第10話 偶然の遭遇
「
「そうだな。部活帰りか?」
「練習試合で遅くまでやってたんだ。だから帰る前にゆっくりしようと思ってさ」
はーっ、と息を吐き出しながら伸びをする
小柄で線が細いからと侮ることなかれ。
部活で鍛えている燐の身体は確かな筋肉を秘めていて、体育の授業でも俺より動いているのに息すら切らさないほど体力がある。
「どしたの? そんなに見て」
「んや、人は見かけによらないよなって改めて思ってただけだ」
「あはは、僕ってぱっと見だとひょろいからね。でも、ちゃんと筋肉あるんだよ?」
どう? と力を入れた腕を見せてくる燐。
白くて細い二の腕が、僅かに盛り上がっている。
しかし、見た目で判別しにくいのを燐もわかっているのだろう。
自分の二の腕を見ながら「微妙だなあ」と零し、苦笑しながら湯に沈めた。
「筋肉あるって言ったけど体質の問題でつきにくいからあんまりだね。その分体力づくりを優先してるから、そっちは自信あるんだけど」
「バドミントンってめちゃくちゃ動くもんな。ほんとに燐の身体のどこにそんな体力があるのか俺にはわからん。努力の結果ってことだけは確かだが」
「嬉しいこと言ってくれるね、珀琥くんは。僕はバドミントン好きだからさ。そのためなら走るのも筋トレも苦じゃない……とは言わないけど、頑張ろうと思えるんだ」
自信に満ちた表情。
心の底から楽しんでいるのがわかるそれを、少しばかり羨ましく思ってしまう。
俺には熱くなれるものがない。
勉強も、スポーツも、他のことも――。
昔、父さんに勧められて始めた空手も長く続かなかった。
モチベーションとか、周りとの関係とか、色んな要素が合わさった結果だけど。
「でもさ、珀琥くんって体つきがすごくしっかりしてるよね。部活もやってなくてこれ? 筋トレとかしてるの?」
「帰宅部だぞ。健康のために朝軽く走って、ちょっと筋トレしてるくらいだな」
「それだけでこんなに……?」
燐が信じられないものを見るような目を向けてくる。
言われてみれば昔から筋肉がつきやすかった気がするな。
厳つい顔と相乗効果を生み出して人から避けられる一助になってる気がしないでもないが、それはそれ。
「何かスポーツやってみたらいいとこまで行きそうだけど」
「モチベがないし、親元を離れての一人暮らしだから道具を買う余裕もない。これ以上の負担はかけられないだろ?」
「そっか……残念だね。でも、白藤さん的にはその方が嬉しいのかな。珀琥くんが部活に入ったら一緒にいられる時間が減っちゃうだろうし」
「……かもな」
そうだったらいいな、という希望的観測も込めて頷いておく。
もしそうなったら本当に寝る直前まで一緒にいるとか言い出しかねない。
あれで根っからの甘えん坊だからなあ。
……
「さて、と。僕はそろそろ上がろうかな。じゃあね、珀琥くん。また学校で」
「気を付けて帰れよ」
風呂を上がる燐を見送り、息をつく。
別の風呂にも行ってみるか。
折角の機会だから、色々楽しんでみるのも悪くない。
■
「……なるほど、こういう感じになっているんですか」
脱衣所から大浴場へと足を踏み入れた月凪は、身体をハンドタオルで軽く隠しながら目の前の慣れない景色を眺めて呟いた。
沢山の人で賑わう、色んな湯が散りばめられた浴場。
一種のレジャー施設的な雰囲気を察し、月凪は知らずのうちに感じていた緊張を息と共に吐きだす。
正直なところ、月凪はスーパー銭湯をちゃんと利用できるか心配だった。
というのも、お風呂に誰かと入る経験があまりに少なく、大衆浴場を利用した経験は中学校での修学旅行が最初で最後。
その時に同性ばかりとはいえ身体をジロジロと見られた記憶が鮮明に残っていて、多少の抵抗感があった。
慣れが足りていないのもあるだろう。
それでも珀琥と一緒に訪れたのは、お揃いのパジャマを同じタイミングで見せ合いたかったから。
本当は珀琥の家で一緒にお風呂に入れれば良かったのだが、許してくれそうになかったため妥協案に甘んじることにした。
とはいえ、月凪も入浴自体はとても好きだ。
長いと一時間以上は平気で入るため、タブレットを持ち込んでいたりする。
「見られるのは諦めるとして……お湯で温まるのは身体を洗ってからのようですね」
浴場に来てから寄せられる視線の数々には諦めをつけ、壁に設置された『大浴場利用の注意』に従って身体を洗うことに。
普段よりも時間をかけ、丁寧に洗った後は待ちに待った入浴の時間。
色々あるお風呂の中から何が良いかと歩きながら考えていると、
「おねえちゃんおそーい!」
「待ちなさい危ないでしょっ!!」
目の前に駆けてくる幼い少女と、奥から響く制止の声。
だが、その少女の脚は月凪の前で止まった。
月凪は自分を見上げる幼い少女と目が合い、少しだけ困ってしまう。
子どもと話すのは苦手だった。
何を考えているのかわからないし、自分みたいな冷たい人間は怖がられて然るべきだと思っていた。
しかし、予想に反して少女の目は輝いていて。
「……おねえちゃん、すごくきれい!」
「え、えっと……ありがとう?」
真っすぐに尊敬のまなざしを向けてくる少女に出鼻を挫かれ、月凪にしては珍しく歯切れの悪い返答をしてしまう。
けれど、それから先が続かなかった月凪は数秒ほど無言で少女と見つめ合い――
「うちの妹がすみません! ちゃんと言って聞かせますの、で……って、るなっち?」
「……その呼び方、もしかして花葉さん?」
やっと追いついた保護者らしき女の子が月凪に謝るも、『るなっち』という独特の呼び方で彼女が友達――花葉樹黄なのだと気づく。
樹黄は幼女を抱き寄せて、驚きながら月凪を見ていた。
「こんなとこで会うなんてどんな偶然? るなっちもこういうとこ来るんだね」
「私もびっくりしていますよ。そちらの子は妹さん?」
「そうなんだよね。葵、挨拶して」
「はなばあおい! ごさい!」
樹黄が声をかければ、葵は元気よく月凪に挨拶をしてみせる。
すると「偉い偉い」と樹黄が葵の頭を撫で、葵がくすぐったそうに笑う。
見るからに仲のいい姉妹だ。
「いやー、るなっちが止めてくれて助かったよ、ほんとに。はしゃいでるのか全然言うこと聞いてくれなくてさ。あのままだと危ないことになってただろうから、ほんっとありがと!」
「私は大したことをしていませんよ。でも、危なかったのはそうですね。あんまり走ってはいけませんよ。転んでしまいますから」
「わかった!」
「ほんと調子いいんだから……ありがとね、るなっち。それと――」
「あおい、こっちのおねえちゃんとおふろはいりたい!」
樹黄が何か言いかけたが、それを葵の声が遮った。
控えめに引かれる月凪の手。
反面、葵から注がれる視線は期待に満ちたもの。
「あーもう……ごめんね、るなっち」
「構いませんよ。私もどこに入ろうか迷っていたので、一緒に選びましょうか」
「やったー!」
「はぁ……るなっち、迷惑だったらほんとに断ってくれてよかったんだからね?」
「迷惑なんて全然思っていませんよ。むしろ私の方がお邪魔ではないですか? 家族との団欒に意図せず水を差してしまったのですから」
「そんなこと全然ないよ。正直、アタシも嬉しいかも。るなっちとはちゃんと話してみたいなって思ってたから。女子会的な?」
照れくさそうに笑う樹黄へ、月凪も「いいですね」と返して笑う。
学校では珀琥との共通の友達である樹黄と二人で話す機会はこれまでなかった。
仮にあっても昔の月凪なら話そうとすら思わなかったはず。
けれど、たまにはそういうのもいいかと思えたのは、珀琥と過ごした半年で変化があったからだろう。
「おそとのおふろいこ!」
「るなっちは露天風呂でもいい?」
「もちろんですよ。私も楽しみです。ここに来たのは初めてなので」
「んじゃ、色々教えてあげないとね」
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