第14話 明かしてはいけない熱

 ――ここは、どこでしょうか。


 薄暗い部屋で目を覚ました私は横向きで布団に寝ていたけれど、どうやって寝たのかの記憶が一切ない。

 けれど、少し周りを見れば、この部屋が自分の家ではないことが簡単にわかった。


 すぐ隣にあるのは、珀琥が眠っているベッド。

 穏やかな寝息を聞いていると、咄嗟のことで焦っていた気持ちが静まっていく。


「そういえば、映画を観てる間に眠くなって……寝落ちした私を珀琥が運んでくれたのでしょうか」


 布団の中で声量を抑えて呟いた言葉が、静かな部屋に染み渡る。


 詳しくは覚えていなかった。

 残っている朧げな記憶から考えて、それが正解なのだろうとひとまず納得しておく。


 迷惑をかけてしまいましたね。

 寝落ちなんていつ以来でしょうか。

 ……珀琥は気にしていないと思いますけど。


 男性の家で寝落ちなんて無防備にもほどがありますが、珀琥なら心配ありません。

 寝ていても私に手を出せるとは思えないほど優しいですし……仮に魔が差して手を出してくれたのなら、それはそれで好都合。


 なし崩し的にそういう仲になるのも、私は構わないわけですし。


 手を出したでしょう? と迫れば、責任感の強い珀琥は断らないはずです。

 負い目を感じたまま関係を続けて欲しくはないですけど、そこは追々解決すればいいだけの話。


 とはいえ、それも意味のない仮定の話と言わざるをえませんね。


「……何一つとして手を出された様子がないのは安心する反面、自分の女としての魅力を疑ってしまうのですけど」


 さっきから布団の中で自分のことを確認していましたが、強引に脱がされたとかの形跡は一切見当たりません。

 布団に運ぶために抱きかかえるくらいはしたでしょうけど、その程度はいつもされていることの延長線。

 私自身も望んでされている部分はありますし。


 珀琥に抱きかかえられていると安心するんですよね。

 何があっても揺るがない、自分の居場所を手にしたみたいで――


「誰かがいてくれるとわかるだけで、こんなにも気持ちが楽なんですね」


 私はいつも、夜は気持ちが不安定になってしまう。

 珀琥と別れて自分の部屋に戻り、朝まで眠る。

 それだけの時間がとても寂しくて、心細く、どうしようもない不安ばかりが思考を満たして仕方ない。


 珀琥と結んだ偽装交際が、いつまでも続くとは思っていません。

 これは私にとって都合のいい関係で、珀琥は付き合ってくれているだけ。

 だから、いつ珀琥が私に……学校では完璧なふりをしているだけのポンコツな私に愛想を切らして、別れ話を切り出さないとも限らない。


 家事は洗濯が辛うじて出来るくらいの壊滅具合。

 部屋は珀琥の手が入るまでは散らかりっぱなしで、まともな足の踏み場もなかった。

 食品系のゴミだけはちゃんと片付けていたのが不幸中の幸いでしたが、まごうことなき汚部屋だったと認めましょう。


 食器を洗えば手を滑らせて割り、自分の髪も満足に結えない不器用さ。

 珀琥と関わるまでは自覚していなかった甘え癖は、日に日に酷くなる一方。


 そうやって珀琥に頼るだけの私を、いつまでも繋ぎ止めておく理由がありません。


 私が珀琥との生活で貢献できている事なんて、精々片手間に勉強を教えていることくらいです。

 珀琥はおかげで成績が上がったと言ってくれますけど、結果に繋がったのは珀琥の努力あってのこと。


 だから、私は珀琥に価値を示す必要があるんです。

 他の誰にも替えの効かない、私だけの価値を。


「……あなたは、私に何を求めているんですか?」


 静かに身体を起こし、ベッドで眠る珀琥を眺めて尋ねる。

 返答は、当然ない。

 代わりに等速的な寝息が聞こえ、思わず頬が緩む。


 穏やかな寝顔。

 普段の凛々しい様子とは違い、眠っている珀琥は妙に愛らしい。


 例えるなら大型犬でしょうか。

 身体は大きくても優しさに満ちた寝顔が、私は好きです。


「私に差し出せるものなんてあなたへの気持ちと、この身体くらいしかありません。求めてくれるならいつでも応じるのに。……珀琥が約束を守ってくれているのはわかっていますけど、それでも辛い時くらいあるでしょう?」


 私と珀琥の間には、いくつかの取り決めがある。

 大きなものは二つ。


 一つはどちらかに好きな人が出来た場合に関係を破棄できること。

 もう一つは、性交渉に類する行為を互いに求めることの制限。


 偽物の恋人として振る舞うために必要な境界線で、恋人であると主張するには大きな要素が欠ける決まりです。


 恋人にそういうことを求めるのは自然です。

 身体の関係から始まる恋愛も世の中にはあるようですし。


 ……そこまで爛れた関係になりたいとは思いませんけど、私だって人間。

 好きな人と、恋人らしいことをしてみたいと考えることもあります。


「今日のお泊りでそういう雰囲気になるのかと思っていたのですが……私がこれでは何も言えませんね」


 紳士的な珀琥が私の寝込みを襲えるとは思えません。

 逆に珀琥が寝落ちしていても私が手を出すことはなかったでしょう。


 だって、初めてはお互いちゃんとした雰囲気でしたいじゃないですか。


 ……わかってます。

 わかってますよ高望みだってことは。


 そもそも、まだ・・本当の恋人ですらありませんし。


「あなたどう思っているのでしょうか、珀琥。……臆病な私は先に伝えられそうにないので、あなたから伝えてくれると嬉しいのですけどね。そもそも同じ気持ちである保証もありませんし――」


 結局、私は珀琥の優しさに甘えているんです。


 他の男性ならここまで平和的な関係を築くことはできなかったでしょう。

 それどころか私を好きになってしまい、欲をかいて破綻していたはず。


 珀琥を頼ったのは一種の賭けでした。

 理由は数あれど、決め手になったのは珀琥の目。


 今でこそ優しい眼差しが増えましたが、以前のそれは冷たい……他者への期待を抱いていない目をしていましたね。

 それは私にも覚えがあるもので、だから珀琥を信用しようと思えました。


 私と同じなら裏切らないと考えて。


「でも、先に裏切ったのは私になってしまいましたね。本気で好きならないでくださいって言ったのに、私の方が珀琥を好きになってしまっているんですから」


 ずっと眺めていた寝顔に、思わず手が伸びる。


 起こしてしまう可能性よりも愛おしさが勝ってしまって、珀琥の頬にそっと手を這わせた。

 暖かくて、想像よりも柔らかい頬。


 それを手のひら全体で味わって――漏れた息は、自分でも驚くほど熱が籠っていた。


 けれど、それは明かしてはいけない熱。

 私の胸にだけ秘めておくべきもの。


 惜しいと思う反面、一歩踏み出す勇気を振り絞れない私の怠惰が原因です。


「素知らぬ顔でベッドに潜り込んでいたら驚かれそうですね。珀琥がどんな顔をするのかとても興味がありますが……やめておきましょうか。互いの意識がある状態で寝るまでの時間を楽しみたいですし」


 機会は前例さえあれば作れます。

 珀琥も一度したなら……と納得してくれるはず。

 であれば、いずれその日が来るでしょう。


「なので、今日はお預けです。私もそろそろ寝直しましょうかね。朝のランニングにもついて行ってみたいので、寝過ごすわけにはいきません」


 名残惜しみながらも珀琥の顔から手を離し、布団に戻る。

 枕元にアラームをセットしたスマホを置いてから、


「――おやすみなさい、珀琥」


―――

横になりながら自分の発言思い返して寝れなくなってそう(小並感)


ラブコメ週間十位でしたありがとうございます!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

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