第10話
「次期さまあ、何やってるんですか」
「う、うるさい、お前達はこっちを向くな」
「でもぉ・・・」
「早くしてくださいよ〜」
「わ、わかったらか、絶対こっちを向くなよ」
痺れを切らし、他の男達が声をかける。
次期様と呼ばれる男は他の人たちを叱りつけ、私の方へ更に一歩近づく。
編み上げサンダルを履いた足を、一歩、また一歩と進める。
それに反して私は一歩、また一歩と後ずさった。
「大丈夫、怖くないから、ほら」
口角を上げてにっと笑って見せるが、私は少しも笑えない。
もう池の縁まで来て、それ以上下がれなくなった。
「ねえ、それ以上下がると危ないから、ほら、君を傷つけたりしない。君を助けに来たんだ」
誘拐犯だって最初は甘い声で誘ってくる。危害を加えないと言われても信用できない。
じりじりと間合いを詰め、近寄ってくる。池の深さは膝上くらい。飛び込んでも溺れたりしない。
もしくは目の前の男に向けて攻撃するか。
「さあ、こっちへおいで」
投げて私が受け取らなかった服を拾う。それをひらひらさせて近づいてくる。闘牛の牛じゃない。
武器は持っていなさそうだ。だからと言って安心できない。
近くに来ると、男は私より背が高いのがわかる。周辺に生えている木々のように深い緑の瞳。髪も真っ黒かと思ったがよく見ると紫がかっている。
「ていうかぁ、言葉、通じてます? 次期様はさっきから宥めようと色々言ってますけど」
「そうですよ。彼女全然しゃべんないです。通じてないなら無駄じゃないですか?」
「言葉通じなかったら、色々大変ですね」
「う、うるさい、仮にそうだとしても誠意は伝わるはずだ」
後ろで囃し立てる仲間に反論し、また強張った笑顔を私に向ける。
「心配しないで、危害は加えない。ほら、俺…私は怪しい者じゃない」
上半身裸で何を言っているのか。
後はもう池に飛び込むしかない。そう思った。
池!
男を警戒しつつ、池に視線を動かす。
そうだ、気づけばこの池にいた。あそこがこの奇妙な白昼夢のような世界の入り口だったなら、もう一度潜れば帰れるのでは?
グズグズしていたら、機会を逃すかも知れない。ここと元の場所とを繋ぐゲートのようなものも、永遠では無く時間と共に消え失せるかも。
思ったら即行動だ。ドボンと池に足を突っ込みズブズブと中心に向かって進んだ。
「あ!」
私の行動に、男達は声を上げた。
泥に足を取られながら、どんどん池の中心に向かって進む。さっきは浅いところだったが、深いところがあるはず。そこへ飛び込めば戻れるのでは。
「だ、だめだそっちは!」
後ろから引き留める声が聞こえる。でも私は無視してどんどん進む。
「あ!」
急に足下の湖底が深くなった。
ここだ!
このまま落ちていけばあのプールと繋がる…筈。繋がって! 祈りを込めて潜る。
けれど湖底へと沈みかけた時、ぐいっと二の腕を強い力で掴まれた。
振り返ると私に近づいてきたあの男が長い髪をくゆらせて、だめだと強い視線で首を振っている。
私はその腕を振りほどこうと、反対の手で剥がしにかかった。
水中でジタバタと立ち泳ぎをしながら、男の手首を掴み引き剥がそうとする。その手を男が掴み、邪魔をする。
邪魔をするな! 透明度の高い水なので、表情がはっきりわかる。私は思いっきり睨んだ。
それが効いたのか一瞬男の手が緩み、私は男の手を払い除け、体を反転させると膝を曲げて胸に引き寄せ、思い切り足の裏で男の顔を蹴り飛ばした。
「ゴボッ」
男の口から大きな空気の泡が漏れ、最初に掴んだ手も離れた。とどめにもう一度今度は踵で男の顎を蹴飛ばし、男のお腹を土台にして屈伸し、更に湖面へと潜ろうとした。
しかしすぐに男は体勢を立て直し、私の両足首を掴んで引き寄せた。
ジタバタと男の手を振り払おうと、足を動かす。さっき顎を蹴った時に歯で切ったのだろう。口から血が滲み出ても、男は離そうとしない。
私の口からも空気の泡がボコボコと漏れ出し、肺の空気はどんどん無くなっていく。次第に肺が苦しくなり、酸欠で目がチカチカとしてくる。
足を掴んで水面に上がろうとする男と、頭を下にして潜ろうとする私の攻防は暫く続いた。
地上ならもう少し何とかなっただろうが、水中では水の抵抗が邪魔をしてキックの威力も殆どない。
それは向こうも同じだろうが、動きが激しい分私の消耗が激しい。空気の代わりに水が肺に入り、徐々に目の前が霞み、遂に私は力尽きて意識を手放した。
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