第7話
芝生広場の駐車場に辰夫は車を入れた。
一息ついた後、缶コーヒー買って来ると言うと、彼は車を降りて自動販売機に向かっていった。
駐車場の周囲に植えてある桜の木は、咲いていたりまだ蕾だったりでまばらだった。
車の日除け裏にあるミラーで化粧を確かめていると、辰夫が200ml入りの缶コーヒーを二本もって戻ってきた。
「本当に女になったごたるな。あいも切ってしもうたとか?」
さっきまで標準語を話していた辰夫が、使い慣れた言葉で聞いてきた。
「うん。玉だけは取ったよ。女性ホルモンだけじゃ無理があるから」
辰夫から缶コーヒーを受け取る。
「そうか。もう後戻りできんとか」
ニップルを引いてコーヒーを一口飲んだ。ブラックコーヒーの味が苦く舌に残った。
返事をしないで黙っていると、辰夫が大声で言った。
「おいはわいには謝らんぞ。親父さんには謝ったけどな」
辰夫が父に謝った? 急な話で意味がわからなかった。
「親父さんが入院したときにな。見舞いに行って、公彦がオカマになるきっかけを作ったのは自分だって言って土下座した」
初耳だった。母も知ってるんだろうか。でもさっきの対応では全くそんな感じではなかった。
幼馴染の辰夫に、親愛の情をあふれんばかりに浮かべていた。
「そのときは、母さんは居なかったんだ」
「ああ。二人きりやった。親父さんは落ち窪んだ目でおいば見て頷いた。子供のときにはよくある事だって。気にするなって言うてくれた」
「諦めてたんだろう?」
多分自分の死が近いこともわかってたんじゃないだろうか。
「ちょっと違うかな。諦めたというよりは、公彦のことを理解……でもないか許容というのかな、そんな感じやった。でもそれは許すけど公彦に知らせるのは止めてくれって言われた」
許容か。
でも、僕をゆるしてくれたわけでは無いはずだ。
それなら自分の事を知らせるななどと言わないだろうから。
父は、我が子が同性愛者の女装者だという自分の人生を受け入れただけなのだ。
最後の一口を飲み干した辰夫は、ステレオのスイッチを操作してロックのリズムを消した。
別の曲に変えたようだった。今度はジャズでも流すのかと思っていたら、以外にもクラシックのピアノ曲が流れ出した。
ショパンの別れの曲だった。辰夫は目を瞑ってその曲に聞き入っている。
何に別れを告げているのだろう。
普通に考えれば僕の父に、という所だろうけど、そうは思えなかった。
曲が終わると、二人分の空き缶を捨てに行くために辰夫は車を降りた。
僕も車を降りると、辰夫の方向とは逆方向の芝生広場への階段を上り始める。
ふかふかの芝生の上を歩いていると、小走りの辰夫が追いついてきた。
夕陽がきれいね、という女の声がどこからともなく聞こえてきたと思ったのは空耳だ。
目の前の展望台の上には、七年前の僕らがアベックがくるのを今か今かと胸をときめかせて待っている。
そんな気がした。
「桜が、咲いてるな」
何故か照れくさそうに芝生広場の脇に植えられている樹を見て辰夫が言った。
見ると、いくつかの樹は満開に近く、薄いピンクの花をたくさん咲かせていた。
展望台の階段を上る。
父は僕をすこしは許してくれていたのだろうか。
辰夫のいった許容という言葉を再び考える。それならなぜ僕を呼んでくれなかったのか。
病気で弱った自分を見せたくなかったのだろうか。
再び横須賀でのことを僕は思い出した。
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