第9話

マダム・シュナイダーのドレスがすぐに仕上がれば、月に一度の王太子ヴェルターの訪問時に着たらいいのでは?という名案に気がついたリティアがだったが、急ぎではないオーダードレスがそんなに早く出来るわけもなかった。


 ヴェルターの次の訪問でもいつも通り季節の事や天気のこと当たり障りのない会話を探し、最後にヴェルターはいつもの社交辞令を言って去って行った。


「王宮に来た際には、僕のところにも寄るといい」

「ええ、そうするわね」

 リティアの返事もいつも通りだが、いつもと違うのは本当に寄らなければならないことだ。それ用にドレスをオーダーしたのだから。


「まだなの? 」

 ヴェルターをもてなしたティーセットを片づけにミリーが部屋から出て行くと、リティアは何度となく同じ言葉を溢した。正直、結婚することのない婚約者との時間は気持ちをどこに持って行っていいかわからなかった。恋人ではなく婚約者であるので二人の間には何もなかった。厳密な決まりはないが、結婚するまでは清い関係というのが暗黙の了解でもある。そもそもが、紳士の鏡、ヴェルターである。昔からの付き合いであるリティアにさえ失礼のないように一定の距離を置いて接するのだ。


 あのヴェルターが恋に落ちたら本当に婚約破棄などやってのけるのだろうか。恋というものはそこまで盲目的になるものなのだろうか。今はこう思っている私も、いざとなれば嫉妬に狂うのだろうか。いいえ、嫉妬に狂うのはヴェルターに想いを寄せてる場合だ。私は嫉妬に狂う予定は無い。だけど、恋ってどんなものなのだろう。


 リティアは恋というものに漠然とした憧れはあった。だが、貴族令嬢に生まれた以上、恋や愛で結婚相手は決められないことは分かっていた。だが、婚約破棄された後ならば……? そうなれば相手を選べる可能性も出て来る。成人した途端に結婚しなければならない理由もなくなる。恋はヴェルター以外の恋人も婚約者もいない殿方にすれば問題ない。


 リティアは前世の記憶が蘇る前は、当然王太子妃になるという未来を疑ったことは無かった。幼いころからの徹底した王太子妃教育は、今やリティアにしっかり染み付いていて完璧なる淑女の姿に仕上がっていた。それはそうだ。あとわずかな期間で王太子妃になるのだ。そのために教育を受けたのだから。……ならない、だなんて夢にも思わなかったけれど。


 だが、リティアはこれまでの努力を無駄だとは思わなかった。リティアには王国の最も高貴な女性に匹敵する教養が身についているのだ。マナーや所作、知識。無知で眉をひそめられることはあっても、極上のマナーで後ろ指をさされることはないのだ。例えそれらを披露する場がなくても、持っていて損する知識ではないということだ。


 ……芸は身を助けると言うし。また、ここの表現ではない言い回しがすらすらと出てきた。リティアはこの感覚にもなれつつあり、一人なのをいいことに苦笑いした。そうよ、教育された淑女が必要な人だっているかもしれない。


「ひょっとしたら他国の王妃になる可能性だってないわけじゃないわ」

 それも一つの政治的な役割かもしれない。リティアはそんな風に思った。


 恋、かぁ。相手は自分で決められるかもしれない。リティアはそのことに気が付くと少しばかり宮廷に参上するのが楽しみになった。宮廷には、出仕している貴族が多く、出入りの許された貴族たちには恰好の社交の場でもあった。それなら、新しいドレスも少しは意味があるのではないか。と、僅かな期待を胸に抱いた。

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