけるかは俺も骨身に染みている。

 そして、本人がどれだけ強がり、大丈夫だと主張していても、陰では一生癒えない傷痕になっていることも。


「強がってる……わけじゃないんだよな」

「自分ではどうしようもないので諦めました。今の母親はとてもプライドが高いんですよ。元々、税理士として働く父親の秘書を務めていたのが今の母親みたいです。結婚したのも世間体のためでしょうし、夫婦間の愛情は怪しいところですね。そして、どういうわけか私を生んだ母親とも面識があるようで、事あるごとに父親に隠れて酷い暴言を吐いていましたね。恋敵だったのでしょうか。本人に聞かなければわからないことですが、聞いたところで教えてもらえないでしょう」


 長々と話してはいたが「まあ、私が気にしても意味のないことですが」と締めくくる当たり、本当に諦めているのだろう。

 月凪の声音は終始淡々としていて、事実だけを語る硬派なニュース番組みたいな無機質さがあった。


 話しているのは家族のことのはずなのに、そこにあるべき温かさは微塵もなく。

 掘れば掘るだけ辛く苦しい過去ばかりが出てくるのだろうと予感させるのに、月凪の語りはじゅうぶんすぎた。


「……なのに、今回の三者面談には父親が来るそうです。理由はなんとなくわかります。学校側からの要請があったのでしょう。流石に一度も三者面談に両親が訪れないのは不自然で、家族間に問題があると喧伝しているようなものですから」


 月凪の推測は的を射ていると思う。

 事情があって親元を離れて学校に通っている生徒なら多少は考慮されるけど、それでも一度も面談に両親が訪れないのは教員からすると不安要素に映るはず。


 それがたとえ月凪のように成績優秀な生徒であろうとも。


「……で、結局、月凪はどうするつもりなんだ?」

「どうもできませんけれど、珀琥が心配しているようなことにはならないと思いますよ? 父親は無関心が常ですから、担任の先生に何を言われても私の好きにさせてくれるでしょう」


 三者面談当日のことを聞いてみると、そんな風に返ってきた。

 それならひとまずは問題ないのだろうか。


 下手に干渉される方が問題になりかねない。


「……でも、出来れば、その日はずっと一緒にいたいです。一人でいたら寂しくて、どうにかなってしまうと思うので」

「それくらいはお安い御用だ。気分を盛り上げるためにもぱーっとやろう」


 ちょっと大げさに言ってみれば、月凪に笑顔が戻った。

 苦しいことは楽しいことで紛らわすに限るよな。

 俺が月凪にしてやれるのはそれくらいだ。


「珀琥のご両親は毎回来ているんでしたよね」

「父さんは仕事で忙しいから母さんだけな。ありがたい話だよ。時々余計なことしてくけど。この前も月凪に色々絡んでただろ?」

「もちろん覚えていますよ。とてもいいお母様じゃないですか。優しくて、温かくて、珀琥のことを思っているのが私にも伝わってきました」


 そこまで口にして、月凪が言葉を区切る。


「……家族って、なんでしょうね。私には、全然わからないんです。優しさも、温かさも、愛も、何もかも」


 しみじみと呟かれたそれに、俺は何を言うべきなのか迷う。

 何を言っても俺の主観が混ざってしまうし、真の意味で伝わるとは思えない。

 それは共通認識があって初めて成立するもの。


 だからせめて、秘密を明かしてくれた月凪に寄り添いたかった。


「……あのさ、月凪。折角だから、俺も昔話をしていいか」

「…………いいですけど、いいんですか?」

「聞いて欲しいんだよ。あんまりおもしろい話にはならないと思うけど」

「わかりました。聞かせてください、珀琥のことを」


 話題を逸らすためにも言い出したそれを、月凪は快く受け入れてくれる。

 その後でどこから話したものかと過去の出来事へ思考を巡らせて。


「――俺さ、本気で死のうと思ったことがあるんだ」


 乗り越えたとは言えない過去を封じていた蓋を、開いた。

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