第5話 橘伊織
「はいそれじゃあ次は……橘さん、お願いします」
「はい」
自分の行動を心の中で嘲笑いながら自己紹介を聞き流していると、いつの間にか女子の自己紹介の時間になっていた。橘と呼ばれた生徒が立ち上がると、クラスにいる人のほとんど……というよりも男子の9割が息を呑んだ。
背中まで延びた夜空のような濃紺色の髪色、人形の様に整っている端正な顔立ちにスラリとした体。肌の色が白いせいで幾ばくかの病弱さを感じてしまいそうになるが、そんなものは私にはないと言わんばかりのキリリとした瞳。
「綺麗……」「かっこいいしかわいい……」「好きだ……」
心の声がつい漏れてしまうほどの美貌を持ち合わせた生徒が皆の前に立ち、頭を下げる。
「
綺麗な声から放たれたのはとても簡素な一言だったが、それだけで十分すぎるほどの破壊力を持っていた。ミステリアスな女の子は魅力的に見えるという話をどこかで聞いたことはあるが、それはどうやら本当の事らしく、多くを語らないクールな美少女にクラスの皆は魅了される。
顔が良いと俺みたいな終わってる自己紹介でも人気者になれるらしい……世の中ってすんごい理不尽。
俺はとりあえず周りの人と同じように拍手をしながら頭の中で文句に似た何かを唱える。別に彼女……橘さんのことを憎く思うなんて馬鹿馬鹿しいことはしているのではなく、ただ目の前に広がる格差というものに打ちひしがれているのだ。
まぁこういう事に劣等感を抱くのは無駄なのは中学校の時に学習したのでね。気にせずに行きましょう、どうせ俺が橘さんみたいな美少女と絡む機会もないだろうし。
「はい、皆さんの自己紹介が終わったところでなんと席替えをしようと思います!」
初手で席替えって……めちゃくちゃ大胆なことするじゃんこの人。こういうのって普通もうちょっと経ってからするのが普通では?
「ちなみに席順はくじ引きで行います。それと今日は席替えをして残りのちょっとした連絡事項を伝えたら解散となります。じゃあ名簿順にくじを引きに来てくださーい」
多分多くの人が俺と同じことを考えているだろうが、工藤先生の可愛さの前に全てがどうでもよくなっている人が大半だろう。小動物が頑張って生徒を楽しませようとしていると考えたら確かにどうでもよくなるのか……?
「……えーっと、よろしく橘さん」
「……よろしくお願いします夏目さん」
どうしてこうなったあああああ!!
運が良いと言えば良いのか、はたまた悪いと言えばいいのかなんと隣の席に橘さんが来てしまったのである。絡むことは無いと考えていたのがフラグになったか……?マジでそう言うのやめてくれ、俺は平穏な学園生活を送りたいんだよ。
この席替えで橘さんの隣になりたいと考える人は大勢いただろう。その中でまさか俺みたいな根暗陰キャが当たりを引いたことに不満を抱く人は大勢いるだろう。「誰あいつ」とか「陰キャが隣かよ……橘さん可哀想」とか思ってるんだろうなきっと。だって俺もそう思うもん。
「お、後ろの席じゃん。よろしく頼むぜナツ~」
「マル……お前が居てくれて本当に助かった。危うく死ぬところだった」
「っ!?」
隣の席で突然ガタンと音が鳴る。突然の物音に俺は反射的に横へ顔を向けてしまう。反応しない方が良かったのかもしれないけどFPSやってると音に敏感になっちゃうの。
「えーと……大丈夫?」
「大丈夫です、気にしないでください」
「そっか、急に声掛けちゃってごめん」
顔を覗いてみるとこちらを突き放すような声が返ってくる。はい、これ完全に嫌われてますね。お前みたいな陰キャとは喋りませんってことですかそうですか。安心してください多分必要な時以外は話しかけることは無いと思うので。
「はい皆さん、周りとお話したい気持ちはあると思いますがほんのちょっとだけ我慢してください!すぐ終わらせますので!」
先生の気遣いにより連絡事項はするすると進んでいった。中には大事な内容が含まれているような気がしたのだが……そんなにサクサク進んで本当に大丈夫なの?
「はいそれじゃあ今日は解散です!皆さん気を付けて帰ってくださいね~」
ただまぁ早く帰ることが出来るのはとても嬉しい限りだ。これでやっと家に帰って寝ることが出来る。
「ふわぁ……帰るかぁ」
「ナツー、この前はごめんな。出来れば案内してあげたかったんだけど……もうTFJには行った?」
「TFJ?」
「チュートリアルワールドのこと」
「あぁ行った行った。それにそんな気にしなくていいよ、親切な人に色々教えてもらったからさ」
ガタン!
俺はマルに問題ないと言葉を返す。チュートリアルワールドのことTFJって省略するのか……こっちの方が言いやすいし俺もそう呼ぶようにしよ。
「おーそりゃよかった」
「そう、おすすめの設定とか便利なワールドをいくつか教えてくれたんだ。それとフレンドにもなってもらったし」
「そりゃよかった。ちなみに今日の夜は暇?もし暇だったら色んなワールドに連れてこうかなって思うんだけど」
「暇にしとくわ。タチさん……じゃなくて昨日色々教えてくれた人にポータルワールドについて教えてもらったんだけどやっぱ多すぎてどこ行けば良いか分からないからさ」
ガダン!!
「任せとけ、色々教えてやるよ」
「マル今日一緒に帰る?」
「あー悪い、今日はちょっと先約があってな」
「……女か?」
「ノーコメントで」
「まじかよ……いつの間に……」
返事を渋ったマルに俺は戦慄の表情を浮かべる。いつの間にこいつに彼女が出来ていたんだ……。こいつは俺と同類だと思ってたのに……あれか?中学の卒業式辺りに告白でもされたか!?
「まぁ後で紹介するから気長に待っとけよ」
「俺はお前のことを信じていたのに……裏切るんだな……」
「勝手に裏切った扱いするのはやめたまえよ、じゃあまた後でなナツ」
へらりと笑いながらこちらに手を振るマルに俺はじとりとした視線を向ける。くそっ……確かにこいつ意外と何でもできる人間だからなぁ……でも報告くらいはしてもいいだろまじで。
「くっ……気を付けて帰れよ」
「そこは優しいのな」
はぁ……まじで衝撃的だ。寝る前に……じゃなくて帰る前に爆弾残してくのマジ止めて欲しい。
親友の恋愛事情により脳の機能が一部停止してしまったが、ひとまず置いておくことにする。手早く荷物を纏め、席を立とうとしたその時である。
「……夏目君」
「はい?どうかした橘さん?」
先ほどからかなり大きな音を立てていた橘さん、俺に話しかけられるのが嫌だと思って気にしない素振りをしていたのだが……急に何事?
橘さんは俺の名前を呼んでからしばらくこちらをキリリとした目で見つめてくる。いきなり名前を呼ばれて睨まれるとか俺そんな悪いことしてないと思うんですけど?普通に怖いからやめて欲しいんですけど?
「……これから隣の席としてよろしくお願いします」
「こ、こちらこそよろしく?」
疑問符を隠しきれずつい語尾が上がってしまった。これはまた変な奴だと思われたかなぁ……いやでも睨まれたかと思ったら挨拶されたんだよ?これ俺悪くなくない?
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