第2話
僕は頻繁に暗殺者から狙われていたが、僕に手が届く前に事前に防がれていた。
それは全てラズールのおかけだ。
でも五歳の時に死にかけたように、ごくたまにラズールの手をすり抜けて暗殺者の魔の手が僕に届く時がある。
もうすぐ十一歳の誕生日を迎える日のことだった。
この日は王や大臣達が不在で、ラズールが「たまにはのんびりと過ごしましょう」と言って、花が咲き乱れる中庭でお茶を飲んでいた。
当然、中庭の周りにはラズールが強力な結界を張ってある。
ラズールも僕には及ばないが、強い魔法を使えるのだ。
その結界に何かが触れたらしく、ラズールが確認をする為に席を離れた時だった。
結界を破って一本の矢が僕の肩を貫いた。
僕は迫ってくる矢に気づいた。だけど反応した時には遅く、振り向いて魔法で作ろうとした膜をすり抜けた矢が僕を貫いた。
「あっ…」
「フィル様っ!!」
異変に気づいたラズールが、ものすごい形相で僕に駆け寄る。
二の矢が迫ってきたけど、ラズールが身体から発した衝撃波で弾き飛ばした。
「衛兵っ!不審者だ!城内をくまなく捜せ!必ず見つけて殺せっ!王女が襲われたっ!」
「「はっ!」」
ラズールの声に数人の衛兵が集まり、命令を聞いて各自走って行く。
「ラズール…」
「フィル様っ、喋ってはなりません。今、矢を抜きます。とても痛いので俺の肩を噛んで下さい」
「んっ…」
ラズールが僕のシャツを破って肩を露にして抱き寄せる。
僕はラズールに言われた通りに、ラズールの肩を噛んだ。
「いきますよ。大丈夫。あなたはとても強い方だ…!」
「んんーっ!!」
ラズールが、勢いよく矢を引き抜いた。
とてつもなく激しい痛みに、僕の全身に力が入る。
「ああ…やはり毒が塗られている。フィル様、もう少し我慢してくれますか?」
「ん…」
「良い子だ。失礼します」
ラズールは一旦僕の身体を離すと、地面に自分の上着を敷いた。その上に僕を寝かせて、燃えるように熱い肩の傷に顔を寄せる。
「あっ!」
ラズールが強く血を吸って吐き出すことを繰り返す。
僕は痛くて呼吸を整えることだけで精一杯で、全てをラズールに委ねていた。
やがて肩に何かの液体をかけられ、やんわりとした温もりと共に痛みが引いていく。
ようやく痛みが去って、僕は安堵の息を吐きながら自分の肩を見た。肩には赤い跡が残っているものの、すでに傷口が塞がっていた。
ラズールも安堵の息を吐いて微かに笑う。
そして汗で顔に張りついた僕の髪の毛を撫でながら、僕の顔を覗き込む。
十九歳になったラズールの精悍な顔に、僕は思わず見とれてしまった。
「よく…頑張りましたね。毒を吸い出して、毒消しと化膿止めの薬をかけて傷口を塞ぎました。数日熱が出て痛みがあるかもしれませんが、もう大丈夫ですよ…」
「うん…ラズールありがとう。ラズールも…肩、大丈夫だった?思いっきり噛んじゃったから…。ふふ、ラズールがいなかったら僕はもう何度も死んでるね」
「肩は大丈夫ですよ。それに俺が絶対に守ります。何があっても死なせませんよ」
「うん…ううっ…」
「どうされました?痛みますか?」
「ちっ、違う…」
突然、僕に悲しみが襲ってきた。
ずっとずっと耐えてきたけど、ラズールがあまりにも優しいから我慢出来なくなった。
「ゆっくりでいいので話してください。俺には何でも話してください」
ラズールが僕を抱き上げて膝に乗せ、涙が流れる頬に唇を寄せる。ラズールの唇が温かくてこそばゆくて、僕は少しだけ首をすくめた。そしてラズールの目を見つめてゆっくりと話し出した。
「…僕は、自分の立場をわかってる…。姉上の身代わりを立派にやらなきゃいけないってわかってる。病弱の姉上が、早く元気になって欲しいって…心から願ってる。…でも、姉上が元気になったら僕は秘密保持のために殺される。この国の王女が実は双子で、もう一人は男で、しかもその男が王女の振りをしていたなんて絶対に知られる訳にはいかないから…。そういうことを全て、ちゃんと理解してる。でもね…時々どうしようもなく辛くなる時があるんだ。僕は…何のために生まれてきたのかなって。価値のない僕は、生まれて来なくてもよかったんじゃないかなって。…ふふ、ラズールがあまりにも優しいから、ちょっと気が緩んじゃった…」
笑った拍子に目尻からまた涙が零れた。
その涙をラズールがまた唇を寄せて吸い、耳元で「フィル様…」と優しい声を出す。
「うん…」と鼻声で返事をした僕をそっと抱きしめて、ラズールが優しい声で続ける。
「俺が傍にいます。これからもずっと。もしも王女様が元気になられてあなたの役目が終わったら、俺があなたをこの城から連れ出します。追手が来ても、どこまでも一緒に逃げます」
「えっ?そんなことしたらラズールまで殺されちゃう…」
「あなたのためなら構いませんよ。でも殺されません。あなたと二人で、どこかでのんびり暮らしたいから」
「ラっ、ラズールぅ…!いいの?僕のこと、邪魔じゃない?」
「ふっ、なんてことを仰るのですか。あなたを大切だと思いこそすれ、邪魔だなどと露とも思いませんよ」
「うっうっ…、ありがとう…」
「ほら、もう大丈夫ですから泣き止んでください。あなたが泣くと俺まで辛くなります」
「うんっ…、でも止まんない…っ」
「困った方だ…」
僕はラズールにしがみついて、いつまでも泣き続けた。そのうち泣き疲れて、気がついた時には僕の部屋のベッドの上だった。
この日以来、僕とラズールの絆は更に強くなった。
だけど王が、このことに気づいていない訳はなかったんだ。
僕は十三歳になった。まだ王女の身代わりを続けている。
すっかりドレス姿にも慣れてしまった。僕を男と知らない者達が、ドレス姿の僕を見て頬を染める様子にも慣れてしまった。
でも公の場に出る時以外は、魔法や剣術の稽古をするという理由で男の格好を許してもらっている。
日差しが暖かく降り注ぐある日、ラズールとの剣術の稽古を終えて部屋に戻る時だった。
中庭を横切る通路を歩いていると、「フィル…?」と小さな声に呼び止められた。
僕の本当の名前を呼ぶのは、ラズールしかいない。
でも今聞こえたのは、女の子の優しい声だ。
不思議に思って声がした方を見ると、可愛らしいピンクの花の傍に、僕にそっくりな女の子がいた。
僕の心臓が大きく跳ねる。
僕にそっくりな顔…まさか…フェリ!
女の子がゆっくりと僕に近づく。女の子の後ろには、護衛の男と女がピタリとついている。
「あなた…フィルよね?だって…私にそっくりだもの」
「…姉上…」
「やっぱり!私、あなたに会いたかったの!会っていっぱい謝りたかったの…」
フェリが、しゅんと俯いてしまう。
その姿があまりにも儚げで、僕は思わず手を伸ばしかけた。でもフェリに触れる寸前に手を下ろした。
「謝る?…姉上は、僕のことを嫌いでは…」
「嫌いなわけないじゃないっ。ずっとフィルが私の代わりをしているって聞いて、申し訳なく思ってたの。男の子なのに…女の子の格好をさせて…ごめんなさい…。私が病弱なせいで、嫌な思いさせて…ごめんなさい…」
僕は言葉に詰まった。
僕は勝手に姉上も王と同じだと思っていた。病弱だけど、感情のない冷たい人間だと思っていた。
「姉上…謝る必要はありません。これが僕の役目です。姉上は早く元気になることだけを考えて下さい。ああ…でも、外に出ているということは元気になってきたのですね?」
「そうなの。良い薬ができたとかで、去年くらいからたまに外に出れるようになったの。フィル…もう少し待ってね。早く元気になって、あなたを自由にしてあげる。私の弟だって公表して共にこの国を守りましょうね」
「……はい」
フェリは花のように華やかな笑顔でそんなことを言う。
そうか…彼女は何も知らないのだな。この国に双子は厄災をもたらすことも、役目が終わった僕は殺されるということも。
でもフェリの優しさは、とても嬉しかった。
僕はただ王に命令されてフェリの身代わりをしていただけだけど、この優しいフェリのためならいくらでも身代わりをしようと、改めて強く思った。
「フィル様そろそろ…。汗で濡れたままだと身体が冷えてしまいます」
「そうだね。姉上、会えて嬉しかったです。一日も早く元気になられることを願ってます」
「そうね、ありがとう。あのっ、ところであなたは?」
フェリがラズールを見て尋ねる。
「フィル様の側近のラズールです。以後お見知りおきを」
「…ラズールね。弟をよろしくね」
「はい。では失礼致します」
ラズールが僕の肩を優しく抱いてその場を離れる。
ちらりと目だけを動かして見たフェリは、僕ではなくラズールを熱心に見つめていた。
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