第7話

夢を見ていた。城で暮らしていた頃の夢。幸せな夢ではない。食事に毒を盛られ、四方八方から矢が飛んでくる夢だ。それらのほとんどをラズールが回避してくれたが全てではない。ラズールがいない時に毒を口にしてしまい死にかけた。ラズールの結界をも突き破って矢が僕に届き死にかけた。

今、身体がとても熱い。これは毒によるもの?あ…でも左肩がひどく痛いから矢が刺さったの?またラズールの堅固な守りをかいくぐって僕に刃が届いたの?今度こそ死ぬの?

ああ、違う。そうだった。僕は城から出たんだ。城から出て始末される所をリアムに助けてもらった。リアムは僕を女だと勘違いして妻にするなんて言ってたけど。僕はもうすぐ死ぬだろうから諦めてくれるといいな。それに男だと知って落胆するリアムは見たくないから。リアム、動かなくなった僕の身体はその辺に置いていっていいからね。


「あつい…」

「大丈夫か?」


あまりの暑さに目を覚ました。目を覚ますなりリアムが覗き込んできて少し驚いた。てっきり僕は死んだと思っていたから。


「…リア…ム?」

「そうだ、わかるか?おまえは肩の傷による発熱で三日間目が覚めなかった。だが出血は止まっているし質のいい化膿止めや熱冷ましの薬も飲ませた。心音も安定している。だからもう大丈夫だ」

「そう…ありがと。ねぇ、なんでそんな…顔、してる…の?」


リアムが怒ったような困ったような不思議な顔をしている。どうしたのだろう。


「もう大丈夫だけど…この三日間は本当に危なかったんだ。目を覚まさなかったらどうしようかと思った。おまえは華奢すぎる。もう少し体力をつけた方がいいぞ…」

「目覚め…なければ…僕を置いて、先に…進めばいい…だけ…だよ」

「馬鹿が。そんなこと出来るわけないだろ。フィーは…」

「なに…?」

「いや。それにっ、何もするなって言ったのに無茶しやがって…っ」


リアムが一瞬躊躇って、僕の怪我をしていない方の肩に顔を埋めた。

頬に触れるリアムの柔らかい髪を右手で撫でながら、考えるよりも先に言葉が出た。


「何もしない…なんて、無理だよ…。僕だって…戦える。大切な人を…守りた…い」


リアムが勢いよく顔を上げて、真剣な表情で僕を見つめる。

僕は何を言ってるんだろうと慌てて背けた顔を元に戻される。そして端正な顔が近づき唇を塞がれた。優しく食まれ舌先で突かれる。そっと開けた唇の隙間から舌が挿し込まれ、僕の舌に触れた。


「んんっ…」


や…おかしい。触れ合う舌も唇も、頭の中も、リアムに触れられている頬も密着している身体も全てが痺れている。この世にこんなに気持ちがいいことがあるなんて。でもどうしてこんな気持ちになるんだろう。わからない。全然わからないよ…。

僕は初めての感情に戸惑って涙が溢れるのを止められなかった。

僕の涙に気づいたリアムが慌てて顔を離す。唇が離れてしまうのが何だか名残惜しくて僕は思わず手を伸ばした。でもその手は握られることはなく空をかいて落ちた。


「もう…休め。まだ熱が引いてない」

「うん…」


リアムが僕の隣に寝転び背中を向ける。

僕は広い背中を見て胸が苦しくなった。

リアムが変だ。優しいけど素っ気ない。僕に触れたけどそれは何かを探っているように感じた。

僕が三日間眠っている間に何があった?僕を好きだという気持ちが間違いだと気づいたの?

知らず知らずに右手で左肩の傷に触れた。そして気づく。

そうか。リアムは僕の手当をしてくれた。その時にわかったんだ。僕が男だということが。

出会った時に、男だと助けなかったとはっきり言われた。男だと知られた僕はもう、リアムには必要ないのだろう。だってこんなにもはっきりと態度で拒絶されているじゃないか。

ごめんリアム。今まで黙ってて。

動けるようになったらリアムから離れよう。リアムの傍は心地よくて離れるのは寂しいけど仕方がない。それに嫌われることには慣れている。

ただ男だとわかっても捨て置かないで手当をしてくれたリアムは、本当に優しいと思う。そのことは感謝しなきゃ。


「リアム、手当…して…くれて…ありがとう」


リアムの背中にそっと囁いて、僕も背中を向けた。

翌朝まだ身体が辛かったけど、平気だと嘘をついてリアムに先に進むように頼んだ。

どうやらリアムは、まだ僕と一緒に旅を続けてくれる気があるらしい。優しいリアムは、男だとわかったからといって怪我をしている僕を突き放すことが出来ないんだろう。だから僕は自分から離れようと決めたんだ。

一日かけて魔物がいる森を抜け、小さな街の宿に入った。

夕食を食べて身体を洗うと早々に、僕は疲れたからとベッドにもぐる。

リアムが何か言いたそうに口を開きかけたけど、僕が頭から布団を被ってしまったからか何も言わなかった。

しばらくは荷物を片付けるような音が聞こえていた。でもそのうちに灯りが消えて穏やかな寝息が聞こえ始めた。

僕は布団からそっと顔を出すとリアムの方を見てドキリとした。

リアムがベッドに寝転びながら僕を見ていたからだ。

僕は激しく鳴る胸を押さえながら口を開く。


「…寝たんじゃなかったの?」

「それはこっちのセリフだ。おまえこそ寝てたんじゃないのか」

「…寝てたけど起きた」

「ふーん…。まだ体力が戻ってないだろ?早く休めよ」

「うん…あの…」

「なに?」

「ありがとう」

「なにが?」

「二度も僕を助けてくれて」

「別に礼を言われるほどのことじゃない」

「そっか。でも言いたかったから…本当にありがとう。おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」


僕は心から感謝の気持ちを込めて笑うと、リアムに背中を向けた。眠るつもりはなかったのに疲れていたせいか少しだけ眠ってしまった。

そして夜も明けきらぬ暗いうちにベッドを降りて身支度を済ませ、部屋を出た。扉を閉める前にリアムの顔を見る。

離れたくない。

そう思って胸が苦しくなったけどどうしようもない。

僕が女だったらリアムは本当に妻にするつもりだったのかな。でも女だったらそもそも城を追い出されたりはしなかった。命を狙われはしなかった。僕が男だったから城を出てリアムに出会ったんだ。

僕は溢れそうになる涙を目を瞬かせてやり過ごすと、静かに扉を閉めた。


「ロロ、どこに行こうか?」


ようやく空が白み始めた中をあてもなくゆっくりと進む。

リアムから離れたものの、僕はどこにも行けない。国境を越えるにも通行証を持っていない。

結局僕の居場所なんてどこにもないんだ。

そう思ったけど全ての国境に関所があるわけじゃない。もし関所を通らずに国境を越えられるなら、他の国も見てみたい。どうせこの世界に居場所はないんだ。流されるままに進んでみよう。

僕はロロの脇腹を軽く蹴ると、昇り始めた太陽に向かって進み始めた。



あてもない旅を始めることになったけど、幸いお金は持っている。城を出る時に、ラズールと二人で暮らすのに必要かもと荷物の中に入れていたのだ。でもラズールが現れることはなく、結局は必要無くなったと思っていた。だけど一人きりになった今はとても助かる。

僕のいたイヴァル帝国の西にバイロン国、更に西に行くとトルーキル国がある。リアムはトルーキル国に行くと話していた。だから僕は北に向かおうと思う。イヴァルとバイロンの両国の北に位置するデネス大国。彼国には一年中雪に覆われた山があると聞く。ぜひその山をこの目で見てみたい。自由になったのだから一つくらいはやりたかったことをしてみたい。

目的ができたことで、苦しかった胸が少し軽くなった気がした。

僕は手綱を握り直すと、ロロの脇腹を蹴って固く踏みならされた道を走り抜けた。

その日は二三回の休憩を挟んだだけで一日走り続けた。おかげでかなりの距離を進めた気がする。

途中何度も振り返りリアムの姿を確認したが、彼が追いかけてくる様子はなかった。

僕は安堵か不安かわからない息を何度も吐いた。

そして疲れ果てた頃に小さな街を見つけた。

僕はロロから降りて手綱を引きながら宿を探すが中々見つからない。宿というものは何処にでもあるものと思っていたが無い街もあるのかと知った。ずっと城にこもっていた僕には知らないことが多すぎる。この先一人で大丈夫だろうか項垂れかけたけど、首を振って顔を上げる。

目に入る家々は、まだ陽が暮れ始めたばかりだというのにどの家も窓が閉まっている。通りに人の姿も見かけない。

僕は街を通り抜け、途方に暮れてとぼとぼと歩き続けた。


「仕方ない…野宿するか」

「おい」

「えっ?」


いきなり声をかけられて驚いた。思わず肩が跳ねてしまった。そして激しく鳴る胸を押さえながら振り向く。大きな籠を背負い斧を持った少年が、訝しげに僕を見ている。


「…なにか?」

「おまえ、この辺の奴じゃねぇだろ」

「あ…うん。旅をしてるんだ」

「ふーん。今夜どこに泊まるんだ?この辺りに宿屋はないぞ」

「そうみたいだね。まあ…仕方ないから野宿かな」

「馬鹿かっ。おまえみたいなのすぐ狙われるぞ!泊まる所がないなら俺ん家に来い」

「えっ、いいの?」

「いい。姉ちゃんと二人暮らしだから遠慮するな」

「ありがとう」


僕がお礼を言うと、少年は複雑な表情で頷き歩き出した。

僕は少年の隣に並んで歩きながら話しかける。


「僕はフィルと言います。君は?」

「ノアだ。姉ちゃんはリコ」

「ノアくん。さっきどうして変な顔をしたの?僕が怪しい?」

「…怪しくはないけど、おまえ…フィルみたいな子供がなんで一人で旅してるのかなって思った。それに…」

「子供…。僕は十六歳だよ」

「えっ、俺と同じ歳かよ!」

「同じなんだ?よろしくね。それで?」

「おま…フィルはさ、男だろ。でも綺麗な顔をしてるからもしかして女なのかもって一瞬迷った」

「え……」


僕は驚いた直後に嬉しくなった。なぜだかすごく嬉しくなって、足を止めてノアを見つめた。

ノアも足を止めて訝しげに見てくる。


「なんだよ」

「ノア、ありがとう」

「なにが?訳わかんねぇ。礼なら明日の朝、出てく時に言えよ」

「うん」


ノアが変な奴と呟きながら吹き出した。

ノアの笑顔につられて僕も微笑みながら、涙が零れそうになって困った。


僕は嬉しかったんだ。迷うことなく本当の僕をわかってくれたような気がして嬉しかったんだ。



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