第28話 引かないでくださいね?

「――悪いけど、俺はキミとは付き合えない」


 ご褒美のあれこれがあった翌日の放課後。

 手紙で指定された通り校舎裏に向かった俺を待っていたのは、どこかで顔を見たことがあるかな? という程度の認識の女子だった。


 ……いやまて、これは俺が薄情とかってわけじゃなく、本当に一度も話したことがないはずなんだ。


 彼女は目立たないならがも素朴で穏やかそうな雰囲気。

 だから記憶に残っていないわけではないはず。


 そんな彼女からされた話は、月凪の予想通り告白だった。


 たどたどしくも必死に、自らの想いの丈を伝えてくれた。

 けれど、その想いは一方通行で、俺の気持ちが月凪から彼女へ逸れることはない。


 だから彼女からの告白に対する返答は否。

 申し訳ないと思いながらもきっぱりとその意思を告げれば、彼女は少しだけ悲しそうにしながらも「そうですよね、すみません」と一礼して校舎裏を去っていった。


 ……が、角を曲がって見えなくなった時に短い悲鳴みたいなものが聞こえて、そっちは本当に申し訳ないことをしたなと心の底から思う。

 後で叱っておくから許してくれ。


 それはともかく。


「……悪いことをしたかな」


 遠ざかる背中を眺めながら、これで良かったのだろうかと考えてしまう。


 月凪は偽装交際の申し出だから別とすれば、異性から告白されたのは初めてのこと。

 基本的にはイエスかノーの二択になるだろうと思っていて、俺が彼女に突きつけた返答は後者。

 俺の感情的にそれ以外の選択をできなかったとしても、どうしようもないもやもやが心に積もってしまう。


 彼女の告白は本心からのものだったと思っている。

 これが遊び半分だったり冷やかしなら断るのも抵抗感がないのだろうけど、彼女の気持ち……好意は紛れもなく本物で。


 俺もいつか、月凪に伝えられる日が来るのだろうか。


「――で、いつまで盗み聞きしてるつもりだ?」


 誰もいないはずの校舎裏で呼びかければ、すぐに響いた足音が一つ。


「……どうして私がいるとわかったのか参考程度に聞かせていただいても?」


 現れたのは当然、月凪である。

 表情は平然を装っているが、内心動揺していることをスカートの傍で握られた両手や右往左往している視線で悟った。


 心配性というかなんというか、いくらなんでも過保護が過ぎる。


「俺が告白されるんじゃないかってめちゃくちゃ気にしてたし、さっきの子が角を曲がったら悲鳴上げてたから余程怖い人にでも出くわしたんじゃないかと思ってな」

「怖い人は余計です。私は珀琥が騙されているんじゃないかと心配で、いつでも珀琥を守れるように待機していただけで――」

「そんなにか弱く見えるか?」

「凶器を持ち込んでいる可能性もあると思います」


 それはもう事件だろ。


「……もし月凪が好きな人に告白しているのを覗き見されてたら嫌だろ?」

「いえ、別に。余計なやっかみや噂が減って都合がいいですね」

「…………えっとな、多分普通の人は覗き見されてたら嫌なんだよ。俺も嫌だし」

「金輪際やめます。さっきの方にも謝ります。嘘じゃないです。なんなら珀琥がついてきてくれても――」

「そこまで疑ってないからいいって。でも、確かに謝った方がいいな。恋人がいる男に告白してフラれたのに、覗き見してた彼女に自分の告白を最初から最後まで見られてたなんてトラウマものだぞ。悲鳴上げてたし」


 月凪の冷たい印象が先行して怖がられてるのも理由の一つかもしれない。


 ……それを差し置いても普通に怖いけど。


「てか、俺は元々告白を断わるつもりだって話してたはずだけど。土壇場で心変わりすると思われてたのか?」

「そうではなくて……その、引かないでくださいね? 私、珀琥が告白を断ると知らされていましたけど、女の子から告白されること自体が嫌なんです」


 月凪が明かした気持ちは粘ついていてほの暗い、独占欲と呼ぶべきもの。

 人によっては嫌うだろうそれを隠そうとしたのは、俺に嫌われる可能性を避けたかったから。

 その理由は――と考えて、思い違いではないことを祈ってしまう俺は、どうすればいいんだろう。


「これでも束縛とかはしたくないと思っているんです。偽物……いえ、たとえ本物であろうとも、珀琥の自由を阻害したくありません。なのに告白されにいく珀琥と別れてから居ても立ってもいられなくなって――気づいたらここにいて、珀琥が告白されるのを見ていたんです」


 バツが悪そうに語る月凪へ、俺はなにを言えばいいんだ?


 覗き見は世間的に悪とされる行為だと思う。

 それを月凪もわかっていたけど、気持ちが逸って止められなかった。

 俺に告白をしていた女の子の気持ちを考えると、月凪の非は認めざるを得ない。


 ……のだが、感情が先行してしまうほど俺を想ってくれていたのだとわかって、嬉しく感じている自分がいる。


「言い訳なのはわかっています。謝罪もちゃんとするつもりです。けれど、珀琥へ向ける気持ちにも嘘をつきたくないんです。自分を裏切るだけならいいですけど、珀琥まで裏切ってしまったら私は――」

「……顔を上げてくれ。俺は怒ってないし、謝るべきはさっきの女の子なのはわかってるんだろ? だったら俺から言えることはないよ」


 なにかを恐れるように身体を強張らせていた月凪を宥めるべく抱き留めた。

 背中を摩り、乱れた呼吸を整えさせる。


 そのまま数十秒ほど抱き合えば、月凪も落ち着いたのだろう。

 抱き着いたまま顔だけを上げ、「ありがとうございます」といつもの調子で呟いた。


「でもまあ、一応約束だけしておくか。もしも次、俺が呼び出されるようなことがあっても着いてこないこと。俺だけじゃなく他の人のプライバシーにも関わるからな。破ったら関係は終わりにしよう」

「……絶対に守ります」

「ならよし。説教臭くなって悪いな」

「悪いことをしたのは私ですから当然です。約束についても同じこと。それに、ちょっと新鮮で嬉しかったです。叱られるなんて経験はなかったので」


 そう言って寂しそうに笑うから、どうしていいのかわからなくなってしまう。


「……ああ、すみません。今のは気にしないでください。親のことなんて私は――」


 なんて繕う月凪と、同時に響いた着信音。

 出どころは俺ではなく、月凪から。


「電話? 一体誰が……っ」


 俺から離れてスマホを取り出した月凪が画面を確認すると、一瞬で表情が固まった。

 抜け落ちた、の方が適切だろうか。

 冷たさすら失い、無に近づいた月凪が通話のボタンをタップする。


 ……その指が震えていたことに、月凪は気づいているのだろうか。


「――もしもし、私です」


 受け答えの声すら震えていたことで、通話の相手が誰なのかを察してしまう。

 本音を言えば止めたかった。

 けれど、その領域に俺が踏み込んでいいわけがない。


 俺には黙って見守るしかないことが、奥歯を噛み締めてしまうほど悔しい。


「はい、はい。…………お父様が、来るんですか?」


 淡々とした受け答えが一変し、心底からの懐疑を伴った言葉を伝えていた。


「……わかりました。お手数おかけします」


 他人行儀な返答を最後に通話を切った月凪が俺を見るなり、その身を寄せてくる。

 軽くて華奢な身体がいつも以上に小さく、頼りないもののように感じた。


「なにがあったのか、聞いてもいいか?」

「……三者面談に父が来るみたいです」


 質問の答えは予想通り。


 これまでも三者面談はあったが、月凪の家族が訪れていたことは一度もなかった。

 なのに今回は来るなんて、事情があるとしか思えない。


「…………すみません。一つだけお願いを聞いていただくことはできますか?」

「言ってみてくれ」

「今日、珀琥の家に泊めてください。独りになりたくないんです」

「お安い御用だ」


 断わる理由すらなかった俺は一も二もなく受け入れ、月凪が歩けるようになるまで背を撫でて落ち着かせるのだった。


―――

恋愛も不器用

言われなくても一緒にいるよ

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