第6話

「今日ってことは、今日神代くんと一緒に遊んでたの?」


 私が二個目の質問を口にすると、倉ノ下くんは目を逸らしたまま「ああ」と頷いた。


「ついさっき、幸雨ん家を出る直前に聞いたんだ。ここに買い物しにくるまでずっと入り浸ってたからな。……そんで」


 そこで言葉を切った倉ノ下くんは唇の左端を吊り上げて笑った。笑っているのに、なぜだか私にはひどく悲しそうに見える。きゅっと心臓が締め付けられるような痛みに襲われる。


「幸雨ん家を出た直後に、母さん……俺の母親から電話がかかってきた。俺が電話に出たら……久しぶりに熱が出ちゃって、とりま寝室行って布団敷いて横になってる。お兄ちゃんに連絡したんだけど、気づいてないみたいで全然帰ってこないから早くヘルプミーって、助けを求めてきてよ。ホント、兄貴がいない時だけだ。母さんが俺を頼んのは。俺が絶対に断れないことも分かったうえで頼んでるからまた意地が悪いぜ……」


 私は思わず言葉を失った。倉ノ下くんの今の状況と、姉が不在だから母親からおつかいを頼まれて断れずにおつかいにきたという私の今の状況が完全に重なって、驚いたからかもしれない。


 また、仕方がないと諦観しているような口ぶりに心が激しく揺さぶられる。


 母親から言葉の暴力を振るわれても、私が無能なのが悪いから仕方がない。姉に嘲笑され、見下され、同じ姉妹だと思いたくないと言われても、私が無能なのが悪いから仕方がない。


 そんな風に言い聞かせながら、諦めながら、私は今まで生きてきた。もし、勝手に共感して、自分と同じような思いを味わっている人がいると知って少し安心したと、伝えたら、倉ノ下くんは何て言うだろうか。


「お粥は作るのは当然として、でもそれだけじゃ物足りねーし腹減るだろうと思ったから……」


 倉ノ下くんは喋るのをやめて、左腕にぶら下げている半透明のレジ袋に視線を落とした。ややあって袋を開けて手を突っ込み、ガサゴソと音を立てる。


「……冷凍うどん、果物ゼリー、健康飲料。後、熱冷まし用冷却シートが数年前ぐらい前に切れてるのは冷蔵庫を開けて確認しなくても分かってたから買ったし、兄貴と俺の分のご飯の材料も買った。……あいつ、絶対タイミング悪く帰ってきて、俺と鉢合わせするに違いねーからできれば帰りたくねぇ。けど、母さんが心配だからお前に訊きたいこと訊いたら早く帰んねーと。って、やべぇ。訊かれてないことまでベラベラ喋っちまった。……変な話聞かせて悪かったな」


 倉ノ下くんは軽く詫びて、「忘れてくれ」と再びやっぱり悲しそうに笑った。そんな話、忘れられるわけがないけど、忘れる努力をしようと思った。


 そういえば、倉ノ下くんが『兄貴』や『あいつ』と口にした時に、声や口調に棘があったように感じた。気のせい、だろうか。


 どうしても引っかかって質問しようと決めたその時、やめた方がいいよ、ともう一人の私が忠告してきた。低く、切羽詰まっているような声だ。


 確かにやめた方がいいかもしれない。そもそも、今こうして学校の外で会話をしていること自体奇跡なのだ。私と倉ノ下くんはただのクラスメイトで学校ではあまり話したことがないし、何でも言い合える、何でも質問し合える仲ではないのだ。


 だからそれよりも、事情を知らなかったとはいえ、ずっと黙り込んで足止めを食らわせたことを謝罪しなければいけないと思った。


「ううん……。倉ノ下くん、体調を崩してしまったお母さんのために急いで家に帰らなきゃいけないのに、早く返事しなくてほんとにごめんね」


「いやいい、気にすんな」


 倉ノ下くんは珍しく慌てた様子で、手と首を同時に左右に大きく振った。


「マジで気にしなくていいからな? 俺は別に、多原を責めようと思って話したわけじゃなくて、なんかよく考えずに話しちまっただけなんだ……。それに、母さんは多分大丈夫だ。電話越しに聞こえた声は、掠れてなくて寧ろ元気な時に出してる声だったからな。兄貴には、『母さんが看病して欲しいのはテメーだからはよ帰れ!』って連絡入れたし留守電も入れた。今さっき、会計する前に見た時には既読がついてた。完全に既読無視されててムカついたけど、兄貴は今、友達と分かれて急いで家に向かってるはずだ。兄貴が帰り着けば問題ねーし、俺がゼェハァと息を切らしながら帰る必要はねーんだよ」


 それによ、と急に声を落とした倉ノ下くんは静かに目を伏せる。


「もったいねーだろ……」


「もったいない?」


 意味が分からなくて私は思わず聞き返した。


「買ったもの全部袋に詰め終わって店から出ようとした時に、背格好が多原にスゲーそっくりな奴が、お菓子コーナーの通路をカート押しながら歩いてんのを発見したんだ。近づいたら猫背だったしマジで多原なんじゃねーかって思ってすぐに話しかけようとした。けど、もし人違いだった場合恥ずかしい思いをするだけだってハッと気づいて、少し躊躇った。結局、きんちょ……いやしてねー、するわけねー。とっ、とにかく! てめぇに話しかけたのに、てめぇが全く返事してくれなくて正直心折れそうになったんだよ。それでも、諦めずに話しかけ続けたのは……会えると思ってなかったのに会えて嬉しかったし、ああこのままなんも喋らずに帰んのはもったいねーと思ったからだ」

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