ハイファンタジーでしか書けないこと
なぜわざわざハイファンタジーというジャンルを書くのか、ということについて。
これについて僕は、『ある程度シンプル化された社会基盤の中でテーマを浮かび上がらせるため』というものがあると思います。
▼複雑な現代社会との対比
現代は高度に構造化された文明社会でして、司法、経済、科学、医療など、あらゆる点が発展しており、『安全だが自由度の少ない世界』だといえます。
このような現代を舞台にしたとき、冒険や試練について、切り口に限りがあります。
例えば『お伊勢参り』の旅にしても、昔なら命懸けで江戸から伊勢神宮へ長い日数をかけて旅したものを、今では新幹線で数時間です。
しかし、この不便な旅の中でこそ描ける物語があるわけです。
――なので、『シンプル化された世界観でしか味わえない、根源的な感動や気づきの体験』を提供するのが、ハイファンタジーの役割だと思うのです。
▼ファンタジー要素
ここまでだと単に昔を舞台にした話でしかないので、ここにファンタジー要素が加わります。
ファンタジー要素があることで、あなたの世界観特有の体験が可能となります。
シンプルな舞台に、ユニークなファンタジーのアイデアが加わることで、よりそのアイデアを際立たせることができるのです。
例として、自作の『蛇霊記』ですと、、
舞台は古代の日本風で、シンプルな封建制の社会です。
この社会基盤の中で、蛇神や怪異が現れる物語となっています。
古代や中世の舞台というのは(それ以外もあると思いますが)、アイデアを載せるバニラアイスとしてあり、そこにどんな味付けをするかが醍醐味となりますね。
▼ファンタジーのアイデアやネタ
ハイファンタジーを描くにあたって核心となる、『ファンタジーのアイデア』について。
このファンタジーのアイデアというかネタについては、『もしも』と『たぶん』の要素があると思っています。
『もしも』
現実世界の法則やルールをひとつないし、複数を変更した世界です。ちょっとSF的でもあります。
例えば、『十二国記』では、人間の繁殖の方法が特殊で、ファンタジック。
そのほかの作品でも、世界の法則の転換を主軸に描いているものが多々あります。
『たぶん』
作者の思う世界の実相を描くハイファンタジーです。
例えば『ゲド戦記』は、『世界の物事につけられた名前が重要で、名前があることで、人間は物事を定義して、魔法をかけられる』という世界が描かれました。
これは『もしも』でもありますが、『たぶん』でもあります。
どういうことかというと、ゲド戦記の作者の『ル=グウィン』は、結構本気で、『現実世界も名前が万物を縛り、支配している』と思っていた気がします。(彼女のエッセイなどを読んでいくと、彼女が中国の周易などの、一種の東洋哲学や神秘思想に着目していたことがわかります)
従って、『私は世界ってものは、たぶん本当はこういうものなんだと思う』という意思に基づいて構築した世界が、『たぶん、のハイファンタジー』と言えるのです。
この『たぶん』の世界が生々しく心に迫るのは、作者の執念というか、『マジ』な圧を帯びているからです。
そんなわけで、今回は、ハイファンタジーならではの描けることや、なにを描くのか、ということについて触れてみました。
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