第3話

あの日から時おり中庭を散策する姉上と会った。

姉上はいつも優しかった。いつもごめんねと謝った。ずっと病弱で伏せって辛かったはずなのに、僕のことを心配してくれる姉上が僕は好きだった。

そして姉上は、ラズールのことが気になるようだった。僕と話した後に必ずラズールにも話しかける。

でもラズールは、はいとかいいえしか言わない。僕とはあんなに話すのに、他人にはとても素っ気ない。

僕はそれが、なぜか嬉しかった。


「ラズール、姉上にあんな態度をとってもいいの?次期王だよ?」

「あんな態度とは?俺は敬意を持って接しています」

「そうなの?ずいぶんと素っ気なく見えるけど…。姉上はラズールを気に入ってるみたいだから、今から覚えを良くしてた方がいいよ」

「なぜ?」

「だって姉上が元気になったら僕は城から出される。そうしたらラズールは姉上に仕えるでしょ?ラズールはずっと僕の世話をしてたから、いきなり姉上に仕えるのは大変だと思う。だから今から…」

「フィル様」

「…なに?」


ラズールがいきなり厳しい声を出した。

僕は驚いて言葉に詰まる。

ラズールは僕の肩を掴むと、とても怖い顔をして、この国のほとんどの人がそうである琥珀色の瞳で僕を見つめた。


「以前に約束をしましたよね。私は、あなたの傍を離れません。あなたが城を出る時は一緒に行くと。二人でどこかで穏やかに暮らそうと。お忘れですか?」

「覚えてるよ…。でもラズールは優秀だから、そんなこと王が許さない…」

「別に構いません。それならば俺があなたをさらって逃げるまでです」

「ラズール…」

「フィル様。二度と俺に他の人に仕えろなどと言わないでください。あなたにそんな風に言われると辛いですから」

「ん…わかった」

「よろしい」


ラズールが肩から手を離して僕の銀髪を何度も撫でる。

僕の銀髪は今では腰に届くまで伸びている。

ラズールはよく僕の髪を「宝石のようだ」と目を細めて褒めた。そして暇さえあれば丁寧に櫛で梳いた。

僕は僕の髪に触れるラズールの手の感触が好きだった。



僕と姉上は十六歳になった。

そして遂に姉上が元気になり、僕の役目が終わる時が来た。

ある夜に王に呼ばれ、僕の方を見ることも無く告げられた。


「フェリの病気が治った。おまえの役目は終わりだ。今夜中に荷物をまとめて、国の端にある村に行くといい。途中まで兵をつける」

「…はい」

「わかっていると思うが、自分の出自を決して口にしてはならぬ」

「はい」

「用はそれだけだ」


この時が来るのを覚悟していたが、僕は不安で怖くなった。そして意を決して顔を上げた時にはもう、玉座に王の姿は無かった。

部屋に戻り白のシャツと灰色のズボンに着替え、黒いマントを羽織った。目立たないように移動するためだ。そして唯一、僕の物として与えられていた剣をベルトに挟むと、簡単な荷物を持って部屋を出た。

部屋の外にはすでに一人の兵が待っていた。兵の後をついて歩きながら、いつどこでラズールが現れて、僕を連れて逃げてくれるのかとドキドキしていた。だけどラズールが現れることはなく裏門に着いてしまう。

裏門には、四頭の馬と二人の兵が待っていた。

三人の兵は、皆見上げるほどに背が高く逞しい。

片や僕は、ずっと熱心に鍛錬をしてきた。なのに姉上の身代わりだと気づかれることが一度もなかったくらいに、小柄で華奢な身体付きだ。

ラズールも背が高く屈強な身体をしている。いつかは僕もラズールのようになりたいと願っていたのだけど、もう十六歳になってしまった僕は、この先大きくなれるのだろうか…。


「フィル様?」

「あ、うん」

「こちらの馬にお乗り下さい。門を出たら飛ばします」

「わかった」


僕は、四頭の馬の中に僕の愛馬のロロがいたことに安堵した。とても優しく賢い馬なんだ。だけど僕以外の人が乗ろうとすると怒って暴れる。だから僕と一緒に厄介払いをしたかったんだろうな。


「ロロ、長旅になるけど頼むね」


ロロが鼻先を僕にすり付ける。

僕はロロの首を数回撫でると、鐙(あぶみ)に足をかけて勢いよく飛び乗った。


「では出発します」


三人の中で最も位の高そうな青年がそう言って、先頭に立って進み始めた。

その後ろに僕が続き、二人が後からついてくる。

城の裏門を出て寝静まった街の通りを抜け、街を囲んでいる門も出てしばらく進んだ所で、前の兵が馬の横腹を蹴って勢いよく走り出した。

僕も慌ててロロの横腹を軽く蹴る。

そうするとロロは、わかったというように一度だけ首を振って軽快に駆け出した。

後ろの二人もピタリとついてくる。

五日程で目的の場所に着くと聞いた。しかしそこに行くまでに、いくつかの森を通らなければならない。森の中には、危険な魔物が出る所がある。無事に通ることが出来るのだろうか。


「いや…たぶん僕は…」


小さく呟いて思わず笑ってしまった。

僕はなぜ魔物の心配などしてるんだろう。魔物よりも怖いのは、この三人の兵達だ。城から追放した僕にわざわざ兵をつけるということは、確実に僕を消すためだ。

僕は、ラズールが僕を連れて逃げてくれたなら、この先もしぶとく生きようと思っていた。

だけどラズールは来なかった。僕を連れて逃げてくれなかった。たぶん王に気づかれていたんだ。今頃どこかに監禁されているのかもしれない。もしくは…僕と逃げるのが嫌になったのかな。ラズールは優秀だ。姉上に忠誠を誓えば、ラズールを気に入っている姉上に大事にしてもらえる。その方がラズールにとっても幸せだと思う。

ラズール、今までありがとう。僕は僕の運命を受け入れるよ。だからもう、僕のことは忘れて国のために頑張って。そして幸せになって。

そして僕の予想通りになった。

城から出て三日目の夜、深く暗い森の中で、三人の兵達に刃を向けられた。


「ここで休憩しましょう」と先頭を走っていた青年が馬を止めて降りた。

僕は頷き馬から降りる。二人の兵も馬から降りて木の幹に手網を括りつけると、いきなり三人が僕を囲み剣を抜いた。

僕は少しだけ目を見開いたけど、やっぱりそうかと納得して、ロロを押しやって僕から離した。僕は素直にここで殺されるから、ロロは逃がしてあげて欲しい。賢い馬だから、誰か優しい人に拾われるといいな。


「フィル様、申し訳ありません。王命により、あなたの命を頂戴します」

「うん。でもお願いがあるんだ」

「何ですか?」

「ロロは逃がしてあげて。あと、一突きで僕を殺して」

「…命乞いをなさらないのですか?」

「しない。だって僕はいらない子だもの。必要とされてないもの。それなのになぜ命を惜しむの?」

「フィル様…」

「こんな所まで連れて来させてごめんね。じゃあよろしくね」


僕はマントを脱いで地面に落とした。

二人の兵が、両側から僕の腕を掴む。

そんなことをしなくても僕は逃げないのに…と微かに笑った。

兵長の青年が、一度固く目を閉じて大きく息を吐くと、目を開けて剣を胸の高さに持ち上げ腕を後ろに大きく引いた。その時、ロロが前足を高く上げていなないた。


「ロロ!静まれ!邪魔をしちゃだめだよ!」


僕の命令を聞いたロロが、前足を降ろして鼻息荒く地面を掻いている。


「さあ早く!」


ロロの勢いに一度剣を降ろした青年が、再び剣を持ち上げる。次の瞬間、僕の周辺に突風が吹きつけ咄嗟に目を閉じた。

僕はてっきり刺されたと思ったのに、胸が痛くない。不思議に思いながら目を開けると、目の前に灰色のマントを羽織った大きな男が立っていた。一面灰色の大きな背中しか見えなくて、顔がわからない。でもフードが外された頭は、美しい金髪をしている。


「おいおい、立派な兵士が三人がかりでこんなか弱い子を虐めてるのか?情けないな。その格好…おまえらイヴァル帝国の兵だな?へえ…あの国は統率の取れたいい国だと思っていたが、こんなことする奴等がいるんだな……って、もう聞こえてないか」

「えっ?」


僕は慌てて男の背中から顔を出した。僕を囲んでいた三人の兵達は、皆一様に地面に転がってピクリとも動かない。


「え…待って。殺しちゃったの?」


灰色のマントを掴んで震えた声を出す僕に、男が振り向いて屈み目線を合わせる。そして綺麗な紫色の目を細めて僕の頭を撫でた。


「おまえ…自分が襲われていたのにこいつらの心配をしてるのか?優しいな。それに美しい銀髪に可愛い顔をしている。うん、気に入った!おまえを俺の国に連れて行く!」

「えっ!なんで?」

「え?俺の妻にするためだけど?」

「……つま……妻っ?」

「そうだ。あ、でも俺は今、諸国を放浪中なんだ。だからしばらく一緒に旅をしよう」

「つま…」


男の言ってることは理解してるけど、気持ちが追いつかない。

僕がぼんやりとしている間に男がマントを拾って僕の肩にかけ、気がついたら男と一緒に馬に乗っていた。




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