第3話
2 思い出
中学3年になると、誰もが受験を考え、勉強を始める。大学受験なんかと違って受験をしないという選択肢はほぼ無い。学力相応の高校にするか、安全第一で余裕の高校を狙うか、これから学力に磨きをかけて高いハードルを越そうとするか、受験はその経験を通して自分の特性を知ることにもなる気がする。俺はというと、特段狙いたい高校があるわけではないが、安全第一となると、学力をもっと上げないと、底辺校といわれる高校を選択するようになる。それは少しばかり考え込んでしまう。
「だから、一緒に夏季講習に行こうぜ、奏もそろそろ塾に行こうかって言ってたし、勉強するだろう?」
中間テストの予定が発表された日の放課後、教室でクラスメイト数人と話していた時、健は俺を塾に誘ってきた。
「う・・・ん、まぁするけど」
俺は突然の誘いに、少し戸惑いながら返事をした。
「じゃあ、明日、パンフレット持ってくるよ、俺が誘ったって事を母親が奏の家に電話すると思うからさ」
確かに、この間中学校に入学したと思っていたのに、既に3年生、モタモタしている場合ではない、健が誘ってくれたのだから一緒に塾に行くのは良いかもしれない。第一、塾にも行かずに勉強がこれから進められる自信はない。
「わかった、親に言っとくよ」
「やったー、これで面倒な塾通いも、奏が一緒なら真面目に行けそうだ!」
健は嬉しそうに言ってくれた。きっと俺もただ親から塾を勧められただけだと面倒で、反発をしていたかもしれないが、健が一緒なら“まぁ、いいか”と思える。
「おーい、いい加減に帰れよぉ」
教室の入り口に尾崎先生が立っていた。
「やっべ!」
健やクラスメイトが慌てて机の上に散らかっていた教科書をかき集め、俺も同じく慌てて鞄に机の上の物を詰め込んで席を立った。
「おいおい、おまえたち、そんな逃げるようなことをしていたのか?」
尾崎先生は俺達の慌てようをみて、かえって驚いていた。
「そうじゃないですけど、いきなり声をかけられるとびっくりしたし」
健が少し不満そうに言った。
「おっ、そうか、すまなかったな、脅かすつもりじゃなかったんだがな、忘れ物がないように支度して、気をつけて帰れよ」
尾崎先生は健の不満そうな顔を見ながらも、和やかに俺達に言ってくれた。
「はーい」
健はわざとらしいくらいの声で返事をして、教室を出ていった。俺達もそれぞれに忘れ物を確認して、健に続いて教室を出た。
「じゃあなー」
下駄箱で靴を履き、俺達はそれぞれ正門と西門の方向に別れた。俺は正門から帰るのが、正規に通学ルート、健は西門だ。
「奏、まだ時間あるんだったら、パンフレット俺んちに取りにこないか?」
靴の紐が解けかけたことに気がついて、俺は靴紐を結びなおしている間に皆より出遅れてしまったが、隣で健が待ってくれていた。
「そうだなぁ」
まだ時間はあるし、まっすぐ帰ってもすぐに勉強をするわけではない、
「うん、そうするよ」
俺は健の家に寄って帰ることにして、西門に向かって歩き始めた。西門までには音楽室のある校舎を通る、俺はまたノクターンが聴けるのではないか、と思いながら健と歩いていた。
「奏はどこを狙うつもりだよ?」
「う~ん、実はまだ決めてなくてさ」
「ああ、俺も実はさ、そうなんだ」
「へぇ、健はてっきり決めてるのかと思ったよ」
健は数学こそ苦手だが、全体的に成績は良い。
「奏こそ、決めてるかと思ってた」
「俺はさぁ、決めようにも成績があれじゃあな、尾崎先生にも言われた、もっとがんばれって」
「尾崎先生は漢字の練習を頑張って頂きたい!」
「なんだそれ~」
健が大まじめにそう言ったのを聞いて俺は大笑いをしてしまった。笑いながら俺は空を見上げる振りをして、2階にある音楽室の窓を見た。見上げなくとも、もしピアノを弾いているなら聞こえているはずだ。静まりかえっている音楽室に誰かいるような気配もない。
「・・・う、おい、奏ってば」
「あ、悪い、なんだっけ?」
「どうしたんだよ、突然ボーとして」
「いや、何でもない」
「どうしたんだよ、空にUFOでも見えたか?」
「ああ、かぐや姫が乗っていた」
俺はそんなふざけたことを言って誤魔化した。
健の家に立ち寄って、パンフレットだけをもらって帰るつもりだったが、時間に余裕があったのと、いつもいない健のお母さんが居て、上がっていくように勧められた。健のお母さんは保育園の時から知っていて、そんなふうに勧められると遠慮することができなくなり、結局は健の部屋に上がりこんで、日が暮れそうになる頃まで話し込んでしまった。健の妹が帰ってきた音を聞いて、慌てて時計をみると、すでに6時半、さすがに俺も慌てて帰ろうとした。
「奏君、ちょうど夕飯できたから、よかったら食べていって、おかあさんには電話をしておくから、いいでしょ?」
帰ろうとしている俺に健のお母さんが部屋に入ってきて食事にさそってくれた。
「でも・・・」
「いいじゃないの、ちょうど美奈も帰ってきて、おばあちゃんも是非一緒にって言ってるし、奏君が一緒なんてずいぶん久しぶりだし、ね?」
「でも・・・」
「なに、遠慮してるの!いまさら!ほら、2人とも手伝ってちょうだい」
そう言って健のお母さんは笑った。
健の家は2世代家族で、健と妹の美奈、健の両親、そして健のお母さんのお母さん、つまり健と美奈のおばあさんの5人家族だ。家は2階建てで、おばあさんと両親が1階で、健と美奈の部屋が2階という部屋割りだ。
健も俺の両親とも働いているから保育園に行ってた訳だけど、両親ともに帰りの遅い俺は保育園ではいつも最後まで残るメンバーのひとりだった。でも健はお迎えにおばあちゃんが来る日も多く、そんな日は夕方の早い時間に健は帰ってしまっていた。俺たちの預けられていた保育園は5時を過ぎた延長保育の時間になると、お迎えの時間に合わせて教室ごとに子ども達を分けていて、俺は最終時間のメンバーの部屋、健はおばあちゃんかお母さんのお迎えかで、1番か2番目に早い時間の教室で延長保育に入っていた。
延長保育は親が迎えにくるまで自由時間ということもあり、同じ教室にいる子ども同士、親同士が仲良くなることが多かった。つまり俺と健は決して保育園で仲良くなる条件はそろっていなかった。そんな俺達が親しくなったのは、保育園の年長クラスの時だった、おそらく薄い記憶だが、台風がきっかけだったと思う。
夏の終わりの頃に、俺達の住んでいた地域に大きな台風が上陸した。その日の天候が荒れることは予測できたため、保育園も家庭への協力を求め、休みや早めの迎えを要請してきたそうだ。でも、俺は両親ともどうしても外せない用件があり、どちらも仕事を休むことができなかった。結局、早めに迎えにくる予定で預けて仕事に行ったそうだ。
はっきり覚えているわけではないが、その日の園内の光景をぼんやりと記憶している。少ない子ども達が、数人の保育士さんと一緒におもちゃと広げて遊んでいた。4~5人の子どもと2人くらいの保育士さんだったと思う、いま考えると徒歩で通勤できる保育士さんでの最低限の人員だったのだろう。その預けられている子どもに俺と健がいた。昼ご飯が終わり、昼寝時間になると、窓の外の景色は朝と全く変わっていた。雨がひどくなり、雷も鳴りはじめた。小さいクラスの子どもがすごく怖がって、狭い布団に友達と一緒にくるまって寝ようとした。いつもなら注意される行動のようだが、その日は保育士さんもさすがに子どもの恐怖心をおもんばかってくれたのだろう。
俺は怖かったが、なんとか1人で寝ようとしていた。でも切り裂くよう雷の音が響き、恐怖のあまり自分の布団から飛び出て隣の布団に潜り込んだ。その布団の主が健だった。健を布団から追い出しかねないように勢いで入ってきた俺に驚きながらも、俺を拒否しなかったそうだ。
「こわいね」
「うん」
「でも2人なら大丈夫だよ」
そんな励ましあいの会話をしながら、2人で昼寝をしていた、ということが、その日の連絡帳に書かれていた、と母親から聞かされたことがある。
昼寝の時間とはいっても、台風で不気味な音で揺れる窓が気になって眠れるはずもなく、俺達は起きていたのだと思う。すると、教室に園長先生が入ってきてなにやら保育士さんとコソコソと話し始めた。
「それじゃあ・・・」
「どうします?」
「でも・・・」
何を話していたのかはわからなくても、大人の困ったことが起きていることは想像できたような覚えがある。昼寝の時間が終わることになっても天候は全く変わらなかった。
おやつの時間も終わり、子どもが1人、1人とお迎えが来て帰っていった。他の子が帰るのを見送るのはいつものことで、不安になる、なんてことはなかった。でもその日は親と一緒に帰る他の子をみると無性に寂しい気持ちになったのを覚えている。そんなことを考えていると、いつの間にか、俺と健だけが保育園に残っていた。
健はこの日、両親が仕事を休めなくても、おばあちゃんがいるので、保育園は休む予定だったらしい。でもおばあちゃんが週3ほど働いている工場で、こどもを預けられない人の代わりに、と仕事を依頼され、幸いなことに、工場は健の家から歩いていける距離、おばあちゃんは車で通勤していたこともあり、電車やバスの交通機関が止まる心配もしなくていいから、とその日の仕事を引き受け、健はおばちゃんの仕事が終わり次第帰る予定で預けられた、ということだったと後で聞いた。
2人だけの保育園は静かで、保育士さんは健に帰り支度をさせ始めていた。俺はおそらく最後の迎えになるだろう、と予感していたせいか、せっせとおもちゃを取り出して遊び始めた。健は帰り支度を済ませると、1人遊びをしていた俺に寄ってきて、俺の持っていたおもちゃに手を出そうとした。俺がとっさに
「だめ!」
と言って、取り上げると
「けちんぼ」
と言い放った。
そうなると、たった2人とはいえ、おもちゃの取り合いになり、外の風の音がかき消されるように「俺の」「僕の」「あっち使えよ」「こっちは僕が使ってた」の応酬が始まった。
「こら、こら」
と保育士さんが仲裁に入ろうとした時、健のおばあちゃんが教室入ってきた。
「お世話になりました、こんな日にすみませんでしたね」
健のおばあちゃんは保育士さんに挨拶をしながら、健の通園バッグを自分の大きなバッグに入れて荷物をまとめた。
「こら、健、仲良くしないとダメでしょ、こんな日に登園してきて、ケンカしてたんじゃあ面白くないじゃない?」
そう言って健を引き寄せて言い聞かせていた。
「いつも健と仲良くしてくれてありがとうね、お名前教えてくれる?」
「奏」
あの当時の俺は自分の気持ちなんて全くわかっていなかったが、名前を聞かれてすこし恥ずかしくなったことは覚えている。今になってみると、確かにおもちゃを取り上げてきたのは健だけど、たった2人しかいない時間なのだから、広い教室で他に楽しいことはいくらでもできたはずなのに、たった一つのおもちゃに執着していたことが、子どもながらにバツが悪かったのだろう。
「奏、ごめんね」
健が先に謝ってきた。おかげで俺は謝るタイミングを逃してしまい、しまった!と思いながら
「ごめん・・・」
俺もオウム返しのように謝った。
「健、おもちゃ、片付けなさい、それができたら帰りましょ」
おばあちゃんのかけ声が手打ちのようなタイミングとなり、俺と健はおもちゃと片付け始めた。
「あ、おばあちゃん、大丈夫ですよ、まだ奏君は遊ぶので」
保育士さんがそう言って健とおばあちゃんに声をかけた。
「そうなの?お迎え遅くなるの?」
「そうですね、しばらくは・・・」
保育士さんが言葉を濁していた。
「もしかして、電車?」
「ええ・・・」
「じゃあ、しばらくっていうか、今日中に復旧するのかしら?」
「ええ・・・」
俺はその会話の内容を理解してはいなかったが、俺の両親が迎えにこれない、ということは理解できた。
「こればかりは、台風ですし、電線が切れたらねぇ」
「さっき、工場でも電車の人は困っていたのよ、車で送っていける人は皆で手分けして送ってきたのよ、それで少し遅くなってしまったのよ、バスは長蛇の列よ、まず乗れないわ」
保育士さんも困っていたがが、その時の俺は泣き始めてしまったらしい。保育士さんが「大丈夫、大丈夫」といって慰めてくれていたが、俺の泣き声は大きくなるばかりだったそうだ。
「一緒に帰ろうよ」
健が俺の通園バッグを持って、俺に渡してきた。
「・・・」
「そうね、一緒に帰りましょうか?」
健のおばあちゃんもそう言って、俺の通園バッグも自分の持っている大きなバッグに入れてくれた。
「保育士さん、奏君のご両親に連絡させてください、きっと困ってるだろうし、電車の再開は夜になってしまうし、ダメかしら?」
結局、健のおばあちゃんが俺の母親に連絡をして、俺は健と一緒に帰ることになった。たった1人でいつ来るともわからない親を待つのは不安になっていたので、健のおばあちゃんが連れて帰ってくれるのは嬉しかったし、保育士さんも俺が帰ることで、自分達の仕事も終わることができたのだろう。
「奏、久しぶりだね」
そう言って、リビングに入ってきた健のおばあちゃんは和やかに笑ってくれた。
「こんばんは、お邪魔します」
おばあちゃんは今では工場の仕事もやめて、家にいることも多くなったらしいが、週に1~2回ほど市の図書館で本の整理に出かけるのを楽しみにしているらしい。あのころより、年をとった感じはするが、変わらず活動的なお年寄りだ。
「ここでご飯を食べるのは、いつ以来かしらね」
健のお母さんが炊きあがったご飯をよそいながら聞いてきた。
「確か、中学に入ったばかりのころに、時々泊まりに来てくれてたんじゃないかな」
健は少し考えながら母親とおばあちゃんに説明をした。
「初めて来た日は、良く覚えているけど、最近のことを忘れてしまうのよね」
おばあちゃんは笑いながらそう言った。
「初めて来た日、私も覚えてるわ、台風で私達も奏君のご両親も電車が止まって帰れなくなって」
「そうだよ、あの時の奏の顔、忘れられないからねぇ」
おばあちゃんもおかあさんも懐かしそうに話ている。
「ゆっくりしていけばいいからね、おかあさんには私からも言えば大丈夫だろう、奏ママとは古い付き合いだからね」
おばあちゃんは豪快に笑って言った。
健のおばあちゃんと俺の母親はその台風の日から、なにかと仲が良い、健のおかあさんとはもちろんだが、どちらかというとおばあちゃんとは趣味の本を通じても仲良くなっていったようだ。
「この間、朗読会でも一緒だったしね、奏が勉強しないって、嘆いてたけど、健も同じだって、2人ともそういうところも仲がいいね」
俺達2人と美奈は大人2人が離している横で、手をあわせると、並べられた料理を食べ始めた。
「そういえば美奈の発表会って、来週だっけ?」
「うん、そうだよ」
「もしかして、聴きに来てくれるの?」
「おそらく無理だなぁ、テストの前日だ」
「なんだぁ、じゃあ奏も同じかぁ」
「当然だろ、そうでなかったとしても発表会はなぁ、退屈だよな」
美奈は小学校の6年生で、バイオリンを習っている、健はチェロをやめてしまったが、美奈は小学校に入学してから続けていて、教室でも上級のクラスらしい。俺も健と美奈が出る発表会に何度かお呼ばれしたことがある。美奈は子どもながらに“上手いなぁ”と思う演奏で、サッカーに夢中になり始めた健とは明らかに違ってきていた。
「美奈ちゃんのバイオリン、また聴きたいから、受験が終わったら次の発表会に誘って欲しいな」
俺は健や俺が聴きに来れないとわかった美奈のしょんぼりした顔を見ると柄にもないこと言ったな、と思った。
「おい、奏、なんだかジェントルマンな発言じゃないか」
健がそう言ってくると
「そうだよ、お兄ちゃんと違って、奏君は優しいの、昔からそうだったよ」
美奈はまさに天真爛漫という言葉がぴったりな女の子で、しょんぼりしたり、笑ったり、表情も豊かで、俺は紳士ぶるつもりはないが、美奈と話していると、ついお兄さんになった気分で話をしてしまう。同じ女子でも姉とは全く人種が違う。
「あ~あ、奏君がお兄ちゃんだったら、って思ちゃうなぁ」
「おいおい、おまえはそう思っても、奏にも選ぶ権利があるからな」
「そういう事をいうからお兄ちゃんは嫌なの!」
兄弟げんかが始まりそうになった。
「こら、そのくらいでやめてきなさい、奏、おかわりもしてね」
健のおかあさんは慌てることもなく、2人を止めて、俺におかわりを勧めてきた。
「あっ、俺も」
俺が遠慮がちに、茶碗を差し出そうとしたタイミングで健も茶碗を出してきた。
「はいはい、ちょっと待ってね」
と言いながら健のおかあさんは俺の茶碗を先にとってご飯をよそってくれた。
おばあちゃんに美奈と一緒で賑やかな食卓の時間はアッという間に過ぎた。今日が週末だったらきっと泊まっていただろう。でも明日も普通に学校があるから、と食事を終えて俺は家に帰った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます