第6話
それから私は──今より一回りも二回りも小さくて、背骨がくっきりと浮き出ていた優の背中に真後ろから抱きついたことがある。
「まあ、冗談はさておき……いつも通り虫が顔に飛んできたり蜘蛛の巣を発見したりしたら必ず事前に教えるから」
「うんありがとう」
全部冗談だったんだ。つい先程のキラキラ甘々発言全てが冗談だと分かり、モヤモヤとした気持ちに支配された。このモヤモヤから解放されるためにはまだ何か言わなければいけないと思った。
「……じゃあ、優の無防備な背中は、私が守るから」
私は少し考えてから優の冗談に冗談で返した。言い慣れていない言葉を口にしたせいでたどたどしい口調になってしまい、恥ずかしくて自転車のハンドルを強く握りしめていると、「あっ!」と優が声を上げた。
「ど、どうかした?」
もしかして引かれた?
「いや、今更致命的なミスに気づいたんだけど俺が灯莉の後ろを走るべきだったんじゃ……。今まで筋トレして鍛えた逞しい背中を見せたくて率先して前走ってたけど。なぁ、敵ってどっちから来ることが多いと思う?」
「大丈夫だよ。別に致命的なミスじゃないし、敵って何? もしかして今まで私が気づかなかっただけで優は現実世界の住人じゃない?」
「住人だよ! 敵ってのは車とか不審者とか変質者とかのことで……。とっ、とにかく! 俺はお前を守るから!!」
「もう朝から冗談飛ばしすぎ〜!」
私が苦笑しながら突っ込んだその時、大きなトラックが私と優の右横すれすれを通り過ぎて、そのことにも耳元で聞こえた走行音にも驚いて口から心臓が飛び出しそうになった。
「び、びっくりしたぁ……」
息を吐きながら呟くと、「なぁ」と不意に普段より低い声で話しかけられてどきりとする。
「もしかして……聞こえなかったか? 俺が今言った言葉」
「うん、音が煩くて全然聞こえなかった。何て言ったの? ごめん、もう一度言って」
「いや……。大したことは言ってねぇから気にしなくていい」
優はそう言ったけど急に声のトーンが下がったし、落ち込んでいる時に発する声に似ていた。どうしたんだろうと心配になって、本当に大した内容ではないのか確認したかったけど、「分かった」と短く答えた。
だって、答える直前に、ハンドルに爪痕が残りそうなほど爪を強く突き立てている左手がちらりと見えて。その手から、これ以上この話を続けてはいけないような、ネガティブオーラをひしひしと感じ取ったから。
「じゃあさ、今日から私の後ろを守ってよ」
私は質問して確認する代わりに努めて明るい声でお願いした。
「……今日から?」
「うん。私、前行くね」
「……お、おう」
優が二回連続で戸惑ったような声で返事をしたのがおかしくて笑い上戸の私は我慢できずに吹き出した。
大笑いしながら前方後方をしっかりと確認して、自転車を漕ぐ速度を上げて優を追い越す。
「何で笑ってんだよ?」
「すぐるん、私の無防備になった背中は任せたよ!」
また戸惑ったような声で尋ねてきた優に、あだ名で呼び返してくれることを密かに期待してぺったんこな胸を弾ませながら大声で頼む。
「おう任せとけあかりん!!」
そしたら真後ろで普段通りの明るい声が道路に響き渡った。私は心の底から安堵するのと同時に嬉しさがこみ上げてきて、思わず顔を上げて微笑んだ。
上げたことで視界に入ってきた空を眺めると、灰色の雲の隙間から太陽が顔をチラ見せしていて、黄金色の光が差し込み始めていた。私たちがその光を浴びるのはもうすぐだろうと予想していたら自然と笑みがこぼれた。
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