第8話
神代くんが、私が泣きそうになってたことに気づいていたことと、それを倉ノ下くんに教えたことを知って、口が軽いな、と正直ショックを受けた。
けど、事実をありのままに伝えていることが分かったから、却って信頼できると思った。
神代くんが私を庇って助けてくれたというのは、本当だ。
教室内で悪口を言いながら詰め寄ってきた玖璃たちと私の間に、神代くんはすっと入ってきた。それから驚くほど自然に私たちの会話に入り、私を庇うような発言をした。
その時、私は神代くんのことをかっこいいと感じて、その時にはもう既に好きになってたんだと思う。今もそれは変わらないしこれからもきっと変わらない。
そして、神代くんが庇って助けてくれた日の翌日以降、私はいじめられなくなった。
ううん。別にいいよ。──だけではなく、本当はそのすぐ後にこう付け足したかったのになぁ、と少しだけ後悔する。
倉ノ下くん。私、苗字嫌いだから翡翠って下の名前で呼んで欲しい。何でだろう。心の中でだったら、こんな風にスラスラ言えるのに。心臓がバクバクして、呼吸が浅くなっているなかで、口に出すことは、こんなにも難しい。
そういえば、あいつの言い方が全然違ったような気がする。お兄さんのことを指している〝あいつ〟は刺々しい声と口調だった。
しかし、神代くんのことを指している〝あいつ〟は、お兄さんの時には確かに刺さっていた棘が抜けて、穏やかなものに変わった。
私がお姉ちゃんのことが大嫌いなのと同じように、倉ノ下くんもお兄さんのこと、嫌いなの? 当然、そんな風に気軽に訊ける関係ではないし、友達でもそういうことは気軽に訊くべきではないと思う。
「あのさ……、」
「ん?」
「神代くん、倉ノ下くんにだけ教えたのかな……。もし他の人にも教えてたら」
どうしようとまでは言えず、静かに口を閉じた。それなのに、言いたいことはちゃんと伝わったらしい。倉ノ下くんはにこりと微笑みかけてきた。
「そんなに心配なら俺が幸雨に俺以外の奴にバラしてねーか訊いてやろうか?」
それはいい提案だと思った。けど、そんな面倒なこと頼んでもいいのだろうかと心配になって、躊躇う。思案した結果、自分では神代くんに訊きづらいから、お願いすることにした。
「……お願いします」
「りょーかい」
倉ノ下くんは大きく頷く。その柔らかな笑みを見て安堵して口元が緩んだその時だった。
倉ノ下くんが私のショッピングカートの前方部分をわしづかみにして、私から見て左方向に勢いよく動かした。
ふと気づけば、私の手はカートの持ち手を掴んでおらず、目の前にあったカートは既に通路の左端に移動している。陳列棚や商品にはぎりぎりぶつかっていない。
驚愕してフリーズしている私をよそに、あっという間に詰め寄り、鼻と鼻がぶつかりそうな距離までまで自分の顔を近づけてきた、倉ノ下くん。
一体何をする気なのか。
倉ノ下くんは、パニックに陥っている私の顔の右横の方に向かって左手を伸ばした。命の危険を感じたわけではなかったけれど、私は咄嗟に避ける。
すると、倉ノ下くんはすぐに手を引っ込めてポケットに突っ込むと笑った。明らかに引きつっている倉ノ下くんの笑顔を見て、ひどく胸が痛んで思わず「ごめん」と謝罪する。
「いや……。今のは俺が完全に悪い。ごめんな。やっぱ綺麗な耳だな、もっとよく見てぇなって思ってたら、いつの間にか遮ってる邪魔なもん退かして、手ェ伸ばしてた」
私は倉ノ下くんが言った言葉を理解するのに三十秒の時間を要した。早口で聞き取りづらかったのもあると思うけど、何より内容を理解することが難しかった。
「えっと……」
「へ、変な意味じゃねーからな!?」
「……変な意味ってどんな意味?」
「変な意味ってのは……、何でもねぇ。ただ、俺の耳より、耳の形がはっきりしてて、美しい貝殻みてぇだなって思ったから綺麗だって言っただけだ。深い意味はねぇよ。……今度こそ帰る。じゃあな」
そっか、私の耳を触ろうとしたのか、と理解した頃には、倉ノ下くんは自動ドアから出ようとしていた。やばい。このままじゃ帰っちゃう。気づいて焦った私の口を突いて出たのは、
「──倉ノ下くん!!」
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