10.休日をのんびりと?


 二人との出会いがあった翌日。

 焔さんは何やら忙しいらしく、食事を運ぶ以外では特に仕事らしい仕事はなかった。

 その次の日も、そのまた次の日も。

 あれから3日間。ただ出勤しては自分の机で物書きをしたり、読書をするだけで終わってしまう日を過ごしていた。


「……ああ、そうだった」


 今日ものんびりとモニカの美味しい夕飯を囲む、焔さんの部屋で。

 急に席を立った焔さんが、少し離れた自分の机から一枚の手紙を持ってきて私に差し出した。

 流れで受け取った手紙は生成り色の綺麗な封筒で、紫色の蝋で封がされてあったようだ。

 既に開いている封筒から中身を取り出して見るけれど、現われた優美な便せんの文字はこの異世界のもの。

 焔さんにもらったブレスレットのおかげでこちら世界の言葉を聞くこと、話すことは問題ないけれど、さすがに文字の読み書きまではわからない。


「焔さん、これは?」


 素直に尋ねれば、焔さんはソファに座り直しながら応えてくれる。


「今代の王様から、来月の舞踏会に来ませんかってお誘いがきたんだ」


「へぇ……舞踏会ですか。こちらの世界だと、貴族とか王様とか身分があるようでしたし、なんというか……本当にファンタジーですね」


 このシックなドレスが制服、という時点でそういう世界なのかなとは思っていたけれど、舞踏会の招待状が届くなんて、ファンタジーの世界の出来事みたいだ。

 興味津々に読めない手紙を眺める私に、焔さんは笑顔でうんうんと頷く。


「僕がこの前図書館の開放区画に出た、って話が王様の耳にも入ったみたいでね。出てくる気になったなら、是非挨拶させてほしいってお願いされたんだ」


「……どーせいつも通り断ったんだろ?」


 ふん、と鼻を鳴らしたアルトが、紅茶を飲みながら呆れたように溜息を吐く。

 焔さんも、うん、と肯定して食後のティーカップを傾けた。


「勿論断ったよ。でも、今日改めてその手紙が届いたんだ。可愛いお嬢さんが秘書になったのなら、是非挨拶させてほしい、一緒に来てくれない?って」


 ごほっと紅茶をむせたのは、私だけではなかった。

 ハンカチで口元を押さえながら見れば、ひげにちょっぴりしずくをつけたアルトが、慌てて傍の布巾に顔をつっこんでいるところだった。


「か、かわいいお嬢さんって……」


 どこから突っ込んでよいのやら。

 使い魔と秘書の反応なんてかけらも気にしない様子の賢者様は、上機嫌で話を続ける。


「それで考え直したんだよ。梨里さんだってせっかく異世界に来たんだから、貴重な体験したいだろうなと思って。ちょっと嬉しかったし、招待お受けしますって返事しておいたから」


「……はい?」


 にこにことお茶を飲む焔さんと、呆然とした私の視線が合う。


「というわけで。来月の舞踏会はよろしくね、梨里さん」


「…………」






「…………、はっ」


 声に出してしまった通り、はっと我に返ったときには、私は自宅のソファに腰掛けていた。

 え、いつの間に帰ってきたんだろう。

 慌てて確認すれば、来ている服はちゃんと出かけるとき着ていた服だし、持ち込んでいたノートパソコンやらの手荷物もちゃんとソファの足下に置かれている。

 どうやらぼんやりしたまま、自宅に帰ってきていたようだ。

 ばたばたしている私を見かねたのか、膝の上に飛び上がってきたアルトがペちりと肉球で私の頬を叩いてきた。


「おお、やっと反応したか」


「アルト……私、あの後の事覚えてないんだけど……」


「安心しろ。とくに何もなく普通に食事を終えて、普通に帰ってきただけだ」


「そう……」


 ああ……。ちょっと疲れてるのかな。

 ひとつ深い溜息をついてソファに寝転がってみる。なんだか本当に、色々なことがありすぎて疲れた。


「その分じゃ覚えてなさそうだから言っとく。明日と明後日は休みだから好きに過ごせってイグニスが言ってたぞ」


「へ?ああ……そうか、休み……」


 秘書のお仕事にも、お休みはあるらしい。

 好きに過ごしていいってことならば、色々と頭の中を整理しつつ、ゆっくり休むのがよさそうだ。

 自宅の掃除もしたいし、久しぶりに本屋さんに出かけるのもよさそう。……あ、あの本の新刊、そろそろ発売日だったような……。

 ずっと異世界のことばかりだったけれど、改めて時間ができると、こちらの世界でもやりたいことは沢山ある。

 あれも、これもと考えているうちに、重すぎる瞼が持ち上げられなくなってくる。


「…………」


「寝たか」


 温かくて柔らかいものと寄り添いながら、その日はそのまま、ぼんやりとしたまどろみの中に落ちていった。






 迎えた久しぶりの休日は、ソファで目が覚めた。

 壁の時計は、お昼ちょっと前を指している。


「もうこんな時間か……ん?」


 ずり落ち掛けたブランケットを抱えながら、ちょっと首を傾げる。

 昨日は寝落ちた筈なのに、一体誰が……なんて、考えるまでもなかったか。

 見れば、黒い毛玉と化したアルトが傍で丸くなっている。

 さすが使い魔。私のことも面倒を見てくれるらしい。

 アルトを起こさないようにそっと抜け出して、ぱぱっと身支度を調え、食事を済ませたら今度は部屋の掃除だ。

 運の良いことに、外は快晴。カーテンを開けて、よし、と気合いを入れ直した。

 掃除の途中で起きたアルトは、焔さんへ食事を持って行く、とのそのそあちらの世界へ出かけてしまったので、本当に久しぶりの一人きりだ。

 早々に片付けが終わってしまったのは午後の3時過ぎ。冷蔵庫にあったもので簡単に小腹を満たして、本屋へと出かけた。


「んーっ」


 外に出ると、あちらの世界とは何処かが違う空気を胸いっぱいに吸い込んで、伸びをした。

 ほんの数日、異世界にばかり行っていただけのはずなのに、なぜだかとても懐かしく感じる。

 丁度いいくらいの陽気を歩いて、本屋さんで楽しみにしていた本の新刊を購入した。

 家に帰ってゆっくり読書をしよう。

 そんなことを考えながら、てくてくと家路を歩く。


「…………」


 見上げた空は、そろそろ夕暮れ色に染まりそうだ。

 綺麗な茜色に目を細めて、少しだけ立ち止まる。

 ……ずっとずっと、今日一日。頭の隅では、向こうの世界のことばかり考えていた。

 正確には、副館長ロイアーと、食堂で会ったオリバーのことを。


『――この図書館で働くというのなら、身につけて頂かなければいけない知識というものが御座います。それは、例えあなた様の秘書という特殊な立場であったとしても得て頂かなければならないもの――』


 彼女の言葉を、何度思い出しただろう。

 ロイアーの強い青の眼差しは、しっかりと意思を持った強いものだった。


『――何を言っているんですか。あの大賢者様の秘書でしょう?並大抵の才能では務まらないはずです』


 オリバーとの会話は、分からないことばかりで。オリバーは私のことを、優秀な人間なのだと信じて疑いもしていない様子だった。

 あの世界のことを何も知らない、知識すらほとんどない自分が、このまま焔さんの――大賢者イグニス、の秘書をしていていいのだろうかと考えてしまう。

 不安ならば、ロイアーさんに指導をお願いすればいいのだろうか。


「……でも」


 あの時、こちらを振り向きもしない焔さんに、言われてしまったのだ。


『――表の図書館の仕事はしなくて良い。この領域で、『路地裏』で過ごしていた時のように、空いた時間には物語を書いていてくれていいんだよ』


 焔さんは、私に図書館の仕事……して欲しくないのかな。

 仕事はしないにしても、あの世界のことについては知っておいたほうがいいんじゃないかとも思うし……。

 何より純粋に、あの世界のことについて色々知りたいと思う自分がいる。

 あの世界で、大勢の職員に頭を下げられていた焔さん――彼の、大賢者イグニスという側面についても、私は何も知らなくて。


 ――知りたいと、思うのだけど。


 うーん。どれだけ考えても、やっぱり思考はまとまらない。


「……帰ろ」


 とぼとぼとまた歩きだす。

 そういえば、舞踏会もいくことになってるんだっけ。

 なんだか考えることがいっぱいだなぁと、ぼんやりしながら自宅への帰ったのだった。





 翌日のお休みはゆっくりと過ごして、読書をしたり小説の続きを書いたりして過ごした。 アルトは焔さんのお世話がある、と朝から向こうの世界に出かけている。きっと昨日のように、夜にふらっと帰ってくるのだろう。

 自分の部屋でひとり、ゆったり過ごせるのはいいなぁ……と、甘めのココアを飲んでいた昼下がり。

 ふと、机の上に置いたままにしていた封筒が目についた。

 そうだった、あとで確認しようと思ってここに置いておいたんだった。

 白い横長の封筒はシンプルで、差出人はどこかの求人支援のお店のようだった。全く身に覚えがない店名なのだけど、お店の名前の下に書き添えられた名前に少しだけひっかかりを感じる。

 店長、境 信彦。


「……境?境ってもしかして」


 手紙を開封してみると、やはり当たりだったようだ。

 見覚えのある契約書の写しみたいなものと一緒に、これからこちらの世界で毎月もらえるお給料についての書類が入っているようだった。

 差出人はあの時、焔さんと一緒にいた境さんで間違いない。


「そういえば、こっちの世界で使う分とあっちの世界の分で別にもらえるとか言ってたっけ。生活に困らないくらいにはもらえてるといいな……って……」


 手に力が入ってしまって、くしゃ、と書類の隅が皺になる。


「え……えええぇ!?」


 書類に書かれていた数字が予想外すぎて。

 誰もいない部屋の中で、ひとり悲鳴を上げてしまった。





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