第24話



 もー! もー! もー!

 

 わたしはその日、わけもなく走って家に帰った。

 心の中では「もー! もー!」って、牛かよってセルフツッコミしてしまうくらい叫び続けている。

 

 だって永人くん、なんなんだ。「うれしいからもっと言って」って。

 心臓が爆発するかと思った。

 思わず「無理!」って返して逃げ帰ってしまったけど、変なテンションはぜんぜんおさまらなくて、ふだんは寄り道なんてしないのに、コンビニでどら焼きを衝動買いしてしまった。


 なにやってんだろう、わたし。

 意味分かんない。


 でも――だけど。 


 わたしだって子どもじゃない。

 この心の中いっぱいに広がるキラキラしたものに、ちゃんと名前がついてることくらい知ってる。


 ああ、佐緒里と話したくなってきた。

 帰ったらすぐ電話しよう。


「ただいま!」


 家に入ると、遠くから祖母の「おかえり」の声が聞こえた。


 とっさに手元のコンビニ袋に目を落とす。

 自然と口角があがった。

 べつに意図して選んだつもりはなかったけど――実は、どら焼きは祖母の大好物だ。


「おばあちゃん……」


 さっそく祖母の部屋に行こうとすると、行く手を阻むように台所から母が出てきた。


「マル、ちょっと来なさい」


 険しい顔。キツイ口調。

 また小言だ。なんだろう。

 べつになにもしてないのに。


 一瞬で心のキラキラを奪われたわたしは、「なに」と、身体を引きずるようにリビングへ向かった。

 夕飯の支度の途中だったんだろう、母は一度ガスの火を止めて、しょうが焼きの香りをまとわせながらわたしに言う。

 

「猫カフェに行ったんですって?」


 ハッと短い息を吸う。


「なんで知ってるの」

「店員さんから電話があったの。行っちゃダメだって言ったでしょう? これから新しい飼い主を見つけようってときに、ハチがあなたのこと思い出したらかわいそうじゃない」


 母の一方的な言い方に、わたしはムッとくちびるを突き出す。


「友だちに誘われて行ったとこがそこだっただけ。それに、わたしはハチに会えてうれしかった! ハチもうれしそうだった! ずっとわたしのそばにいたんだから」

「だからかわいそうだって言ってるの」


 母がついた強い勢いのため息が、わたしの胸を一瞬で灰色に染める。


 あの日永人くんと猫カフェに行ったことは、わたしにとって大きな意味があった。

 あのとき永人くんと出かけて、永人くんがわたしの本音を全部聞いてくれたから、身近なところでハチの譲渡先を探そうという気になった。

 実際に行動して、クラスの人とも話すようになって、ちょっと前とは比べものにならないくらい、気楽に学校に通えてる。

 かわいそうなんてネガティブな言葉で否定されたくない。

 

 かみつくように母を見ていると、母はすっとわたしから目をそらした。


「明日、猫カフェ主催の譲渡会があるんですって。ハチのことはどうしますかって言われたから、連れて行ってあげてくださいってお願いしておいたからね」


 手の中から、スクールバッグとコンビニ袋が落ちた。


「なんで――なんでそんな勝手なことするの! 今、近くでハチのこと飼ってくれる人探してるのに!」

「そんなに簡単に見つかるわけないでしょ。引っ越す前も散々探して、結局見つからなくて。猫カフェの人にも無理言って置いてもらってるのに、これ以上迷惑かけられないじゃない」

「でも早すぎる!」

「遅すぎるでしょう? マルが駄々こねずに早くから探せば、引っ越す前に譲り先も見つかったかもしれないのに」

「わたしのせいなの? わたしが悪いの?」

「――マルちゃん、日向子、やめなさい」


 熱の入るわたしと母に、お咎めの言葉が投げかけられた。

 祖母だ。

 不自由そうに右手だけで車椅子の車輪を回して、台所の入り口に下がったレースののれんをくぐってくる。


 母が肩から力を抜いた。

 言うだけ言ったらおしまいっていうのがうちの母だ。

 これで切り上げるつもりだろう。

 

 でもわたしは握ったこぶしを解くわけにはいかない。

 ハチをあきらめるわけにはいかない。絶対に。

 

 なおも戦意を失わないわたしの前に、祖母が入りこんできた。

 病気をしてからずいぶんやせてしまった祖母が、車椅子からわたしを見上げる。


「マルちゃん、悪いのはおばあちゃんだよ。マルちゃんじゃないよ。ごめんね」


 瞬間的に、わたしの中で熱いものが噴き出した。


「あやまって欲しいんじゃないよお!」

「マル、大きな声出さないで!」

「お母さんだって出してるじゃん!」

 

 叫んだら、息が切れた。

 まぶたが震える。

 のどの奥も、指の先も、小刻みに震えている。


「マルちゃん……」


 気づかわしげな祖母の声が耳に入る。

 いつだってやさしい祖母の声。

 

 たまらず、わたしは家を飛び出した。

 

 目が潤み、そうかと思うと熱い涙がほおを横切るように流れていく。

 

 知ってる。

 誰も悪くないことくらい。

 

 だからしんどいんだって、永人くんが言っていたとおりだ。

 でも――だから。

 

 誰も悪くないから、わたしはわたしのやり方で納得したい。

 

 それすらダメって言われたら、わたしはどうしたらいいの?

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