第11話

 緋袴に銀糸の文様が付いた千早を着て、右手に舞扇、左手に神楽鈴を持って踊るのは碧?それとも私?

 禰宜が奏でる和楽器の音が静かに響く中、静かに、だがしっかりとした足取りで地面を踏みならし、舞を奉納する。

 同じ型で同じように舞っても、碧が舞えば冬の厳しい寒さが和らぎ、春の訪れを感じさせる温かい風が吹く。

 私の舞は、ただ型を模写しただけの空っぽの舞。

 私がどんなに祈りを込めて舞っても敵わない。

 碧の一瞬の袖振ひとつで空気が変わり、人々はその神々しさに胸を打たれ、自然と涙を流す。

 どんなに切に願っても、そこに光が差すことはなかった。

 ああ、あれは私だ。舞い続け、舞い続け、疲れ果て踊るのをやめた。

 それでも小さい頃から体にたたき込まれた舞は、体が覚えていた。


 ふっと意識が覚醒し、目が覚めた。なぜあんな夢を見たのか。アパートの前に突然現れた立樹のせいだろうか。


「ん?」


 自分の部屋のソファベッドに寝ているはずだった。けれどそれは、いつも寝ているソファベッドの固さではない。

 フカフカとして体が沈み込む。

 ガバリと腹筋を使って飛び起きる。腰のためには良くない起き方だったが、そんなことはどうでもいい。


「ここは、どこ?」


 木の窓枠が付いたガラス張りの窓からは、柔らかい陽射しが降り注ぎ、部屋を照らしている。

 ドレッサーや整理ダンスと言った家具が壁際に並び、壁には大きなタペストリーが掛けられている。

 自分の部屋ではもちろんなく、どこかのホテルの一室にしては生活感が溢れている。

 自分が寝ていたのは、部屋の中央にある広いベッドで、美しく花の彫刻が施されたヘッドボードが付いた年代物のようだった。

 服も撮影用衣装から着替えさせられ、今私が身につけているのは、木綿の生地のネグリジェみたいなものだった。


「えっと・・・」


 まだ少し痛む頭を抱え、これまで何があったか思い出そうと呟いたその時、ガチャリと部屋の扉が開いた。


「!!!!」

「あ」


 横の黒髪を三つ編みにして後ろでひとつに束ねた褐色の肌の年若い女性は、私と目が合うと声を上げた。


「じ、次期様ぁ!みなさまぁ〜」


 そして踵を返して、また部屋を出て大声で走って行った。


「次期様」


 池の畔で対峙した男性のことを思い出した。

 そういえば彼女も同じ民族なのか、同じ肌と髪の色をしていた。

 瞳は一瞬だったし距離もあったからはっきりわからないが、彼ほど印象的な緑色ではなかったように思う。

 女性が叫んで走って行ってからそれほど時間がかからないうちに、ドタドタと走ってくる足音が聞こえてきた。

 バアン!と大きく扉が開いて、さっきの男性が一番に乗り込んできた。他にも何人か後ろにいる。


「ハアハアハアハア」


 走ってきたせいで息を荒げて胸を弾ませ、こちらをキラキラした目で見つめてくる。


「お前達はここにいろ」


 他の人たちを扉の向こうに残し、私の方へ近づいてくる。


「ほ、本当だ」


 そして一瞬のうちに破顔し、うるうると涙を流し始めた。


「よ、良かった・・・も、もう、だめかと・・」


 涙を流しながら、ヨロヨロとこちらに向かって歩いてくる。

 私は呆気にとられ、その状況をただ眺める。


「も、もう、次期様、は、早い」


 さっきの女性がようやく追いつき、部屋に入ってきた。

 ベッドに座っているので見上げると、その背の高さに圧倒される。

 そんな男性が私を見て号泣している。唇の端や顎を怪我している。そう言えば水の中で蹴りを入れた。

 そうか、あの池で私は彼と揉み合い、窒息しかけて気絶したんだった。

 なぜ私を見て泣いているのか理由はわからないが、結局私はこの人から、この場所から逃げられなかったらしい。


「はあ」


 落胆してため息を漏らした。

 状況から察するに、私は現代日本とは違う世界に来たらしい。今のところ彼は私に危害を加える気配はなさそうだが、彼らの目的がわからない。


「ど、どうした? どこか苦しいのか?」

「次期様、その方我々の言葉を理解されていらっしゃらないのでは? ルガルたちがそう言っていました」

「わ、わかっている。だけど、だからといって何も話さないのはおかしいだろ」

「コートニー様がいらっしゃれば何とかなるでしょうが、まだお目覚めになりません」

「今度のことで力の殆どを使われ、深い眠りにつかれている。いつ目覚めるか誰にもわからない。でも、俺にはわかる。彼女は本物だ」


 何が本物なのだろう。

 未だ彼らは、私が彼らの言葉を理解していないと思っているようだ。

 このまま言葉が通じない振りをしてもいいが、それはそれで不便だ。


「次期様、泣くのをおやめになられてはいかがですか? 番様が困っていらっしゃいますよ」

「しかし、このまま目覚めなかったらどうしようかと、め、目覚めて良かった」


 そう言ってまたボロボロ涙を流す。女性の言うとおり若干…いや、かなり引く。大きな体の多分大人だろう人間が、ここまで泣くのを見るのは初めてだ。

 しかしよくしゃべる。これでは私が口を挟む余地が無い。


「ぐううううう」


 部屋に響き渡るほどに大きな音が、私のお腹から響いた。それは彼らにも聞こえていた。


「お、お腹が空いているのだな。エ、エミル、すぐに食事の用意を」

「は、はい。今すぐ」


 二人は顔を見合わせ、男性の命令でエミルと呼ばれた女性はまた出て行った。


「恥ずかしがることはない、お腹空いたと言うことは健康な証拠だ。そうか、お腹が…よ、良かった、うう」


 そうしてまた彼は泣き出した。この人は何でもかんでもいちいち泣かないと気が済まないのか。


「す、すまない。つい、あ、言葉がわからないんだよな。俺が泣いている理由もわからないか」


 言葉はわかるけど、泣いている理由は気になる。


「そ、そんな目で見ないでほしい」


 じっと見つめていると、次期様と呼ばれていた男性が頬を赤らめ目を逸らした。

 そんな目って、どんな目? 照れるような要素がどこにあるんだろう。

 ルミルが出て行き二人きりになると、気まずい沈黙が流れた。


「そ、その…座っても、いいか?」


 先に切り出したのは彼だった。

 身振りで椅子を指さし、座る格好をして私に尋ねる。いい加減上を向いているのも疲れたので頷く。

 それだけなのに、なぜか男はぱあっと顔を輝かせた。すごく感情表現の豊かな人だ。何だか猛に似ている。彼もよく笑った。

 私が最後に心から笑ったのはいつだろう。ふと考え、物心ついた頃から心から楽しいと思って笑った記憶がなかったことに気づいた。

 島を出てからは心は少しは自由になれた気がしたが、心から気を許してつきあった人もいない。

 いつもどこか人と距離を置き、壁を築いていた気がする。

 セックスは体を繋げることでより親密な関係を築き、心が近くなる。

 している時は、心も解放された気持ちになった。

 どのタイミングで言葉がわかることをカミングアウトするべきか。


「俺の名前はアスターだ、アスター、名前、アスター」


 ベッドのすぐ横に椅子を持ってきて座ると、選挙の立候補者みたいに繰り返す。


「アスター、言ってみてくれ、アスターだ。アスター」


 それはもうくどいくらいに。余程私に名前を呼んで欲しいらしい。なぜそんなことに拘るのかわからない。


「もしかして、言葉がわからないんじゃなく、話せないのか?」


 そう思ってもらってもいいかと思ったが、しゃべれないと思われたままだと、この先面倒くさいことになりそうだ。


「ア、アス、ター?」


 暫く声を出していなかったので声が少し掠れていたが、それが返ってたどたどしさを醸し出す。


「い、今、アスターって・・俺の名前。嘘だろ・・ほんとに」


 呼べと言うから呼んだのに、反応がおかしい。


「も、もう一度、呼んでくれ、アスター、アスター」


 前のめりになってしつこく連呼する。


「アスター」


 今度ははっきり言った。まったく暑苦しい。


「そうだ。アスターだ。えっと・・俺はアスター。君は?」


 自分の胸を指差し自分の名前を言い、それから私に掌を向ける。私の名前を聞いているのだとわかる。


「翠」

「ス、イ?」


 尋ね返され、頷く。


「スイ、そうかスイか。スイ、スイ、うん、いい名前だ。スイか・・・」


 何が嬉しいのか何度もスイスイと人の名前を連呼する。そうしてまたじんわり涙ぐむ。

 いい加減にしてくれと、彼の腕に手を伸ばした。


「え?何だ?」

 急に触ったので彼は驚いたようだった。目元を指差し、駄目だと首を振る。泣くのは駄目だと言いたいのだが、ちゃんと伝わるだろか。


「俺に、泣くなと?」


 意味は伝わったらしく、彼も自分の目元を指差し首を振る。

 そうだと頷くと、彼は口を大きく開けて驚いて見せた。


「スイ!」


 そしていきなりガバリと抱きついてきた。

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