第2話 彼氏なんですから

 俺――桑染くわぞめ珀琥はくとの平日における朝は、それなりに忙しい。


 習慣として六時過ぎには起床し、目覚ましがてら十分ほどランニングをしてからシャワーを浴び、その後に朝食と学校に持っていく昼食の弁当の準備に取り掛かる。

 ランニングは健康維持のためにしていて、休日は軽く筋トレもしている。

 帰宅部だと身体を動かす機会が減ってしまうからな。


 朝食は軽めのメニューにすることが多い。

 朝から重いものを食べる気になれないのも理由の一つだが、これは俺一人分の朝食ではないからだ。


 先に用意するのは昼食用の弁当。

 しかも月凪るなのも含めた二人分。

 これは料理の腕を見込んだ月凪から頼まれているものだ。


 弁当箱に詰めるおかずは前日の夕食を横流しする形が大半だ。

 ちなみに昨夜の夕食は生姜焼きだった。

 それに加えて砂糖で味付けをした甘い玉子焼き、千切りキャベツとプチトマトで彩りを加え、白米の中心に梅干しを添えて完成。


 品目少なめで簡単に済ませてしまうのは仕方ないものと割り切って欲しい。


 盛り付けを終えた弁当は一旦置いといて、朝食の準備に移る。

 朝食も二人分だ。


 トースターで六枚切りの食パンをカリカリに焼き、フライパンではスクランブルエッグをちゃちゃっと作る。

 これは焦げ目をつけずにふわふわで仕上げ、その後で油を敷き直したら薄切りベーコンを焼き目がつくまで焼く。

 並行してお湯を沸かし、インスタントのコーンスープの粉末をカップに入れておいたら準備は終わり。


 コーンスープ以外をリビングのテーブルに並べると、インターホンが来客を報せた。


「来たか」


 こんな時間に部屋を訪ねてくるのは一人だけ。


 待たせないようにさっさと玄関のドアを開ければ、そこには俺たちが通う清明台高校の制服を纏った銀髪の少女……月凪が佇んでいた。

 一部の隙もなく着こなされた制服。

 長い髪にも一切の乱れがなく、幾分か柔らかに感じるすまし顔を浮かべている。


「おはよう、月凪」

「おはようございます、珀琥」


 そして、いつものように挨拶をしたら、部屋の中へ招き入れる。


「合鍵渡してあるんだから入ってくればいいのに」

「私相手でも不用心ですし、出迎えて欲しいので」

「後半が本当の理由だろ」


 面倒だと思う反面、可愛らしい理由なだけに責める気にはなれない。


 偽装交際を始めてひと月経ったくらいから、月凪はこうして俺の部屋に朝食を食べに来るようになった。

 それまでに夕食を食べさせていたから料理の腕を知っていたのもあるだろう。

 家事が苦手な月凪がまともな朝食を食べていたとは思えない。


 というのも、虫が出たからと助けを求められたのが始まりだった。


 退治しに月凪の部屋に立ち入ってみれば、足の踏み場がないくらい散らかった部屋が広がっていたのが懐かしい。

 本当に学校では完璧な、あの月凪の家かと疑ったくらいだった。


 後から知ったのだが月凪は家事全般を苦手としていたらしい。

 そのため、俺が週一程度の頻度で月凪の部屋の掃除をしている。

 寝る以外のほとんどの時間を俺の部屋で過ごすようになってからは、月凪の部屋が散らかることもなくなったが。


 食事を作って、掃除をして……彼氏役よりも家政婦と呼ばれた方が似つかわしい。

 なんだかんだと世話を焼くのにも慣れてしまった。

 物を散らかしっぱなしだったり、まともな食事を取らない月凪を見過ごせなかっただけなのだが。


 それはともかく。


 月凪が朝食を食べに来るのは問題なかったのだが、唯一の懸念点は月凪が早起きする必要があることだった。

 いくら隣部屋と言えど、早起きも苦手な月凪には厳しい日課かと思っていた。

 しかし、予想に反して時間に余裕をもって俺の家を訪れている。


 たまに寝坊するが、その日は月凪の機嫌がちょっとだけ悪くなってしまう。

 その度にご機嫌取りに駆り出されるものの、本気で怒っていないとわかっているためさほど嫌ではなかったりする。

 月凪が機嫌を悪くしても俺に求めることが手を繋いだりおしゃべりしたり髪を弄ったりなどの、まるで害意のない悪戯じみた行動ばかりだからだろう。


 だからクラスメイトからは「またいちゃついてるよ」とか揶揄われたり、嫉妬と羨望の眼差しを向けられるのだが、こればかりはもう諦めた。

 そう見せること自体が俺と月凪の偽装交際の狙いでもあるからして。


 荷物を置いて一呼吸つく月凪と別れ、俺はコーンスープを用意してからリビングへ。


「今日も美味しそうですね」

「いつものレパートリーの一つで何度も食べてるだろ?」

「それでも、ですよ」


 すまし顔ながら、月凪が発する声にだけは嬉しげな雰囲気が僅かに乗っている。


 朝食一つで喜んでくれるなら俺としてもありがたい。


 二人揃ったところで「いただきます」と声を合わせ、朝食を食べ始める。


 さく、と歯切れのいい音を響かせるトースト。

 ふわふわのスクランブルエッグと塩気のあるベーコンの調和が素晴らしい。

 温かなコーンスープの甘さが寝起きの身体に染みわたって、落ち着く。


 朝はこういうのでいいんだよな。

 手間をかけるだけが料理じゃない。


 月凪も黙々と食べていたが、ふと思い出したかのように口を開く。


「……早起きは必要経費と言いましたが、面倒なことに変わりはないんですよね」

「だったらもう少し遅くてもいいんじゃないか? 時間に余裕もあるわけだし」

「私と一緒に居たくない、と」

「曲解するな。それだと確かに月凪が早起きするのが一番の解決策なのか」

「一番はどちらかの家で同棲することです。朝起きる時間も気にしなくていいですし、珀琥が起こしてくれれば寝坊もしません」

「……寝坊問題が解決する代わりに更なる問題が発生してないか? 偽装交際で、本物の恋人でもないのに同棲なんて出来るわけないだろ」

「身の危険があればそうかもしれませんが、珀琥は強引に迫らないでしょう?」


 きょとん、と小首を傾げながら口にする月凪。

 その真意は信用か、はたまた過信か。

 恐らくはどちらもあるのだろうが、俺としてはたまったものじゃない。


 俺とて健全極まる男子高校生の一人。

 月凪に全く魅力を感じないかと聞かれれば、その返答はノーになる。

 まあ、だからと言って手を出すかと聞かれても同じ答えになってしまうけど。


 およそ半年かけて築いた月凪からの信頼を裏切るような真似はしたくない。

 ただでさえ俺はこんな顔なのだ。

 一時の間違いでさえ月凪には一生の傷になってしまうと考えたら、嫌でも気を付けるようになる。


 それに――期待を裏切られることの辛さは、俺がよく知っている。


「恋人ならお泊りも普通にします」

「本当の恋人同士なら、な。俺たちは違うだろ?」

「……かもしれませんけど、お泊りくらいはしてみたくありませんか? そもそも一度、珀琥は泊まったことがあるじゃないですか」

「あれは高熱を出した月凪を放置するよりはマシだと思って、仕方なく夜を明かしただけだろ?」


 実際のところ、俺は月凪の家に泊ったことが一度だけある。

 実態はさっき言った通り、高熱を出した月凪を一人にするのが心配で看病のために残っただけなのだが。


 あれは本当に大変だったな。

 熱に浮かされていたのか、汗を拭いてとかずっと傍にいてとか言われたし。

 病人に手出しするほど飢えてはいないつもりだからよかったものの……ずっと苦しそうな月凪を徹夜で看病したのは鮮明な記憶として残っている。


 それはともかく、お泊り……ねえ。

 結局のところ、それで発生する問題の多くは俺が耐えれば済む話。


「偽装のために必要ならしてもいいけど」

「最近、また告白される回数が増えたんです。春だからとそこまで活気づかなくてもいいでしょうに。なので、何かしらのアピールは必要かなと思ってはいました」


 時折愚痴を聞かされてはいたが、そこまでとは。

 中にはまだ俺と月凪の関係を疑っている人もいるんだろう。


 さもありなん。

 強面で人に避けられる俺と超がつくほど容姿に優れた月凪の間に接点があるなんて、心から信じられる人の方が稀だ。

 学校でいつもくっついて恋人アピールをしていても、俺を敵視する人には月凪が脅されているんじゃないかと捉えられるのが関の山。


 本当に失礼極まる風評被害だ。

 俺はこんなにも平和的な人間だというのに。


 ……けれど、そういう話なら考えを改める必要がある。

 月凪が恋人アピールのために必要だと思っているのなら、なるべくその意思を尊重するべきだろう。


「なら、せめて週末にしてくれ。その方がお互いゆっくりできるだろ?」

「今日からでもよかったんですけどね。部屋の間取りは変わりませんし、泊まる準備はもうありますので」

「……そういえば熱で寝込んだ後に来客用の布団セット頼んでたな」

「あれがあれば次いつ熱が出ても珀琥が泊りがけで看病してくれます」

「まず熱を出すな。いやまあ、人間だから仕方ない部分があるのはわかるんだが」

「必要な備えですよ。では、お泊りは週末にしましょうか。場所は……珀琥の部屋で大丈夫ですよね?」


 月凪から求められる最終確認。

 いいように乗せられてしまったなと思いつつも頷けば、月凪が思い出したかのように「そうだ」と続ける。


「折角なら新しいパジャマもその日に買いに行きましょう。その方が楽しそうです」

「……俺にもついてこいと?」

「当然でしょう? 彼氏なんですから」


 何言ってるんですか、と言いたげに月凪が俺へ流し目を向けつつ、カップに残っていたコーンスープを飲み干して「ご馳走様でした」と手を合わせる。


「今日も美味しかったです。ありがとうございます」

「お粗末様だ。片付けは俺がするから休んでてくれ」

「私も手伝いますよ」

「……じゃあ、洗った皿を拭いてもらおうか。くれぐれも気を付けるように。もし落としても破片には触るなよ。怪我するから」

「…………何度も言われなくてもわかっています。子どもじゃないんですから」


 不満げにジト目を向けられたが、この手の心配はいくらしても足りないくらいだ。

 前にもそういうことがあったから俺が過敏になってるだけかもしれないけど。


「お皿を洗って、珀琥の準備が出来たら髪を結ってもらってもいいですか」

「手の込んだものは出来ないぞ?」

「私よりはよっぽど上手いでしょう? 妹さんがいるにしても、珀琥の手先が器用じゃないとあんなに上手くは出来ませんよ」

「月凪が不器用すぎるんだよ」

「それも今では都合がいいなと思っていますけどね」

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