第9話 嫌われたいわけではないので
「さあ、
買い物を済ませて帰宅し、午後を過ごして夜のこと。
俺の部屋で夕飯を食べ終えた
「引っ張るな、服が伸びる。てか、一緒に入れるわけないだろ」
「どうせなら同じタイミングでお披露目したいじゃないですか」
「風呂だけ別で入って合流するのはだめなのか?」
「お泊り感がないので却下です」
さいですか。
……いや、どうしろと?
この部屋には当然ながら風呂は一つしかない。
だから交互に入るしかなく、同じタイミングで買ってきたパジャマをお披露目するのは不可能。
それなら月凪が自分の部屋で風呂だけ入って戻ってきたらいいと思うのだが、それも嫌ときた。
俺が風呂に入る前から着替えておいて、月凪が上がった時に合わせるのもアリだけど、出来れば着替えは風呂の後がいい。
つまり、どうしようもない。
「珀琥、一緒に入りますよ」
「できるかアホ」
「珀琥が折れないと話が進みません」
「月凪が折れるって選択肢は?」
「条件次第ではないこともないです」
ふむ、聞こうじゃないか。
「珀琥が目隠しをして、私と一緒に入るんです」
「却下」
月凪が言い出したバカな意見を即座に斬り捨て、ため息。
「そもそも一緒に風呂はまずいだろ」
「珀琥が見なければいいだけの話です」
「目隠しのままどうやって風呂に入れと?」
「私が洗ってあげますよ、隅々まで」
「……普通にダメなやつだろ、それ」
多分、大人の世界では目隠しお風呂洗体プレイとかって名前がつくやつだ。
俺も男で、性欲は当たり前のようにあるからして。
そんな状況で理性を保っていられる自信はない。
「襲われてもいいって言ってるように聞こえるぞ」
「襲いたいなら襲えばいいんじゃないですか? その時はちゃんと、責任を取ってもらいますから」
責任。
その言葉が意味するところを察せないほど鈍感ではない。
「……偽物の分際で、無責任なことできるかよ」
「人によっては偽物だからこそ無責任なことをすると思います」
「それは自分勝手なだけだろ」
「世の中、意外とそういう人の方が多かったりするんですけどね。だから、珀琥は信用できるんです。一緒にお風呂に入りませんか、と誘ってみるくらいには」
「……汚い裏側を見せてないだけだ。男ってのはどんだけ大きくなってもかっこつけたい生き物なんだよ」
誘い文句に返すのは、ありのままの本音。
全部ではないけど、嘘ではない。
「……それより風呂の話なんだが、近くのスーパー銭湯でよくないか?」
「いいですね、夜のお散歩も出来て一石二鳥です。けれど――」
「手は離さないし傍も離れない」
「わかってるじゃないですか」
信頼と期待が、目元だけに刻んだ笑みで届けられる。
それはもうわかってますとも。
月凪に夜道を一人で歩かせたらトラブルが笑顔で寄って来るんだからな。
そんなわけで必要なものを手提げ袋に詰め、月凪と一緒にマンションの外へ。
夜八時過ぎの空は暗く、たゆたう月は僅かに膨らんだ半月。
街並みの明かりに紛れて無数の星が瞬く空を眺めながら、手を繋いだ月凪と歩く。
普段よりも響いて聞こえる二つの足音。
行きかう人の様子も、昼間とは一味違う。
「私、スーパー銭湯って初めてです。どんなところなんですか?」
「色々ある温泉って感じだ。普通の風呂もあれば露天風呂、岩盤浴、サウナ、ジェットスパとかもあるし、なぜかゲーセンやら飯屋やらが入ってることもある」
「でも、珀琥と一緒には入れませんよね」
「一緒に入れる風呂は家か内風呂がある旅館くらいだ」
「ラブホテルも入れると思います」
「……なんでわざと言わなかったのに言うんだよ」
「大事なことですから」
若干の気まずさを感じるも、月凪は変わらずのすまし顔。
意識しているのが俺だけみたいで馬鹿らしく思えてくる。
それよりも。
「今日の月凪、なんかおかしくないか? 初めての泊まりで浮かれてるだけならいいけど、恒常的にやられると俺も意識するぞ」
「ちょっとくらい意識してくれた方が恋人らしい雰囲気が出ると思います」
「ああ言えばこう言うってのはこのことか」
「どうしても嫌ならやめますけど。偽物でも、嫌われたいわけではないので」
「……嫌ってほどじゃないさ。勘違いしかねないことだけわかってくれてたらいい」
正直、手遅れ感は否めないけど。
嫌いなんて口が裂けても言えそうになく、このやり取りもじゃれ合いの範疇だとわかっている。
そうこう話している間に近所のスーパー銭湯に到着した。
色んな施設が入ったそこは月凪にとって物珍しかったのか、ぼんやりと興味深そうに見回している。
学校では完璧だと呼ばれる月凪も、その実知らないことや出来ないことが多い。
箱入りお嬢様……というより、籠の中の鳥だ。
受付で入館を済ませたら浴場の入口へと向かい、
「んじゃ、気を付けてな。合流目安は九時半でどうだ?」
「わかりました。では、また後で」
あっさりと頷いた月凪と別れ、それぞれの脱衣所へ。
ちょっとばかり心配だが、女性だけの場なら大丈夫だろう。
タオルなどの必要なものを借りて、脱いだ服と荷物をロッカーに仕舞い、ハンドタオルだけを持って浴場に向かう。
仕切りの扉を開くなり、温かな空気が肌を撫でる。
薄っすら立ち込める湯気。
人はそれなりにいたが、誰も彼も自分のことにしか関心がないのか俺に目を向けることはない。
まず、湯に浸かる前に身体を洗う。
備え付けのシャンプーとボディーソープを使い、普段よりも念入りに身体を洗ってから入る湯を選ぶ。
普通の風呂、電気風呂、ジャグジー露天サウナ――いったん普通のでいいか。
時間もそれなりにあるし、一つの風呂から出られないなんてこともない。
とりあえず温まりながら考えればいいかと普通の風呂へ向かおうとして。
「――あれ? 珀琥くん?」
声はなんと風呂の中から。
覚えのある声の主を探せば見慣れた友人、燐がやっと気づいたと言いたげに笑いながら手招いていた。
―――
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