第48話

◇ ◇ ◇ ◇

 

 しばらくしてリティアは自身の母親、公爵夫人が宮廷に参上する際に同行することにした。なぜかじっとしていられなかったのだ。母親は娘がすすんで社交の場に顔を出すことにようやく王太子妃の自覚が戻って来たのかと喜んだ。曖昧に記憶が蘇ったリティアの変化に母親も気が付いていたのだろう。長く王太子妃教育を受けてきたのにヴェルターと違いこうも態度に出てしまうものかと自分を恥じた。


 母の補助の合間、リティアは外の空気を吸いに庭園に出た。木陰で休みながら人の流れを見ていた。指先にぴりりと痛みを感じて目を落とした。指先が荒れていた。ここ最近、考え事に没頭し手入れを怠った結果だ。リティアは自身の指先をこすり合わせた。一日たりとも怠ったことのない努力はすべて王太子妃になるため。


「気が抜けちゃったのかな」

 リティアは自身の手が手入れを怠るとすぐに荒れるほど弱い事を初めて知った。手入れ用のオイルを持ってくればよかったと思っていた時だった。誰かがすぐ目の前を通り過ぎ、身をすくめた。


「失礼、そこにいらっしゃるとは思わなくて」

 その人は礼儀正しく謝罪し、さっと目視してリティアが無事であるかを確かめた。そして、自分がぶつかりそうになったのがリティアであったのがわかると表情をほんの少しだけ和らげた。


「あなたでしたか、オリブリュス公爵令嬢」

「ええ、シュベリー卿」


 リティアが笑顔を向けるとウォルフリック・シュベリーは爽やかに笑った。

「申し訳ない。あなたに怪我を負わせたとなると殿下から決闘を申し込まれるところでした」


 リティアはウォルフリックがこんな冗談を言うタイプだとは思わず、きょとんと見つめてしまった。それを気まずく思ったのか、ウォルフリックは微かに頬を染めた。

「冗談です」

「ふ、ふふ。わかっていますわ」

 リティアが笑うとウォルフリックもつられて笑った。

「すみません。普段はこんなことはないのですが、今日は宮廷だというのに考え事をしてしまって。不徳の致すところです」

「いえ、大丈夫です。本当に」

「……やはり、怪我をされたのでは? 」

 リティアのすり合わされた指先を見てウォルフリックは言った。荒れたことのない指先の感触が不思議でつい擦り合わせていたらしい。

「あ、違うのです。指先が荒れてしまって。気になって触っていただけで。帰ったらオイルで手入れを……」

 じいっと手に視線を落とされリティアの言葉は羞恥から尻すぼみになった。


「そうでしたか。とても綺麗な手をしてらっしゃいますが」

「いえ、近くで見ると爪の際あたりにささくれが出来ているのと手のひら側も乾燥していて……。あ、すみません、シュベリー卿、お急ぎだったのでは? 引き留めてしまいました」

「いえ、ちょうど、交代したところで。だからこそ考え事も許されるのですが」


 ウォルフリックはここで周囲を気遣うように見回した。リティアに何か言いたそうに目を泳がせ、リティアのように指先をいじった。

「シュベリー卿、何か言いたいことがあるのでは? 」

 リティアが尋ねるとウォルフリックは思い切ったように口を開いた。

「私には、異性の友人がいないもので、誰に聞いていいわからず。不躾ながらお尋ねしても良いでしょうか」

 リティアは驚いて、ウォルフリックの瞳を覗いた。ヴェルターとは違う、深い色だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る