第9話 建国祭(後半)

第81話

リティアはおとなしく顔を冷やされていた。


 頃合いを見てラゥルウントの侍女が何やら仰々しい準備を始めた。手袋をして、鼻と口を布で覆っている。王室所属の侍女たちも態度には出さないが興味津々といった様子だ。だが、止める者がいないということは危険なことではないのだろうとリティアは身を任せることにした。リティアも襟元や首を布で覆われ、顔には丹念にクリームが塗られた。


 やがて、プンとした匂いが鼻を突く。そうだ、とリティアは思い出す。ここへ着いた時もほのかにこの匂いがしてた。薬草だろうか。そう考えていると侍女はブラシで整えた髪にどろりとしたぬかるんだ沼のようなものを塗り始めた。何が何だかわからないが、不快な状態でしばらく放置され、優雅に茶をもてなされ、しばらくして頭は綺麗に洗い流された。洗髪の際のマッサージが秀逸でリティアはうとうとしたまま鏡の前に座らされた。


 リティアは鏡に映った自分の姿を見ると瞬時に目が覚めた。

「髪が」

 髪がいつもの色ではなく明るいブラウンに変わっていたのだ。

「すごい! 」

 リティアは驚きで目を見開き侍女の方を振り返った。

「ええ、我が国の染料技術の一つです。リティア様の髪は大変美しい色でしたが今日は目立たぬようにとのご命令でしたので。髪は傷むことなく元に戻せますのでご安心ください」

 侍女はそう言って笑った。王国の侍女たちもほおっと感嘆のため息を吐いた。魔法の様だった。


 ラゥルウントの侍女は手際よく後片付けを終えて、後の身支度は王国の侍女が担当する。ドレスでもない簡易な服装で侍女たちより身軽な平民になりきるのだ。そう時間はかからなかった。平凡なブラウンの髪になればまるで別人になったみたいで、気分が軽くなる。王太子の婚約者という重圧から解放され、ただのリティアになった。ただ、容姿の凡庸さも際立った気がしてそれなりに複雑な気分だった。


 リティアは準備が終わってもずっと自身の髪に触れ感触と色を確かめていた。

「……不思議ね」

 手触りはいつもより良いくらいだ。もし、今後目立つことを避けないといけない状況に陥れば、こうやって身でをひそめるのもいいのかもしれない。リティアはつい婚約破棄後の事を考えていた。

「リティア様。殿下、いえ、ヴェルター様がいらっしゃいましたが」

 リティアははっとした。

「ええ、すぐに行くわ」

 今日明日だけは、楽しまなければ。リティアは何度目だろうか。そう気持ちを切りかえた。ドアを開けた瞬間、目の前にいた人にはっと息を吞んだ。それはヴェルターも同じだった。

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