第6話

軽快に進むリアムの後ろについて走っていると、リアムが馬の速度を落としてロロの隣に並んだ。

僕も少しだけロロの足を遅くする。

リアムはいつになく真面目な表情をしていた。


「フィーの国にも魔物はいるのか?」

「…いる。といっても僕は見たことがないんだけど」

「ふむ、やはりこの世界のどこにでもいるものなのか。イヴァル帝国では遭遇しなかったから全て討伐されているのかと思った」

「よくはわからないけど…魔物はとても怖いんでしょ?討伐は無理じゃない?」

「そうだよなぁ」


僕はリアムに向かって首を少し傾ける。


「リアムは魔物を見たことがあるの?」

「ある。というか退治したこともある」

「えっ、すごい!怖くなかった?」

「怖いよりも興奮したな。こんな強そうな魔物相手に俺の力はどれだけ通用するのかって」

「なんとなくわかってたけど…リアムって自信家だね」

「男なんて皆そうだろ?」

「そう…かな」


そんなことはない。王である母上や病に伏せっていた姉上でさえも自信に溢れていた。でも僕には自信なんて微塵もない。男だけど誰からも必要とされていない僕に自信なんてあるわけがない。


「だが…」


いきなり頭を撫でられて、僕は反射的に顔を上げる。

リアムが眉尻を下げた情けない顔で僕を見ている。


「今は少し不安だな。フィーといる時に魔物が現れたら、フィーが傷つけられたらどうしようって怖いな…」

「……大丈夫…だよ。僕も少しは剣と魔法が使える。自分の身は自分で守るよ」

「駄目だ!フィーは戦うなっ。俺が守ってやる!」

「……」


たった今不安だって言ったくせに。矛盾してるよ。

僕は今まで散々暗殺者に狙われてきたんだ。今さら傷ついたってどうってことない。せっかく王から逃げられたから生きていたいけど、魔物に殺されたならそれはそこまでの僕の運命だと受け入れる。だから守ってもらわなくてもいいよ。

僕が黙ってしまったから怖がっていると思ったのか、リアムが僕の頭を何度も撫でる。

その優しい手の感触に僕はふいにラズールを思い出してしまい、胸が苦しくなった。

ラズールは今頃、姉上の側近として重宝されているだろうか。もう僕のことは忘れてしまったのかな。少しは思い出すことがあるのかな。あの国で唯一の僕の味方だったラズール。もう二度と会うことはないだろう。どうか呪われた子である僕のことは忘れて幸せになって。

まだ二週間も経っていないのにずいぶんと遠い過去のことのように感じる。大した思い出もない国だけど、僕は懐かしさに胸が締めつけられて知らず知らずに涙を流していた。


「フィー、どうした?」

「…目にゴミが入ったみたい。でももう大丈夫だよ」

「そうか?」

「うん。早く先に進もう」


僕は泣いてることに気づかれないように、ロロの横腹を蹴って前に進んだ。

リアムが横に並ぶ前に素早く涙を拭いて顔を上げる。

リアムはしばらく心配そうに僕の隣に馬を並べていたけど、遠くに森が見えると手綱を握り直して背筋を伸ばした。


「あの森を抜けないとトルーキル国へと繋がる道に行けない。だがあそこには魔物が出る。フィー、俺の傍を離れるなよ。無茶はするな」

「わかった」


僕が頷くとリアムも頷き返した。そして凛とした表情で僕の前に出た。

僕はリアムの後に続きながら、右掌に白い光の玉を作る。

うん、大丈夫。ちゃんと魔法を使える。ここしばらく使ってなかったから心配だったけど、自分の身くらいは守れる。

僕は右手を固く握ると、少し離れてしまったリアムの後を追いかけた。



高い木々に覆われた森は昼間でも暗かった。確かイヴァル帝国にもこんな森があるということを話に聞いてはいたけど。本当にいつ魔物が出てきてもおかしくないくらいに怖いと思う。普通の人なら。でも何も持っていない僕は、怖いとは思わない。命を狙われ過ぎて怖いという感情はとっくの昔に消えている。

なのにリアムが、辺りを警戒しながら何度も僕に大丈夫だと言う。俺が守るから怖がらなくてもいいと。あまりにも心配してくれるから僕はつい「怖くないよ」と言ってしまった。

その瞬間、リアムが勢いよく振り向いた。


「フィー、俺を安心させようとしてるんだな。いいんだぞ、怖い時は怖いと言って。魔物が出たら必ず俺を呼ぶんだぞ」

「…僕は剣も魔法も使える。魔物とは戦ったことがないけど多少は大丈夫だと思う」

「フィー!頼むから危険に身を晒すな。俺に守られてくれ!」

「うん…」


リアムがとても真剣な顔で言うから、渋々小さく頷く。

でもねリアム、命懸けで僕を守ろうとしても危険はすり抜けて僕に届くんだよ。ラズールはいつも命懸けで僕を守ってくれた。それでも僕は数度、命を落としかけた。運命に抗って、思いがけずリアムに助けられてここまで生きてきたけど、本来なら生まれた直後に消える命だったんだよ。そんな僕を守ると言ってくれたリアムこそ生きて欲しい。だからね、僕が命懸けでリアムを守るよ。僕の運命はきっと変えられない。でもリアムはこの先も広い世界を見て輝いて欲しい。

僕はリアムと出会えたことに感謝する。リアムは僕の初めての友達だよ。もし離れることになっても僕のことを覚えていて欲しい。

リアムの広い背中を見つめながら願う。

あと少しだけリアムと旅がしたいという欲を持ってしまっていたけど叶わない。今度こそ僕はこの森で死ぬだろう。

今まで感じたことのない胸の痛みに気づいて、そっと息を吐いた。その時、どこからか恐ろしい咆哮が聞こえてきた。

リアムが馬を止めて辺りの様子を伺う。

僕もリアムの隣に止まり、耳に神経を集中させた。

咆哮はまだ続いている。一、二…三?三匹もいるのか?ラズールから聞いたことがある。魔物も様々で大して強くない小物から手に負えない大物までいるそうだ。今聞こえてくる声の魔物は強いのかもしれない。だってリアムの顔が緊張で強ばっているように見えるから。


「リアム…」

「動くなよ」


僕は素直に頷いた。

木々が風に揺らされる音と魔物の咆哮しか聞こえない暗い森の中。ごくりと唾を飲み込んだ音がやけに大きく響いた気がする。

その時、前方の木々の間から目を光らせながら大きな異形が現れた。

あれが…魔物。

想像していた通りの恐ろしい姿。全身を硬い黒い毛で覆われ大きな口からは鋭い牙が覗いている。そして四足歩行する手足の先には鋭い爪が。


「なかなかの大物。やっかいだな」


リアムが馬から降りて剣を抜く。僕も続いて降りるとロロに離れているようにと首を撫でる。


「フィーは何もするな」


剣の柄に手を置いた僕にリアムが前を向いまま言う。でもそういう訳にはいかない。リアムは強いのだろうけど、目の前の魔物はどう見ても簡単に倒せそうにない。

だから僕はそのまま剣の柄を握りしめた。


「グアウッ!」

「フィー!」


いきなり後方から咆哮が聞こえた。素早く振り返ると同時に剣を抜く。前方にいる魔物と同じ姿の魔物が大きな口を開けて飛びかかってきた。僕は転がりながら横に避けて魔物の後ろ足を斬った。

リアムが剣を頭上に構え倒れた魔物の頭を真っ二つに斬る。


「すごい…」


僕の力では魔物の足を斬るのが精一杯だった。なのにリアムはすごい力だ。男として羨ましい。


「大丈夫か?」


リアムが剣を振るって血を払い膝をついていた僕に手を差し出す。

その手を掴もうとして僕は思わず叫んだ。


「あ…っ、危ないっ!」

「チッ!」


最初に現れた魔物がリアムに向かって鋭い爪を振り下ろそうとしている。振り向きざまにリアムが剣を構えようとするが間に合わない。

僕は咄嗟に持っていた剣を投げた。剣は魔物の目に突き刺さり、一瞬動きの止まった魔物の腕をリアムが斬り落とした。


「グアアアッ!」


恐ろしい叫び声を上げて魔物が暴れる。大木に巨体をぶつけながら残った方の目が僕を捕らえた。一瞬の間を置いて僕に向かって飛び上がる。その瞬間、あらわになった魔物の腹をリアムが斬り裂いたが、構わず魔物は僕に飛びかかり左肩を裂いて息絶えた。


「フィーっ!」

「う…」


飛びかかられた衝撃で倒れる僕を、リアムが抱きとめてくれる。

左肩が燃えるように熱い。痛みよりもとにかく熱い。リアムが何か叫んでる。青い顔をしているのにすごく汗をかいてる。あれ?僕だけじゃなくリアムも暑いの?結局僕は、人ではなく魔物に殺されるのか。ふふっ、でもまあ、王の命令を受けた者に殺されるよりはマシか。


「あ…」


遠のく意識の中で、リアムの背後に魔物を見つけて焦る。


「…まだいる…。そうだ…三…いたん…だっけ」


僕は鉛のように重たく感じる右腕を上げて掌を魔物に向ける。そして途切れそうな意識を集中させて白い光の玉を魔物に飛ばした。

白い光に重なるように黄色い光も見えた気がする。


「リア…厶…?」

「フィー!」


瞼が重くてもう目が開かない。だから魔物を退治出来たのかわからない。

僕は確認したくて口を開こうとするけど、全身から力が抜けて動かすことが出来なかった。


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