第2話

 鼻歌の主が誰だか分かって思わず笑みがこぼれた私の耳に明るい声が入ってきて憂いを吹き飛ばす。素早く右横に目を向けると、そこには自転車に乗った優──鍋岡なべおか優がいた。

 歩道と車道を分ける縁石のすぐ右隣を走っていた私の右横を颯爽と通り過ぎた優は、タイヤ半分の距離だけ追い越してから私の方を振り向いた。

 私の好きな顔のタイプである塩顔イケメンとは言えないけれど大好きな顔で──って危ない! だから、車道外側線からはみ出したまま私を笑顔で見詰め続けるのは即刻やめて欲しい。自転車がその線の外側を走っても問題ないけれど私と同じように内側を走った方が安全だ。もちろん笑顔は今日もかっこよくて最高で私の平らな胸がきゅんと高鳴った。でも今は浮かれてる暇はない。一体何回注意すれば分かってくれるんだろうか。

「ちょっと前見て!!」

 大声を出すと優は一重の私が嫉妬するほどぱっちり二重の目を見開いた。それからすぐにその目を後方に向けて、顔を前に向けると私の前方に移動してきて走り出した。優が確認して無反応だったから大丈夫だということは分かったけれど、念のために私も後方を確認する。

 こちらに向かって走行している自動車がいないことが分かってようやく、「よかった……」と声を漏らす。しかし、すぐにはっとする。後もう一つ確認しなければいけないことがあることをうっかり忘れてた。優はセンターラインから離れた位置にいるから対向車と正面衝突する可能性は低いことは分かっているけれど、念のため(二回目)対向車線も確認して安堵して肩の力を抜いた。今、視認できる範囲内で車道にいるのは私たちだけだ。

「もう気をつけなよ? はねられたらどうすんの?」

 もし優が目の前で交通事故に遭ったら、生きる希望を完全に失ってその場で後追い自殺するに違いない。

「相変わらず心配性だなぁ……」

 と、無言で前を走っていた優が呆れているようにも、困っているようにも見える顔を私に向けてきた。ま・え・み・て。私が軽く睨みながら口パクで懇願すると優は苦笑いを浮かべつつも素直に従った。

「車が来てないかどうか遠くの方まで確認して追い越したから大丈夫だ。これ、お前に注意される度に言ってるけど何度言ったら分かってくれるんだ?」

「それはこっちの台詞! もっと慎重に行動しなよ!!」

「知らなかったのか? 俺は意外と慎重派なんだぜ。それにしっかり者だしな、朝が弱くてドジっ子な灯莉とは違って」

 優はそう言った後に楽しそうな笑い声を上げた。私の既に傷だらけの心に新たに深い傷が刻まれて怒りと悲しみがこみ上げる。知らないのはお互い様だ。私にとってしっかり者という言葉は地雷なんだよ。

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