第7話
「ここから向こうに走って、そして向かい合って互いに銃口を向ける。そして後ろからプールに落ちる。わかる?」
「はい」
現場監督から絵コンテを見せてもらい、流れをイメージする。
場所はホテルのプールサイド。主人公の的場剛という引退したスパイにハニートラップを仕掛けようとした女スパイが、乱闘の末、主人公に胸を打たれてプールに落ちるというものだった。
「じゃあ、落ちるところまでが君の役割。一旦カットしてプールに浮かび上がるのは小川さんになるから」
「わかりました」
「かなりいい動きするって聞いてる。期待しているから」
「ありがとうございます」
「じゃあ小川さんが来たら始めるから、それまで待機してて」
「はい」
私がスタントを務める小川瑠偉は、前の仕事が押して今はまだ仕度中だった。
スタイルを売りにしている彼女の衣装は、アクションにはギリギリの露出だった。
体にピタリと沿う光沢のあるブラックドレス。裾丈はふくらはぎまでだが、左サイドは太ももまでスリットが入っている。肩紐は細く、背中でいくつもの紐が組紐のようになっていて、襟はVの字に切り込まれている。スリットが入っていない側にバンドを付け、小口径の銃を仕込んでいる。
胸は大きくするため何枚ものパットを入れている。はっきり言って防御力はゼロ。悩殺力は無限大。彼女に合わせてセミロングの前下がりのレイヤーカットのかつらを被り、足首にストラップが付いた5センチのピンヒールを履く。
「これでプールサイドを走れって?」
プールサイドは水はけがいい表面がゴツゴツしたタイルが貼られ、ヒールの部分が引っかかるので、走るのも気をつけなければいけない。
「君が小川さんのスタントの子?」
出番を待っていると、主演の滝城隼也が声をかけてきた。
「滝城さん、こんにちは、はい、そうです」
年は同じくらいだが、エンドロールの一部に小さな字で名前が乗る私と彼では、芸能界での立ち位置は違う。
「ふうん。美人だね」
「ありがとうございます。でも、小川さんに似せてメイクしているので」
「それでも土台が良くなかったら、こうはならないよ」
そう言って、すっと身を寄せて近づいてくる。
あ、これは例のやつだ。セックスアピールはしているつもりはないが、衣装のせいでそう見られても仕方ない。
「このあと予定は?」
「特には…」
「じゃあさ、友達のところでバーティやるんだけど、君も来ない?」
「ありがとうございます。でも明日また現場があるので、コンディションを整えないといけませんから」
「軽く食べておしゃべりするだけだよ」
むき出しの腕をフェザータッチで触れ、耳に息が吹き替えられる。
ちょうど小川さんが来て、撮影が始まったので、それ以上は誘われなかった。
『もう少し御自分を大事になさってください』
なぜか立樹の言葉を思い出した。
たとえ簡単なシーンでも、気を抜けば惨事になる。
いつも自分に言い聞かせてきたのに、その日はあまりに色々ありすぎて、少し集中力に欠けていたのかも知れない。
撮影が始まり、滝城隼也とプールに向かって走り抜ける。プールサイドでは私が内側、彼が外側を走る。彼はこの程度ならスタントを使わないらしい。
ヒールが引っかからないよう、足をできるだけ上げながら走る。ドローンが上から撮影し、私達のスピードに合わせて、メインカメラがスライドしていく。
ちらりと視界の隅にプールの水面があるのを確認し、プールの淵に沿って走り込んだ。
「あ…」
ヤバい、踵が何かに引っかかった。そう思った瞬間、私はプールサイドにダイブしていた。
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