第27話 聞き逃さないでくださいね?

「――いかがですか? 私の耳かきの腕前は」

「……俺の勘違いじゃなければ手元がプルプル震えてるよな。いやまあ、耳の表面で綿棒が擦れてるから気持ちよくはあるんだけども」

「それも耳かきと言えるでしょう」


 おもむろに始まった月凪の耳かきだったが、本音を言うとかなり心配だった。

 なんと言っても月凪は自分の髪も満足に結えないくらい不器用だ。

 だから繊細さを要する耳かきを任せていいものかと思っていたのだが、その予想は半分当たって半分外れる結果になった。


 まず、安心したのは、耳かきが鼓膜を突き破るようなことはなかったこと。

 その可能性も僅かばかり頭にあったが、月凪も人の耳を弄るからとかなり気を使っていたのだろう。

 竹の耳かきも用意していたけど、安全を考慮して綿棒だけを使うことに決め、耳かきの範囲も極めて浅い部分までで留めることになった。


 ……が、本人にも不器用な自覚があるからか、常に手元が怪しいのだ。

 緊張も相まって、結構な頻度で手元が震えていたと思う。


 しかし、月凪の初めての耳かきは多少心配になる瞬間はあるものの、全体的には心地よい時間を提供してくれている。


「とはいえ……難しいですね、これ。申し訳ないですが、私の腕前では耳垢を取る目的は果たせそうにありません」

「それはまあ、自分でどうにかするからいいって。この時間が何事もなく安全に終われば、俺が言うことは何もない」

「……まるで何かが起こりそうだったと言いたいように聞こえます」

「完全に否定できるか?」

「…………難しいかもしれませんね」


 月凪は苦しげに答えながらも、綿棒を動かす手を止めない。


「でも、耳かきが気持ちいいのは本当だから安心してくれ」

「……それならよかったです」


 ちゃんと褒めておくと、視線や手元は動かさずに声だけで反応した。

 真剣に耳かきをしているのが伝わってくる。

 もっとも、余裕がないだけかもしれないが。


「私、苦手なことは苦手かもしれませんけど、耳かき自体は結構好きかもしれません。珀琥の耳を好き勝手弄れるってあたりが特に」

「耳かき関係ないだろそれ」

「ですが、そろそろ次のマッサージに移ってもいい頃合いですかね」

「そうするか。月凪のお願いも控えてるからな」


 決まったところでやっと月凪の手が止まる。

 俺も膝枕から起き上がり、今度はベッドにうつ伏せで寝転がった。


「さあ、お待ちかねのマッサージですよ。下半身から始めますね」

「耳かきから休憩なしで大丈夫か? 疲れてたりとか――」

「大丈夫ですよ。ハクトニウムには疲労回復の効果もあるので」

「だからそれはどこの謎物質だ」


 冗談なのか本気なのかわからないそれにツッコミを入れていると、「始めます」と宣言した後で月凪の手が俺の足に触れた。

 いつもと変わらず、少しだけ冷たい月凪の手。

 それがやんわりと、しかし確かな力を込めて俺の足を按摩していく。


「ん……珀琥の足、大きいですね。28センチでしたっけ」

「よく覚えてるな」

「前にちらっと見た覚えがあるので」


 それで覚えてるのは紛れもなく月凪の記憶力がいいからだろうな。


 なんて話している間にも足が月凪の両手で丹念に揉み解されていく。

 こっちは普通に気持ちいい。

 何一つ心配することがないため、安心して身を任せられる。


「ツボ押しとか、勉強しておけばよかったですね」

「あれってどこまで効果があるんだろうな」

「私もされたことがないのでなんとも。ちゃんとしたところに行ってみればわかるのかもしれませんけど」


 足に続いてふくらはぎ、太ももにまで月凪の手が及んできたところで、不意に脚全体を柔らかな感触が包んだ。


「脚に跨る形でさせてください。この方が力を込めやすいので」

「……なるほど」


 俺の脚を覆っている柔らかな感触の正体は月凪のお尻と脚……なのだろう。

 そう考えると、不埒な妄想が脳裏を過ってしまった。

 しかもそれが俺の脚を揉む動きに応じて押し付けられ、男としては非常に悩ましい肉感を伝えてくる。


 月凪はそれをわかっているのだろうか。

 ……わかっていても気にしていなさそうだな。


 月凪のことだから『私はご主人様のメイドなんですからお好きにしてください』とか言い出しそうだ。


 俺に出来るのは耐えの一択。

 邪な感情を抱いても、それを表に出さずに堪える。

 月凪もそんな意図があって押し付けてはいないだろうし。


「本当に珀琥の身体はがっちりしていますね」

「……昔からそうなんだよ。遺伝なのかな。父親も結構がっちりしてるし」

「そうでしたか。だから珀琥に抱きしめられると安心感があるのかもしれません」


 脚も終われば今度は上半身へ。

 腰、背中、肩、腕、首回りとマッサージの場所を変えていったが、どこを取ってもお世辞抜きに気持ちよかった。


「これで終わりですかね。私のマッサージはいかがでしたか?」

「また機会があればやって欲しいくらいには上手かった。おかげで全身楽になった」


 起き上がって身体を伸ばせば、マッサージ前よりも全身が軽くなったと思う。

 正確な比較はできないし、気のせいかもしれないけど、気分がリフレッシュされたのは間違いない。


「私のご奉仕タイムも終わりと思うと、ちょっとだけ名残惜しさがありますね」

「……そんなにしたいか?」

「結構楽しかったですよ。でも……私もご褒美をもらわないとですからね」


 微笑む月凪だが、俺に何を頼むつもりなのだろう。


 こんな手の込んだご奉仕に吊り合うお願いが俺に叶えられるのだろうか。


「というわけで、私のお願いをお伝えします。……ちょっと恥ずかしいので一度しか言いません。聞き逃さないでくださいね?」

「……ああ」


 引っ掛かりを覚えたが、顔を寄せてきた月凪に耳を貸す。

 すると、僅かに躊躇いを挟みながらも吐息が耳たぶにかかって。


「――私のことを抱きしめて、愛してるって言ってみてくれませんか?」


 ……なるほど、それは確かにちょっと恥ずかしいお願いかもしれない。


『好き』は何度も言ったことがあるが、『愛してる』は勉強会の日に月凪から煽られるがまま言った一度きり。

 それを言葉にするのは、戯れでもそれなりの覚悟を要する。


 けれど、それが月凪のお願いであるならば。


「お安い御用だ。あんなにいいご奉仕をされたんだからな」

「……ありがとうございます」


 月凪の要望を快諾すると、胸に手を当て安堵の息をついた。

 断わられると思っていたのかもしれないな。


「必要ならシチュエーションの調整くらいはするけど、どうする?」

「イメージは恋愛ドラマの告白シーンでお願いします」

「……上手くできるかわからんけど、やってみる」


 頭の中でドラマのワンシーンを思い返しつつ頷いて、二人で立ち上がった。

 そして月凪と向かい合い、咳払いで気持ちを切り替える。


 愛してる。

 たった一言を、抱きしめながら伝えるだけ。


 なのに全身が震えそうになるほど緊張するのは、言葉通りの感情を抱いてしまっているからだろうか。


 いや、逆に考えよう。

 演技だとしても、気持ちを乗せられると。


 空色の瞳と視線が交わる。

 月凪が小さく頷いたのを合図に、俺は両手を伸ばす。


 細い腰に手を添えると、月凪が僅かに肩を跳ねさせた。

 それは嫌だからではなく、緊張しているからだろう。


 腰に添えた手で月凪の華奢な身体を引き寄せる。

 力を込めれば容易く折れてしまいそうな身体を、そっと抱いた。


「…………っ」


 いつもの延長なのに、月凪は初めて抱きしめられたかのように息を呑む。

 羞恥のためか真っ赤に熟れている白い肌。

 蕩けた眼差しが俺を……俺だけを映したまま固定されている。


 そこで、意を決して口を開き、


「――月凪、愛してる」


 溜めに溜めた言葉を告げれば、月凪の表情が現実を切り抜いたかのように固まった。


 対する俺も、変な納得感を覚えていた。

 今までは曖昧で不確かな感情だったのに、言葉にした途端に確固たる輪郭を得た気がして、その処理というか向き合い方がわからなくなってしまう。


 直視できないほど眩しくて、俺たちの関係には不相応な想いを、俺はどうするべきなのだろうかと無言で向き合ったまま考えて。


「…………想像以上の衝撃で、言葉を失ってしまいました」


 息も絶え絶えに呟く月凪は、様子とは裏腹にとても満足げだ。


「ありがとうございます、珀琥。これ以上ないご褒美だったと思います」

「……それならいいけどさ」


 無駄に褒めてくれる月凪へ本気にしてしまった後ろめたさを抱きつつも、ご褒美が関係ないじゃれ合いに話が逸れていくのだった。


―――

鼓膜さんは生き永らえた

ご褒美としてはこれ以上ないかもね。ご褒美・・・としてはね。

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