天国から来た手紙

春風秋雄

それは2年前に亡くなった元カノからの手紙だった

読み終わった手紙を封筒に仕舞いながら、俺はどうすれば良いのか、途方に暮れた。今更、こんなことを告げられても、どうしようもないではないか。俺宛に手紙を書いた主は島田真理恵、7年前に別れた恋人だった。

1週間前に、真理恵の母親から電話があった。真理恵の母親とは交際中に2~3回会ったことがある。真理恵は2年前に病気で他界したとのことだ。それすらも俺は知らなかった。真理恵は俺と別れた後も独身を通したようで、実家で暮らしていたそうだ。しばらく真理恵の部屋はそのままにしていたそうだが、2年経って、やっと遺品整理をしていたところ、引き出しの奥から宛名が書かれた手紙が出てきたということだ。宛名住所は書かれていたが、切手は貼ってなく、真理恵はその手紙を出そうとしたが、結局出さずじまいだったようだ。いつ書いたものかもわからず、俺がその住所にいるかどうかもわからない。また、俺が受け取っても迷惑になるだけではないかと思い、真理恵の携帯から俺の電話番号を探して電話してきたということだった。連絡をもらい、俺はとりあえず手紙を受け取ると返事した。住所も変わっていなかったので、お母さんはそのまま封筒に切手を貼って投函するということだった。それが今日届いたのだった。手紙は真理恵が亡くなる半年くらい前に書かれたもののようで、“稲垣大地様”から始まる手紙には、想像外のことが書かれていた。


俺と真理恵が初めて出会ったのは、学生時代に北陸の方の海の家でアルバイトをしていた時だった。21歳の時だから、もう15年も前の事だ。学生アルバイトが8人くらい来ていて、その中に真理恵もいた。1か月足らずのバイトだったが、その時に俺と真理恵、そして星野真琴、加藤俊介の4人だけが東京から来ているということもあり仲良くなって、夕食後はいつも4人で遊んでいた。俺は次第に星野真琴さんのことが好きになってきた。ところが、俊介も真琴さんのことが好きなようで、一緒に働いている間は気まずくなるのが嫌だったので、特に何も行動を起こすことはなく、アルバイトは終了した。4人は連絡先を交換して、東京でまた会おうと別れた。

東京に戻って俺は真琴さんに連絡しようか迷っていた。すると、東京に戻って1ヶ月もしない頃に、俊介が4人で会おうと連絡してきた。俺としては願ってもないことだった。真琴さんと二人きりで会う勇気はなかったが、4人であれば気楽に会える。

久しぶりに会った4人は、海の家のときと変らないノリで楽しんだ。それからは俊介が音頭をとり、定期的に4人で会うようになった。

4年生になった時に、定例会の図式が崩れ出した。皆就活で忙しいということもあり、なかなか集まれない。やっと日程が決まり、久しぶりに集まることになったが、当日になって俊介が欠席した。

「あいつ、どうしたんだろう。連絡しても電話に出ないんだ」

俺が心配になって言ったが、真理恵さんも真琴さんも何も言わなかった。真琴さんがトイレに立ったとき、真理恵さんが教えてくれた。

「俊介君、真琴に告白して振られたらしい。だから気まずくて来られなかったんだと思う」

そうだったのか。あいつ、とうとう告白したのか。少し驚いたが、振られたと聞いて安心する俺もいた。

今度は真理恵さんがトイレに立ったときに、俺は真琴さんに言った。

「今度、二人で会ってもらえませんか?」

「それは、デートに誘っているのですか?」

「そのつもりです」

「明日にでも、電話します」

俺は胸がドキドキしていた。少なくとも、ノーという返事ではなかった。

翌日俺は待ちきれずに、俺の方から真琴さんに電話した。

「ごめん、俺の方から電話しちゃった」

「別にいいよ。私も今電話しようと思っていたところ」

「就活の方はどう?」

「昨日は真理恵ちゃんがいたから言えなかったけど、福祉関係の会社に内定もらった」

「そうなんだ!おめでとう」

「大地君は?」

「一応第一志望の会社に内定もらっている」

「本当?よかったね。おめでとう」

「真理恵さんは苦労しているみたいだね」

「そうみたい。もう10社以上ダメだったようで、かなり落ち込んでいた」

「俊介から告白されたんだって?」

俺は思い切って切り出した。

「真理恵ちゃんから聞いたの?」

「うん」

「俊介君は良い友達だと思っているけど、そういう対象ではなかったから、断ったんだけど・・・。もう定例会には来ないのかなぁ」

「しばらくは来ないかもしれないね」

「せっかく仲良くなれたのに、寂しいね」

「俺は振られても定例会にはちゃんと来るから言うけど、俺も真琴さんのことが好きです」

「・・・」

「真琴さん?」

「そういうのは、電話ではなくて、面と向かって言ってほしかったな」

「ごめん。じゃあ、今のは忘れて。今度会った時に改めて言うから」

「もう遅いよ。忘れられないじゃない」

「・・・」

「じゃあ、私も電話で返事するね。私も大地君のこと好きです」

「本当?」

「本当だよ。でも、真理恵ちゃんも大地君のこと好きなんだよ」

「ええ?そうなの?」

「だから、真理恵ちゃんの前では今まで通りでいよう」

「わかった。そうしよう」

それから俺たちは真理恵さんには内緒で付き合うようになった。

二人とも内定をもらっていたので、時間の余裕はあった。少しバイトで稼いでどこかへ1泊旅行に行ったりすることもあれば、一日外にも出ずに俺の部屋で過ごすこともあった。

俺たちはベッドの中で、お互いのことを語り合った。

「俺が小学校2年のときに、お袋は俺を置いて家を出て行った。だから親父が再婚するまで祖父母に育てられたようなものだった」

「どうしてお母さんは出て行ったの?」

「理由はわからない。親父はこの家が気に入らなくて出て行ったと言っていたけど、祖母と折り合いが悪かったのではないかなと思っている」

「寂しくなかった?」

「小さい頃は寂しかったね。でも中学生になって親父が再婚して、新しい母親が出来た。その人に申し訳ないから、そんな素振りはみせなかったけどね」

「お母さんを探そうとか、会いに行きたいと思ったことはないの?」

「家を出る時に、書置きと離婚届が置いてあったらしい。書置きに俺のことは何も書かれていなかったそうだ。そんな人だから、会っても仕方ないと思っている」

俺は真琴との関係が、このままずっと続くものだと思っていた。社会人になって、いずれは結婚して、子供ができて、そんなことを何となく想像していた。


定例会は真理恵さんが内定をもらうまでは開かれなかった。やっと内定をもらったと真理恵さんから報告があり、定例会が再開したのはもうすぐ冬という時季だった。しかし、定例会に俊介が来ることはなかった。俺と真琴は付き合っていることを真理恵さんには気づかれないように努めていた。それはうまくいっていると思っていた。社会人になってからは、定例会は数か月に1回程度しか開かれなかった。真琴の仕事が忙しく、日程が合わなかったからだ。真琴は福祉関係の会社に入って、全国を飛び回っていた。真理恵さんは真琴がいなくても二人で定例会をしようと俺を誘ってきたが、俺は色々理由をつけて断っていた。

社会人2年目に入ったときの定例会で、真理恵さんが俺の耳元で聞いてきた。

「大地君、真琴と付き合っているでしょ?」

俺は驚いて真理恵さんの顔を見た。

「見ていたらわかるわよ。別に隠さなくてもいいじゃない」

「いや、隠しているわけじゃないけど」

「ふーん、やっぱり付き合っているんだ」

真理恵さんの俺を見る目が少し悲しそうだった。

それから1ヵ月ほどして、いきなり真琴が別れようと言ってきた。

「どうして?他に好きな人ができたの?」

「そんなんじゃない。私、しばらく海外へ行くことにしたの」

「海外?しばらくって、どれくらい?」

「最低でも5年。ひょっとしたら10年くらいになるかもしれない」

「海外で暮らすということ?」

「デンマークの福祉を勉強しに行くの。一通りの研修を受けた後、実際に向こうの福祉の仕事に携わって、その情報を会社にフィードバックする。そういう社員を会社が募集していたから、私応募したの」

「いつかは帰ってくるのだろ?俺は待っているよ」

「待たないで。大地が待っていると思うと、せっかくデンマークに行っても、中途半端なことしかできないと思うの。それに私が帰ってくる頃には、私たちもう30歳を過ぎているのよ。それまでにお互いの気持ちが変わってないと思う?大地も素敵な出会いが待っているかもしれないし、私だって向こうで新しいパートナーを見つけるかもしれない。その時になって別れようと言われた方はどう思う?これだけ待ったのにと、相手を恨むんじゃない?私はそんな別れ方はしたくない。だったら今の時点で別れた方がいい」

そこまで言われると、俺は何か言いたかったが、言葉にならなかった。

1ヵ月ほどすると、真琴はマンションも引き払って、デンマークへと行ってしまった。


真琴がいなくなって、真理恵が頻繁に連絡してくるようになった。真琴がいない寂しさから、何度か食事にも行った。

真琴がいなくなって3年くらいしたときに、真理恵から告白された。

「大地君がいまだに真琴のことを好きなのは知っている。でも、あの娘は日本にいないんだから、いつまでも思っていても仕方ないでしょ?私が真琴の代わりになるとは思わないけど、少しでも大地君の心の支えになりたいと思っている。だから、私を大地君のそばに置いてくれないかな?」

その日、俺は真理恵を自分のマンションに連れて帰った。


真理恵と付き合い始めたのは27歳のときだった。年齢的に考えても、俺はこのまま真理恵と結婚するのかなと思っていた。しかし、俺の気持ちはなかなか動かなかった。真理恵のことは好きだ。客観的に見ても、良い奥さんになるだろうと思えた。しかし、俺の心の中にいる真琴はなかなか消え去ってくれなかった。心のほんの片隅に、真琴はもうすぐ帰ってくるのではないか、「ただいま」と笑顔で俺の前に現れるのではないかという期待が住み続けていた。

真理恵からは何度も結婚を促された。その都度俺は曖昧な返事をしてごまかしていた。ところが、29歳の誕生日を過ぎてから、真理恵は強硬に結婚を迫って来た。30歳までには結婚したいという思いなのだろう。

「大地君が、私と結婚する気がないのなら言って。それなら別れるから」

「結婚する気がないわけではない。でも今はしたくないというだけだ」

「じゃあ、いつなら結婚したくなるの?私はどれだけ待てばいいの?」

「それは、わからない」

「わかった。もう大地君とは別れる」

真理恵はそう言って部屋を飛び出した。俺はそれを引き止めようともしなかった。

真理恵と別れたからといって、新しい彼女は作らなかった。俺と付き合えば相手の女性は不幸になるだろうと思ったからだ。真理恵のような悲しい思いを他の誰にもさせたくなかった。


あれから7年、今さらという思いもあるが、真理恵の手紙に書かれていた住所に俺は行ってみることにした。

地図アプリで検索した最寄り駅に着いた。駅を出ると、どこかでみたことがあるような景色だった。駅前で客待ちしていたタクシーに乗り、行先を告げる。ほどなく田んぼばかりの風景が広がる。15分くらい走ったところに大きな建物が見えてきた。タクシーを降り、総合福祉施設の玄関に入った。インフォメーションと書かれたカウンターにいた若い女性に尋ねた。

「こちらに、星野真琴さんはいらっしゃいますでしょうか?」

言いながら、俺は胸がドキドキしてくるのがわかった。

「失礼ですが、お宅様は?」

「星野さんの友人です」

俺はそう言って名刺を差し出した。女性は俺の名刺を持って、内線電話をかけている。小さな声でやり取りしたあと女性が俺を見て言った。

「センター長は17時まで時間が取れないということです。17時にまた来て頂くか、日を改めて来てほしいということですが、どうなさいますか?」

時計を見ると15時半だった。まだ1時間半ある。

「わかりました。では、17時にもう一度来ますとお伝えください」

俺はそう言って施設を出た。あの女性は真琴のことをセンター長と呼んでいた。真琴はこの施設のセンター長のようだ。


外で時間をつぶして17時にもう一度インフォメーションカウンターに行った。しばらくお待ちくださいと言われ、少し待っていると、真琴が現れた。

「大地君、久しぶり」

「真琴・・・」

「ここまでどうやって来たの?車?」

「いや、電車で来て駅からはタクシーだった」

「じゃあ、私の車で行こうか。玄関でちょっと待っていて」

そう言って奥へ引っ込んでいった。12年ぶりに見る真琴の後姿は、大人の女性と言った感じで、カッコ良かった。

しばらく待つと、玄関に真っ赤な車が止まった。

「とりあえず、何か食べに行こうか?」

「うん、まかせる」

俺がそう言うと、真琴はスマホを出し、どこかに電話した。聞こえてきた会話からすると、家の人に「今日は食べて帰る」と言っているようだ。誰かと同居しているのかもしれない。俺は胸のあたりがモヤモヤとした。


和食系のファミリーレストランに入り、それぞれが定食を注文したあと、真琴が聞いてきた。

「私がここにいるのは、真理恵ちゃんから聞いたの?」

真琴は俺と真理恵が付き合っていたことを知っていた。俺は真理恵とは7年前に別れたこと、その真理恵も2年前に亡くなっていたこと、そして俺宛に手紙を書いていたことを伝えた。真理恵が亡くなったことに真琴はとても驚いた。そして、その手紙を真琴に見せた。

真琴はその手紙を読みながら涙をこぼした。

「バカだなぁ・・・」

途中、真琴はそう漏らしながら、手紙を最後まで読み終えた。

手紙を封筒にしまった真琴はハンカチで涙を拭ってから聞いてきた。

「大地は、真理恵ちゃんと結婚しなかったんだ?」

「うん。結婚するのが一番良いのだろうと思ったけど、どうしても踏ん切れなかった」

「そうか」

「真琴はいつ日本に戻って来たんだ?」

「7年前。デンマークでの勉強は5年で切り上げたの」

「どうして連絡くれなかったんだよ?」

「5年も経っているから、大地も結婚しているかもしれないし、結婚してなくても誰かと付き合っているかもしれないと思って、とりあえず真理恵ちゃんに連絡したの。そしたら、今大地と付き合っているって言うから、私の出る幕はないなと思って、大地には私が日本に帰ってきたことは言わないでと頼んだの」

7年前ということは、真理恵と別れた年だ。そうか、だから真理恵はあの時、強硬に結婚を迫って来たのだ。真琴が日本に帰って来たことを俺が知れば、俺は真琴のところへ行ってしまうと思ったのだろう。

「真琴は、今は誰かと暮らしているのか?」

真琴が言い淀んだ。返事をせず、黙って食事をする。しかたなく、俺も目の前の定食に手を付けるが、味がしない。

食事を終えて、真琴が口を開いた。

「私が誰と暮らしているか、気になる?」

「まさか、俊介じゃないだろうな?」

「それはありえない。俊介君って名前、久しぶりに聞いたよ」

俺はそれ以上、何も言えなかった。

「私の家に来る?」

「俺が行っていいのか?」

「さあ?同居人が何と言うかはわからないけど、大地が来るというなら会わせるよ」

俺はどんな男なのか見てみたい気がして、ついて行くことにした。


車で15分くらい走ったところに、そのマンションはあった。真琴は部屋のドアを鍵で解錠し、ドアを開けて中に入る。俺もそれについて中に入った。真琴は靴を脱ぎながら、奥にいる人に呼びかけた。

「ごめん、連れてきちゃった」

すると、奥から驚いたような女性の声がした。「おじゃまします」と言って、真琴の後ろについて奥に入る。すると、リビングに年老いた女性が座って、俺の顔をジッと見ていた。女性の顔を見て、俺はそれが誰なのか、すぐにわかった。

「大地、座ったら?この人、誰だかわかるでしょ?」

「母さん・・・。どうして?」

お袋は何も言わず、俺の顔をジッと見ている。すると、その目からポロポロと涙がこぼれてきた。


それは、まったくの偶然だったそうだ。もともとこの土地はお袋の生まれ育った土地で、うちを出てから転々として、5年前に老後は生まれ育った土地でと引っ越してきたそうだ。再婚もせず、独りで生きてきたが、身寄りもないため、人生の最後は施設にお世話になろうと思ったが、いくら費用がかかるのかとか、まったく知識がなかったので、将来のために、とりあえず施設で説明を聞いてみようと、真琴がいる施設を訪ねてきたということだった。家族構成や生い立ちなどを聞いているうちに、もしやと思い聞いてみると、俺の母親だとわかって、真琴も俺との付き合いを説明したところ、ゆっくり話を聞きたいということになり、たびたびプライベートで会ううちに、真琴は大地の母親を放って置けないと思うようになった。施設に入るにはお金を貯めないといけないので、当面は自分のマンションで暮らしたらどうかと提案して、一緒に住むことになったということだった。


「駅を出た時、見たことがある景色だなと思ったんだ」

「2回ほど連れてきたことがあったからね」

お袋が懐かしそうに言った。

とりあえずビールでも飲もうと言って、真琴がビールとつまみにキュウリの漬物を出してくれた。ごま油が効いた漬物は懐かしい味がした。聞くとお袋が作ったものらしい。

お袋は、いきなり家を出たわけではなく、親父と何度も話し合って家をでることにしたということだった。最後の最後まで大地を連れて行かせてくれと頼んだが、親父はそれを許さなかったということだ。出る時に、俺宛の手紙を置いていったということだったが、親父はそれを俺に見せなかった。


真琴が今日は泊まりなさいと言うので、俺は泊まることにした。風呂に入り、用意してもらった部屋で寝ていると、真琴が入って来た。

「お母さんとのわだかまりは解けた?」

「うん。ありがとう。俺は捨てられたわけではなかったんだな」

「でも、私は大地を捨てたんだよ」

「真理恵の手紙では、俺たちが付き合っていると知って、真理恵が真琴に詰め寄ったから、真琴は身を引いてデンマークへ行ったと書いてあったけど、それは本当?」

「海の家のときから、真理恵ちゃんが大地のこと好きだから、真琴は大地君には手を出さないでねと言っていたの。でも、恋愛というのはそういうものじゃないと私は思っていたから、大地が私のことを好きだって言ってくれた時は、真理恵ちゃんのことなんか考えなかった。それでも、あの時、真理恵ちゃんが泣きながら私に詰め寄ってきた時は、ちょっと悪いことしたかなって思った。でも、それが原因でデンマークへ行ったんじゃないよ。私は本当にデンマークへ行きたかった。たまたま会社が募集していた時期があの時だったというだけ。それなのにあの娘はずっと気にしていたんだね」

「俺は、今も真琴のことが好きだ」

「ありがとう。初めて面と向かって言ってもらった気がする」

「真琴は?」

「大地が真理恵ちゃんと結婚しなかったのは、私のせい?」

「真琴のせいという訳ではないけど、俺の心の中にはずっと真琴がいたことは間違いない」

「私も、あれだけ偉そうなこと言っていたけど、デンマークにいてもずっと大地のことを思っていた」

「うれしい。でも、俺は今の仕事を辞められない。残念なことにこっちに支店も営業所もない。こっちに引っ越してくることはできないんだ。真琴は仕事を辞めるつもりはないんだろ?」

「仕事は辞めないよ。でも、あと2年くらいしたら、東京に異動になると思う」

「本当?」

「もともとこっちに来たのは、デンマークで培ったノウハウをこっちの施設に浸透させるためだから、それもあと1年か2年で終わるから」

「じゃあ、東京に帰ったら、俺と結婚してくれないか?」

「2年待てる?」

「12年も待っていたんだから、あと2年くらい何ともないよ」

「わかった。その時は、お母さんも一緒に連れて行くね」

「うん、それまで母さんのこと、お願いします」

そこまで話すと、もう二人に会話は必要なかった。俺たちはどちらからともなく、唇を近づけた。


真琴の寝息を横に聞きながら、俺は思った。こういう展開になったのも真理恵のおかげだ。真理恵があの手紙を残してくれていたからだ。しかし、真理恵は結局手紙を出さなかった。その気持ちも痛いほどわかる。自分では出せなかったけど、自分がいなくなれば、誰かが見つけてくれるだろうと思って、引き出しにしまってくれた。感謝しかない。最後まで結婚を決意することはできなかった。そこまで真理恵を愛せなかったのは申し訳ないと思うが、真理恵が優しい心の持ち主だということは、俺が一番良く知っている。真琴には見せなかったが、真理恵の手紙には追伸があった。


“追伸

大地君、短い時間だったけど、私とつきあってくれてありがとう。大地君は真琴のことが好きだということは、初めから知っていたし、いくら私が頑張っても、私は真琴の代わりにはなれないということも分かっていた。でも、大地君は私のことを大切にしてくれた。私にとても優しくしてくれた。大地君と付き合っていた時間は、私の人生の一番の宝物です。あの時、本当は別れたくなかった。でも、いずれ二人は再会すると思った。赤い糸が私と繋がっていないのなら、真琴と繋がっているのだろうな、だったら運命が二人を引き合わせるだろうなと思った。そんな時に、私がいたら、大地君を苦しめる。そう思った私はお別れすることにしました。でも、ひょっとしたら、もしかしたら、大地君が別れたあとに、やっぱり真理恵がいないとダメだと言って、迎えにきてくれるのではないかという、微かな期待があって、真琴が日本に帰って来ていることは言えなかった。ごめんなさい。そんな意地悪をした天罰が下ったのだろうね。まさかこんな病気になってしまうなんて。

この手紙は、たくさんたくさん思い出をくれた大地君へのお礼の気持ちを込めて書きました。本当は、とっくにポストに投函しているはずでした。でも、どうしても出せませんでした。そして、今、追伸を加筆しています。私が天に召されたあと、誰かが大地君へ届けてくれることを祈っています。

そして、この手紙を受けとったら、大地君、絶対に幸せになってね。私は天国で見守っています。“

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