第3話

 自分が借りているアパートの前まで来ると、その前に黒塗りの大きな車が停まっていた。

 嫌な予感がして、ピタリと足を止めるのと同時にガチャリと運転席側のドアが開いて、男性が出てきた。

 その男性が後ろのドアを開けた後ろの座席から降り立った人物を見て、震えが走った。


「・・・立樹」

「お久しぶりです、翠様」


 白い着物に薄い水色の袴を着ていることが多い彼が、珍しく紺のスーツを身につけていた。


「なんであんたが・・・」


 実家には自分の居場所は知らせていなかった。しかし実家である胡桃沢の力をもってすれば、自分の居場所など、すぐに知られてしまうこともわかっていた。

 十八歳で家を飛び出してから七年。そのうち誰かが自分に会いに来るだろうとは思っていたが、よりによってなぜ彼なのか。

 いや。

 あの母のことだ。普段は無関心な態度を取っていても、何もかもお見通しなのかもしれない。


「いつからここに?」

「夕方から・・・朝帰りですか?」

「男とラブホテルにいたのよ」


 私がそう言うと、彼は若干動揺を見せた。愛しい女性と同じ顔の人間からそんな言葉を聞くとは思わなかったのだろう。


「その方と、将来を誓われているのですか?」

「そんな訳ないでしょ、彼とはセックスを楽しむだけ。結婚のけの字どころか、恋人でも無いただのセックスフレンドよ」


 アパートが建ち並ぶ住宅街で早朝からラブホテルだの、セックスフレンドだのという言葉が飛び交うのはいかがなものかと思うが、私の続けざまの衝撃発言を聞いて、いつも澄ました彼の顔が歪むのを見るのは楽しかった。


「それが翠様のやりたかったことなのですか?」


 哀れむような視線を向けて、彼が問うた。

 彼を動揺させて愉悦に浸ってた気持ちが、それを見て一気に冷え切った。


「あんたに関係ない! 私が何を望んで何をやりたいかなんて、誰も気にしないでしょ、私はどうせ碧の残りカスなんだから!」


 姿形は似ている双子でも、中身は全く違う。そして生まれ持った能力も、神様は平等に与えてくれなかった。

 それならいっそ、双子になど生まれなければ良かった。片方に与えて片方に与えないなら、そっくりに作る必要は無かった。


「そのようなこと。翠様にもちゃんと能力はあります。巫女守として充分お勤めを果たされておられました」

「碧のために生きて碧のために死ぬのが私の運命だっていうの? そんなの、私が望んだ人生じゃない!」


 そろそろ早くに仕事や学校に行く人が、通りを行き交い始めた。

 切れ長の目に通った鼻筋。誰が見ても美男子の高級車の傍に立つ立樹と、リュックを背負いランニングスタイルの髪を染めた不良のような私を、誰もがどんな関係なのかと注目し、こちらを見ている。


「ここでは目立ちます。ひとまず車に乗りませんか? 適当に流してから後でまた送ってきますから」


 ドアを開け、立樹がどうぞと促す。乗りたくは無かったが、近所の目もある。

 特に私の住むアパートのおじいちゃんおばあちゃんたちに見られたら、また何を言われるかわからない。そうでなくても目を付けられているのに。


「セックスしてシャワーも浴びてないし、走って来たから汗臭いよ」


 私はどうやらSっ気があるらしい。私の言動に軽くショックを受ける立樹の顔を見たいと思い、わざと高らかにそう言った。


「車内には空気清浄機がありますから」

「あっそ…」


 すでに慣れてしまったのか、彼は動揺を見せなかった。


「ひと晩中セックスして疲れてるの。手短にね」


 それでも言わないではいられない。

 私達が乗り込むと、車は静かに走り出した。エンジン音の少ない電気自動車だ。

 ちらりと隣に座った立樹を横目で見る。


「お元気でしたか?」

「見ればわかるでしょ。元気でなかったらセックスもランニングも出来ないわ」


 ため息をつき、立樹は手元のスイッチを操作し、運転手に話が聞かれないよう間に仕切りが上がった。


「いちいちセックスセックスと言わないでください。私を虐めたいのでしょうけど、あなたの方が辛そうだ」

「何よそれ…いまさら私がどんな気持ちでいるかわかった振り?」

 思わず食って掛かる。私がどんな気持ちでいるか、誰一人あそこ《・・・》では慮ってくれる人はいなかった。

「なぜそのようなこと…誰もあなたを虐げたりしていない」

「無関心も立派ないじめだって知らないの? 常識だよ」


 ぎっと睨み返す。双子と言っても完全に同じじゃない。それでも周りが時折私と碧を間違えても、立樹だけは、いつも間違わなかった。

 それを私と碧の違いをわかってくれているのだと勘違いし、有頂天になっていた。

 けれど、立樹は私と碧の見分け方を知っていたのではないことに気付いた。

 碧のことだけを見て、私のことは碧ではない人間だと認識していたに過ぎない。


「それで、次期大宮司様の夫になる、期待の禰宜長様がわざわざ出向くなんて何の用?」


 過去をほじくり返したところで、どうにもならない。私が自分自身で切り拓いて手に入れたものは無駄ではないはずだ。


「大宮司様が…」

「あの人が?」


 大宮司とは私と碧を産んだ人。つまりは母親。でも「お母さん」と呼んだことはない。家でもどこでも、私にとってあの人は大宮司様で、母親ではない。


「引退なさいます」

「引退? 死ぬまであの座に居座るものだと思ってた」

「あの方も人の寿命というものがあります」

「まさか、死ぬの?」


 冗談で聞いたつもりだったが、立樹の眉根が微かにひそめられたのを見逃さなかった。


「ステージⅣの膵臓がんです。もはや時間の問題かと」


 ボソリと呟く。

 そんなの知らない。私はとうにあそこを捨てた。そう心の中で叫ぶ。


「もってあと3ヶ月。来月碧様が大宮司を継承されます。同時に私との婚姻も」

「そう…」


 それだけしか言えなかった。いつかその日が来るのはわかっていた。神気を持つ碧が母の後を継ぎ、禰宜の立樹が婿になる。昔から決まっていたこと。私がどんなに切望しても、一生手に入れられないもの。


「おめでとう。お父さんにも元気でねって、伝えておいて」

「翠様」

「私がいなくても、誰も困らないし何も変わらないでしょ」

「私は翠様に戻っていただきたくて、こうして来たのです。せめて、一度だけでもお戻りいただけませんか? 大宮司様には時間がないんです」

「あの人が呼び戻せと言ったの?」

「いえ、今は碧様に跡目を継がせることで忙しく…」

「そう。そうだよね。お父さんもあの人の顔色しか見ていないし」


 父もまた、胡桃沢の家に代々仕えてきた一族の気質が抜けず、父というよりは世話係のような感じだった。


「私が勝手に…宮内庁に所要がありましたので」


 神気を宿す巫女は純潔でなければならない。ただし、大宮司となり、古式に則り執り行われた儀式を経ての婚姻のみ、たとえ純潔を失っても神気は損なわれない。

 裏を返せば、碧と立樹は未だ男女の関係にはなっていない筈だった。

 立樹の性格上、碧に操を立てて、他の女も抱いていないだろう。


「翠様、何を!」


 ツッと彼の太ももに指を這わせると、立樹が驚いて叫んだ。


「いちいちセックスという言葉に顔を赤らめて、可愛いね」

「お戯れはやめてください!私は真面目な話を…」

「私も真面目だよ。一度だけ。碧と結婚する前に一度だけ抱いてくれたら、立樹の言うとおりにしてあげる」

「す、翠様、や、やめ」


 スーツのスラックスの上から立樹の股間に手を伸ばす。少し硬くなっている。でもまだ足りない。緊張しているだけなのかも。


「私、結構うまいって言われるんだ。体も鍛えてるから締まりもいいらしくって、皆気持ちいいって喜んでくれるよ」

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