我ら
俺が馬に乗れるようになると、三人で出かける日も多くなった。姉は王女として輿に乗っても良かったのに、輿では遅いからと勇ましく馬に跨る。
男に生まれていれば良かったものを、という兄のからかいに、姉はつんとして怒った。
兵たちからも「美しい」より、「勇ましい」と囁かれることが多かったから余計に兄の言葉に腹を立て、それに追い打ちをかけるかのように俺もからかった。
だが、姉が成長するほどに美しくなっていると噂されているのを、姉は気付いていなかった。兄の側近として一緒にいたカーメスの視線にも気付いていなかっただろう。
アケトアテンを出て、多くの町に駆けていく。一番遠くて、テーベの神殿まで。
兵と侍女を引きつれ、王の子三人で民の姿を目にし、自分たちの祖先が遺した偉大な遺産の数々を巡った。
祖父が造らせたという神殿を目にし、顔さえ見たことの無い祖父の、死後にも残り続ける威厳に驚いて仕方が無い。
三人で柱の間を走り抜け、祈っては、子供のようにはしゃぐ。
狩りも行った。ナイルに潜り、泳いで競争もしたし、魚も捕まえてそれを焼いて食べ、馬鹿みたいに何度も飛び跳ね、砂漠の上で大きく息を吸い込んで咽て兄と姉に笑われた。
地域ごとに違う商人が行き来し、彼らから珍しいものを購入し、帰りにも何か獲物を狩って、父への土産にした。父も見たことがないものに手を叩いて喜び、狩ってきた獲物はその日の宴に出された。
後から聞いた話では、こうして外に行くことを父や大臣たちに提案したのは兄だったと言う。
おそらく自分たちを支えてくれる、そして自分たち王家が守らねばならない世界を、そこにいる民を、俺に目で見て感じさせるためだったに違いない。
兄が設けてくれた機会によって俺は、自分の視界を覆い尽くした、父の治める国と民の姿が、心を揺さぶるほどに美しいことを知ったのだ。
就寝前に、兄が我ら王家、歴代の王の話をしてくれる。
兄は自分たちの祖先の王族の成してきたことを誇りとしており、自分もそうなりたいと強い野望を抱いていたのを姉も俺も知っていた。その野望は自分たち兄弟の夢でもあった。
「彼女は女性として実に素晴らしい業績を残したと言っていい。父上はあまりよく思っていないようだが、私は尊敬している」
姉もこの日は俺の隣で兄の話を聞いている。
今夜の話は、祖父の前に女王として君臨したハトシェプスト女王についてだった。女は王になれぬ習慣と習わしを破って王位についたという唯一の女王。
「それは王家の者としてどうかと。彼女は確かに偉大だけれど、王家のしきたりを破った方でもあるもの。私も好感は持てないわ」
「王家のしきたりとなるとお前は厳しくなるのだな。時にはしきたりを破らねばならなくなることもある。視野が狭いと良いことはないぞ、アンケセパーテン」
「その名前で呼ばないでちょうだい、お兄様」
姉はこの頃からアテンという神に不信感を抱いていた。
公の場以外で、自分はアンケセパーテンではなく、アンケセナーメンなのだとあくまでアメン信者であることを強調しており、ネチェルたちを困惑させたのも有名な話だ。そのせいもあって、兄と俺は彼女をアンケセナーメンと一人だけアメンの名で呼び続けていた。
兄と姉は議論を繰り返す。それを何となく聞いては、二人のやり取りにくすくす肩を揺らしながら祖父について綴られたパピルスに目を通している自分。
寝台にごろりと寝転がり、眠気を感じて大きな欠伸をした。
自分としては、曾祖母より前の女王も凄いとは思うが、彼女よりも祖父アメンホテプ三世の話の方が好きだった。
世界を渡り歩き、エジプト国土を広げ、大国に仕立て上げた我が祖父。顔さえ知らない祖父の話をナルメルや兄から聞くのが何よりも興奮し、胸が高鳴った。
自分がその血を継いでいるのだから尚更だ。
もし自分が王になるのなら、そういう王になりたい。
国を大きく、最も豊かに。誰もが笑顔でいて、そして輝いたものに──。
「アンク」
兄と姉が俺を呼んで、自分の夢物語に幕が下りた。
父の次には兄がいるのだし、兄に子が生まれたなら自分に王位に回ってくる可能性はかなり低くなるというのに、今更ながらこんな理想を少しでも見た自分がちょっと恥ずかしくなる。
自分は兄や父の理想を実現するための手助けができればいい。それだけが望みだった。
「どうした、アンク」
「何でもない」
起き上がって、二人の方へ向かう。
「我ら──」
兄弟三人で額を合わせるようにして、静かに兄が唱える。
「我ら3人、偉大な父の子として生まれ、神々を背に、エジプト王家として立っている。これを決して忘れてはならぬ。いかなる時も」
兄の口癖に、姉はしっとりと頷き、俺も兄の誇り高い瞳を見つめ返し、強く頷いた。
兄から発せられるこの言葉が何よりも好きだった。
その裏に隠れた、父と兄が味わっていた苦悩をまだ知らず、理解できていなかったことは確かだが、自分たちの置かれる立場がどれだけ重要なもので、自分の生まれを誇りに思ったからでもあった。
「我ら王家、国と民と共にあり」
兄の真似をしてあとから繰り返すと、兄は嬉しそうにそうだと頷いて頭を撫でてくれる。
「御身、生きてある限り心正しくあれ。皆、すべては死後に世界ありて。なせる業ことごとく屍の傍らに降り積むなればなり──我が生はこの言の中にある」
父から兄に受け継がれた言葉だった。
これらを胸に我らは生きねばならぬ。
こんな日々がずっと続くのだと信じて疑うこともしなかった。
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