8章 キミと猫と、恋のお話

第26話



 ハチとは別れたくない。

 でも一緒に住めないなら、少しでも会えるようにしたい。

 そのためなら、知らない人にもちゃんとあいさつして、お願いして、許可してもらえるようにがんばる――。


 そう心に決めて眠った翌朝。

 わたしは、絶望に襲われた。

 目が覚めたとき、昼の十二時を回っていたのだ。

 昨日は疲れていたし、夜中までいろいろやることがあったから、寝るのも遅かった。

 最悪だ。

 譲渡会は十時からだ、とっくに始まってしまっている。


 わたしは部屋を飛び出した。

 服とか、髪とか、めちゃくちゃだけどかまっていられなかった。急がないと間に合わない。


 バタバタしていると、すぐに母に見つかった。


「マル、どこ行くのっ」


 もう目が三角になってる。

 わたしは少しひるんだけど、やっぱりあきらめられない。

 覚悟を決めて答えた。


「譲渡会」

「ダメに決まってるでしょ!」

「邪魔しに行くんじゃないよ」


 すかさず言い返した。

 いつもみたいに反抗するんじゃなくて、冷静に、冷静にって、自分に言い聞かせながら。

 母の目を、まっすぐに見た。


「お母さん。わたし、ハチの新しい飼い主と知り合いになるために行くんだよ。できればこれからもハチに合わせてもらえるように、頼みに行くの」

「ええ? 知り合いになるって……あなた、人見知りじゃないの」

「そうだけど。今のままじゃ何も叶わない。だったら変わるよ。勇気も出す。がんばる」

「……マル……」


 母は驚いたように口を開けている。

 でも、いつもみたいに小言は飛んでこない。

 

 これでいいんだ、と、その瞬間わたしは学んだ。

 感情だけでうったえたらダメ。

 意志と、行動を示さないと。


 思えばクラスでみんなが手伝ってくれたときもそうだった。

 行動して、話をしたから、みんなり手伝ってくれた。理解してくれた。

 家族に対しても同じなんだ。


 わたしは母の目を見つめた。


「わたしはハチをあきらめないよ。でもおばあちゃんも大事。だから行くの」

「――マルちゃん」


 話が聞こえていたのか、祖母が自分で車イスを動かして玄関までやってきた。

 とてもやさしい顔をしている。


「マルちゃん、立派よ。大きくなったのねえ」


 祖母が車イスから一生懸命に身を乗り出して、右手でわたしの頬に触れる。

 昔の祖母だったら、両手で包みこんでくれるところだ。


 でも、今はこれがせいいっぱい。

 少しせつないけど、これが現実だ。

 そして、永人くんには足元には及ばない、お子さまなわたし。これも現実。


 わたしは、笑った。


「わたしなんかまだまだだよ。友だちはもっと大人」

「そう。マルちゃんにはいいお友だちがいるのねえ。おばあちゃん、うれしい」

「わたしも、うれしいよ」


 わたしは、頬に触れる祖母の右手と、ヒザの上から動かない左手に自分の手を重ねた。


「おばあちゃんと一緒に暮らせるの、うれしいんだよ。ずっと言えなくてごめんね」

「まあ……」


 見開かれた祖母の目が、すぐにしょぼしょぼしてくる。

 わたしも目頭が熱くなってきそうで、「お土産にどら焼き買ってくるね!」と、大きい声で約束して、わたしはひとり、家を出た。


「気をつけて行きなさい」


 母の声に、「はい」って、ちゃんと返事をして。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る