第6話

 父が横須賀の店に来た時のことを突然思い出した。

 僕がその店で働き始めて二年目のことだった。


 二十歳の誕生日を、一人ワインで祝った翌日の事だ。

 僕をひいきにしてくれる常連客の黒人兵ボブの相手をしているときだった。


 米軍の横須賀基地に在籍しているボブは週に一回は店に来て僕を指名してくれる。

 それまでママが気を使ってくれていたのかもしれないけど、黒人の相手をするのは彼が初めてだった。

 体臭がきついとか、あれがでかすぎだとかで敬遠する若手が多かったから、もっぱら黒人はベテランが相手をしていたのだ。


 僕もそろそろベテランの仲間入りか。


 ママに紹介されたとき、僕は嫌な気分になるどころか誇らしくさえ思った。

 それに、付き合ってみると黒人は、というかボブはとても優しくていい男だった。


 初めてそれを後ろに迎え入れたときはさすがにびびったけど、いったん慣れてしまえば後はどうにかなった。


 優しいけどごつい体つきのボブにビールを継ぎ足しているとき、いきなり声をかけられたのだ。


 公彦、帰るぞ、と聞こえた。


 公彦という名前は二年間呼ばれる事の無かった名だから、一瞬自分の事だとは思わなかった。

 客同士の話かと思ったが、振り向いたところにはずぶぬれの黒いコートを着た父が立っていたのだ。


 女の格好をして化粧まできちんとしている僕を良く見分けられたなとか、考える余裕も無かった。

唖然としていると、腕を捕まれて強い力で引っ張られた。


 店のママ達が何事かと注目する中、僕は父に引かれるまま店の出口まで来た。

 ママ達にはなんとなく事情がわかったのだろう。

手を出してこない。


 しかし日本語の通じないボブには全く違った風に映ったに違いない。

 店の外に出ようとしていた僕らに割って入って、父を突き飛ばしたのだ。

 乱暴するなと英語で叫んでいた。


 父がそれでも僕を連れて行こうとすると、ボブは父の顔面にでっかいこぶしを叩き込んだ。

 土砂降りの雨の路上に父が倒れる。


 気絶したかと思った父が地面を這って来て僕の足首をつかんだ。

 またボブが叫んで父を踏みつけようとした時、やっと僕は声を出す事ができた。


「ストップ! イッツマイファーザー」

 ボブの足が宙で止まる。不思議な表情で僕を見つめる彼にはお構いなく、父の傍に駆け寄った。


 父はここで気を失ってしまって全く動かなくなってしまった。

 結局、店のビル内に有る僕の部屋までボブに運んでもらった。


「ごめん、知らなかったんだよ」

 つたない日本語でそれだけ言うと、ボブはしょんぼりしたまま帰っていった。

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